ゆとり教育って実は最高だったんじゃ?
ゆとり教育がはじまったときは、まだ一般企業に勤めていたので実際に教えていた訳ではありませんので、見聞きしてきた範囲の話になりますが、実は「これ、いいんじゃない?」と思えたので書かせていただきます。
ゆとり教育が始まる前の学校現場は、詰め込み教育の弊害で学校が荒れてきてしまったので(実際はそうじゃないだろうなぁ)指導要領の内容を大幅削減して学校現場に時間を持たせて、併せて土曜も休みにしてゆとりを持たせようと言う趣旨の学習指導要領でした。
ただ、多くの人は忘れているのか、もともと知らなかったのか、指導要領の内容は必要最低元として、それ以上のことは各教員の裁量でいろんなこと教えてあげてねっていう附則があったはずです。その上で、発展的なことを扱うときに、適当な授業時数が当てられないから、そういうときは総合的な学習の時間を当てようね、だったはずです。
が、結局「それ以上」のことを教える教員がほとんどいなかったせいか、全体的な学力低下により方向転換していくことになります。
現在は土曜授業がなくなったのに、指導要領の内容はパンパン。
総合的な学習の時間は学校や学年でやることが、ある程度決まっているような学校の方が多いのではないでしょうか。
結局学校も、子どもも教師も疲弊していくという、もう何がなんなんだかな状況になってしまっていると思います。
そこで、話を戻しましてゆとり教育について考えてみると、私のような余計なことをやりたい教員にとってはかなり最高だったのではないかと思います。
私のクラス運営の要は以前も書かせていただきましたが、計算練習と漢字+そのときそのときに合わせてあ道徳的なお話です。
指導要領の内容が大幅に削減されれば、計算や漢字の定着の時間が授業で取れます。また、国語では古典も出てくるので、他の古典を読んだり、百人一首に触れたり、実際に百人一首に取り組んでみたりと、取り組めることがたくさん出てきます。
また、総合的な学習についても、このような教科書街の時間を充てれば今の学校現場のように「総合何しよう」が一気になくなるはずです。
元々は総合的な学習の時間はそのように設定されていたはずです。
ゆとり世代と言われ、まるで何もできないような世代のように言われていますが、実際私の周りのその世代の先生たちはむしろ仕事ができる人が多いように思います。
これは、きっとそれぞれの担任だった先生方がしっかり「それ以上」のことに取り組んできたからなのだと思います。
数年の変遷で指導要領を改変していくのではなく、もっと長期的な目を持ってもらいたいと思います。
塾長がよく書かれているように、現場の日本人は超優秀です。
やれと言われれば、文句は言いつつもしっかり結果を残していきます。
もちろん教員もです。
目先の数字だけに拘らず、現場を信じて任せてくれるような官僚や文部科学大臣に期待します。
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