【まずはここから】🦍未経験で飛び込み営業で、売れ残りマンションの販売屋さんに入社してみたら年間10億以上の売り上げを作れる人間になっていた話
このノートを書いた理由
・まずはやってみようという好奇心が正直な気持ち。
・自らの苦手分野を自らマーケティングしてみるという挑戦。
・自らが培ってきた営業におけるノウハウを言語化して、次の世代へ財産を残したい。
・天才肌と言われる感覚営業にも必ず公式があり、それを伝えていきたい。
自己紹介
静岡で生まれ、静岡で育ちました。普通の家庭で父と母からは少しやんちゃをしておりましたので、心配はかけさせたものの、田舎の進学校に通い、大学受験をし、志望大学はすべて落ち、横浜の中川にあるいわゆるFラン大学に進学しました。当時の私は学業など一切興味がなく、パチスロ・バイト・飲み三昧の日々でした。典型的なくず人間でした。
1社目との出会いと入社
そんなこんなで就活の時期になったのですが、全く意欲もわかず、エントリーはするものの、雨が降ったら行かないとクズ行為を繰り返していました。そんな中、たまたま晴れていたから行った、当時は恵比寿に事務所を構えていた不動産会社の説明会。そこで人事の目に留まりスカウトされる形で入社しました。その会社が飛び込み営業でマンションを販売する会社でした。
※入社するまで、飛び込み営業をやっていることを知りませんでした(笑)
そこで源泉営業というものを知りました。
源泉営業とは、自らの足で、自らの電話でお客様を発掘する営業手法のこと。もともと不動産営業とはお客様自ら家を欲しい。素敵な家を紹介してください。こんな営業だと思っていましたから、実際にやってみてびっくりです。
飛び込み営業で家を考えてい人にアクションをかけるので、嫌われる嫌われる(笑)とにかく嫌われる営業でした。嫌われないように生きてきた私が社会に出て初めにぶち当たった壁がこれでした。ピンポンすれば怒鳴られ、ノックしただけで警察を呼ばれ、訪問しているというだけで不審者扱いをされ・・・。さんざんな1か月目でした。
しかし、新卒からの入社だからこそ、仕事に対してバイアスがなかった私は、嫌われることに適応し、結果嫌われることに慣れすぎた私はこのおかげで強靭なメンタルを手に入れることができました。とにかく営業職をする上で大切なことは、メンタル。うまくいくかもしれないこの期待を現実が裏切った時に人は傷つく、悲しむ。そもそもいい意味で他人にも自分にも期待しないことが大切なことだと、22歳にして気付けたこれが当時の大きな収穫でした。999人に嫌われても、1人に愛されればよい、その1人が家を買って幸せに生きてくれればよい。このような思考に変わっていきます。
結果私は2年で新卒で入った会社を辞めてしまいました。
おそらくこの2年間での売り上げは4~5億くらい。(未経験でも源泉営業であればこのくらいの売り上げを上げることが可能です)
結果は十分に出していました、当時は最年少の係長という役職にまで駆け上がりましたが、仕事内容に対しての不満、報酬に対しての不満、上司との関係との不満、会社に対しての不満。多額の借金(ギャンブル)で首が回らなくなってしまい、退職を選択しました。当時はまだ未熟だったので、会社に対しての不満を自分を洗脳していましたが、今思えば、この仕事に飽きた自分や違うことをしてみたい自分を正当化するための言い訳だったと思います。
2社目オーナーゼフとの出会い
オーナーゼフとは転職先の社長さんです。前職を退職した私は、東京の目黒にある不動産屋さんに転職します。
そこでの仕事が今の私の人格形成や、仕事に対しての姿勢に大きな影響を与えてくれました。
主な業務内容は 売買仲介 城南エリアに特化し、ファミリー層をターゲットとした反響営業でした。
集客方法はポータルサイト、伝ビラ。私は伝ビラ部(笑)にて明け方まで伝ビラを貼り続け、とにかく反響を取り続けました。
伝ビラは泥臭く、やりたくないという人も多かったのですが、私は飛び込みをやっていたので、電柱にチラシを張るだけで集客できるなんてなんて簡単なんだろうと感動した記憶があるます。※電柱にチラシを張ることは器物破損になるので、ダメですが、もう時効なので(笑)もしこの記事を読んでくださっている方の中にチラシの清掃や電柱のシールはがしをされた方がいらっしゃったら心からの謝罪を申し上げます。大変申し訳ございませんでした。
この会社で約3年間修業を積み転職します。
この会社で学んだこと、仲介の世界は優秀な人間が死ぬほどいる。
同じ家の販売でも、手法が違えば、全く違う競技になる。
源泉で売れる人ほど、反響営業は売れない。逆もしかりであるということ。
まさに水と油のように全く違う世界で働いた経験が私を大きく成長させてくれました。
また、この会社からの転職は全くネガティブなものではなく引き抜きのスカウトです。今でも心からオーナーゼフや先輩社員さんには感謝しています。
毎日明け方の4時に家に帰り、朝9時に出社する漆黒のブラック環境で365日のうち360日働き続けました(自らの意思で)この経験も今後の私の人格形成に大きなものを与えてくれました。今でも私にとっては目黒は特別な場所です。
この会社で得た学びはこちら。
本当にありがとうございました😊
3社目~営業能力の覚醒~マネジメントの道へ
かねてから声をかけて頂いた社長様の会社へ円満転職することになりました。実は仲介営業をやっている時から約2年間声をかけ続けてくれていました。この社長さんは1社目に同じタイミングで退職した先輩です。必要としてくれること、ありがたや~。
当時は月給15万円で入社しました。あとはコミッションで稼げと。当時の私は妻子持ち。かつ一馬力、絶対に失敗が許されない状況での転職。
しかも仕事内容は、3年のブランクがある源泉営業。当時社長にはもう源泉は一生やりませんと言って入社しました。しかし入社してみたら、源泉営業をやってくれという状況・・・(笑)言ったもの勝ちということもここで学びました(笑)前職でも家族3人で生きられる分くらいは稼いでいたのですが、辞めちゃったこの状況・・・もうやるしかない。思うことはたくさんありましたが、もう考えている時間があるなら足を動かすしかない。今思えば社長さんは超やり手ですね(笑)
奮起して再び、源泉営業に挑みました。
1年目 外務員報酬1800万円(3月~12月までの9か月。)
2年目 外務員報酬2500万円
ここからは独立という名ばかりの法人化
3年目 業務委託料3000万円
4年目 業務委託料5500万円
5年目 業務委託料9800万円
6年目 業務委託料1億30000万円→提携先の会社への売り上げ15億達成
ここまでやることができました。今や14人の後輩たちをマネジメントさせて頂く立場を頂いております。
なでここまで稼ぐことができたのか【外部的な要因】×【内部的な要因】これがうまくマッチできたからです。
外部的な要因とは
自分の所属する組織の還元の姿勢。業務委託料・外務員報酬をきちんと成果に応じて払い出してくれるか否か。
僕はここにはとても恵まれました。たくさんの利益を落とせばその分たくさん還元してくれる会社で働くことができた。これが外部的な要因です。
内部的な要因とは
営業のスキルの熟成と感覚の明文化と公式化。
営業の成績は個人のスキルや、経験、感覚に依存します。
また、源泉営業×仲介営業×反響営業と3種類の営業スタイルを取得したことによって、決定率95%を超える商談決定率を手に入れた。
また、育成スキルに関しても営業において私の後輩は全員2年目には年収1000万円は到達している実勢がある。
そんな私が提供したいものは次の記事にて!!
右も左もわからず始めたノート。
神髄をここに落としていきます。
自力✖️飛び込み営業=源泉営業が最強な理由
ご興味があれば是非他の記事もお読みください。
これまでの経験を通して学んだこと。
これも是非読んでみてください。
日々感じていることも、ブログみたいな感じでまとめてます✌️
ゴリラ動物の園長もしてます🦍
ご質問などあればこちらまで