それは神と悪魔どちらの仕業なのか…
人はいいことが起きても悪いことが起きてもすべてを神の仕業だと思う。
例えば今回のような戦争もその一つで、聖書の中に戦争についての預言があれば、それは神が起因させた張本人とばかりに人は叫ぶ。
しかしよく考えてみよう。
神が人を造り共に居たいと祝福を与えた。
なのになぜ逆のことが起こるのか。
アダム以降、人には罪が入って死ぬようになった。
これは、もちろん神との契約をアダムが破ったことによってはじまり人々が罪を重ねた結果に得た罰だが、一番は神がアダム(人)と共にいなくなったことに原因がある。
神は命の源である。(ヨハ1:1-5)
その源がアダムとの約束が破れることで離れた。
つまり、共にしていれば貰えていた命が貰えなくなるのだ。その証拠にアダムは実に900歳を超えていた。今の科学からは考えられないことであるが、それは神が共にしていたからに他ならない。
それ以降、人の寿命は代々減っていったわけである。
そして神が離れていかれた後、その空席には自称神と名乗るサタンが座ったわけだ。
聖書の中でも、このサタンの存在については確認ができる。彼は人と同じく神に造られた存在だ。つまり神ではないし、いのちも与えられる側だ。それゆえ彼にはいのちを与える能力はない。神の与えるものが“生”であれば、サタンが与えるのは"老病死"だ。
それでもこの世界の神になろうと奮闘し、まことの神である創造主が人との関係を回復させることを毎回邪魔するわけである。
こういったわけで、人にはサタンの惑わしが付いて回り、いつまでたっても神との繋がりが完全に回復しないのである。
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宗教の事を英語では、Religionと言う。
Re(再び)+Ligion(繋ぐ)という意味だ。
つまり、離れた神と人を再び繋ぐのが本来の宗教の目的だ。
(人の思想を教えることを宗教と呼ぶ誤解が日本では起きているのでこれについても是非また言及したい)
そういったストーリーがあるわけなので、実は悪い事はサタンが原因のものがほとんどである。しかし、人にはこの神と悪魔の存在は見えない。だからどちらの仕業なのか分別がつかないというわけだ。
悪魔がしでかした事ですら、人はまことの神のせいだと叫ぶ。約束を守らないどころかそんな冤罪をふっかけ信頼のかけらもない関係は、私たち人と人との場合であってもまっぴら御免だろう。私もハッキリ言ってそんな人とは一緒にいたくない。
このように、はじめの愛を忘れてまことの神から離れてしまっているのが今の人である。何も知らない事は時として幸せ…とも言うが、しかしこの場合は、知らなくては永遠にまことの神の祝福は人に訪れないだろう。
特に現代の日本は、これらの真理から遠く離れている。宗教を歪曲して捉え、聖書に触れる事さえ暗黙の中で禁じている。
この書物を読むと、一見平和に暮らしている私たち日本人が一番、安息を得られる真の平和からは遠い存在に思えてならない。