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「何もしない」って最高じゃん!脱・頑張りすぎ元公務員!

こんにちは!

なんか、【何もしたくない】って思うことありますよね?

私がまさにその状態を過ごしてきたので、そのことについて書いていきます。


まず、これまでの経過


~2024年3月 公務員として8年勤務した市役所を退職
2024年4月~ 舞台芸術の世界で活躍したいと思って関東に進出、転職活動
       開始
2024年7月~ 知人のお店でアルバイト開始
2024年9月~ 舞台芸術関係の会社の面接を受ける
2024年11月  面接を受けた後に現場体験に参加させてもらうが違和感を感
        じ、「ここじゃないかも・・・」と思い始める。
        同じ頃タロットカードにハマってタロットリーディングが出                            来るようになる。
        さらに、企業に属して働くのでは無くて、自分で事業を作っ                            ていきたい!と思うようになる。
        面接した会社に辞退を申し出る。
2024年12月末 知人のお店のアルバイトを辞める。
2025年1月~   占いをしながら、自分の事業についてどうしていくか、セミ
        ナー等を受講しながら考えているところ。

と、こんな感じの流れです。

なので1月からは本当に何の縛りもない生活をしているのです。
バイトもない、依頼が無ければタロットのお仕事もないのです。

洗濯、掃除、洗い物をして、食材や生活用品の買い出しをする、ウォーキングや筋トレをする、などはしていますが、
日中は時間がたくさんあるんですね・・・。
日中は事業のために必要なことがあれば準備する時間はたっぷりあると言うことです。


罰する?否定?自己卑下?

私は自己啓発系の本をたくさん読み、意識高い系の自分でいたいと思っている系の人間でした。

これまでの私だったら、【事業についてどうしていくかいろんな事をして準備しないと!!】と、やたら張り切ったり、あれしなきゃ!これをするべき!【世の中の一般的】【常識】と自分を比較して、【やるべきこと、やったほうがいいことをやっていない自分に対して、怠けているのでは?】と自己卑下し、自分にむち打って自分を動かしてきたように思います。

特に公務員時代はその特徴が顕著に表れていました。
【そこまで頑張らなくても・・・】と言われたこともあったくらい、【この課題をクリアできていない自分は怠けている】とか【ダメなやつだ】【出来ない、使えないやつだ】と出来ていない自分をとにかく【否定し、罰してきた】ように思います。


時間割を作る女

なので、2025年1月を迎え、何の制限も縛りもない状態になったときに、当たり前に、
 7:00   起床
~9:00   ウオーキング、筋トレ、ストレッチ等
9:00~   洗濯、掃除、洗い物等
10:00~   セミナーの受講
12:00~   軽食
13:00~   買い物

などなど・・・勝手に時間割を作ってその通りに行動するということをしていました、【何の制限も縛りもないのに・・・】

その結果・・・


何もしたくない女

だんだんと↑のような生活に息苦しさを感じ、「もう何もしたくない・・・」と思うようになりました。

【ダメなやつだ】【出来ない、使えないやつだ】と出来ていない自分をとにかく【否定し、罰してきた】私は、
【本当にダメなやつだ・・・事業なんてできっこないね。自分で事業やってみたいとか偉そうなこと言ってるのに「何もしたくない」って・・・やばくない?だっさー】と自分で思っていました。
ただ、なぜか、心のどこかで、「何もしない体験」をしてみて良いのでは?と、思ってしまったのである。


罰しない、否定しない、自己卑下しない、全肯定の女

さて、何もしない体験をすることとなった私は、自分で作った時間割全無視をし始めます。

まず、
8:30  目覚め
※目が覚めるだけで布団からは出ない。インスタ、X、スレッズ等を閲覧しゴロゴロする。
寒いから、お布団から無理に出なくてもいいんだよ♡
9:30  起床
※布団からやっと脱出。8:30までに出すべきゴミ出しが出来ていないので、玄関にゴミ袋が積んである♡
ゴミは、焼却場に直接持って行けば収集日じゃ無くても受け付けてくれるから別に大丈夫じゃない♡?
9:45  洗濯、掃除、洗い物
※これらの家事は一応やった。ただ、洗濯物たたむのとお風呂掃除は旦那にお願いした。
家事やってるとか神かよ!しかも私の家事って結構丁寧だから、家が毎日綺麗を保っててさらに神♡
10:30~16:30 パジャマのままこたつでゴロゴロしながら、インスタ、X、スレッズ等SNS系の閲覧
こたつあったかーい♡幸せ♡
16:30~ 夕食の準備、夫の帰宅を待って、食事~入浴、就寝
旦那は私がこんな生活をしているのに何の文句も言わない・・・旦那最高♡

という素敵な一日を送った。
この生活が、最高に幸せだった。驚いた。
また、全く飽きなかった。
ただただ、幸せを感じた。


何もしない女の気づき

こんな「何もしない体験」をしている間に気づいたことがあるのだ。

「私を無視していた」のだと。

  • 仕事のタスク達成のために残業・土日出勤する。(本当は嫌だけど)

  • 洗い物をする。(超疲れていて、本当はやりたくないけど)

  • 仕事を引き受ける。(誰もやりたがらないだろうから、やりたくないけど)

  • ご飯を食べる。(別にそんなにお腹がすいて無くても)

と、こんな風にね。
本当はそんなにやりたくないことも、「なんか雰囲気的にやっといた方が良い」と感じてやっていたり、「別にいらない」と思っても、お昼だから、となんとなくご飯を食べたり・・・。


でも何もしない体験をしてる間は、
一日中パジャマだし、ゴミもルール通りに出せないし、ずっとSNS見てるし、こたつから動かないし、顔も洗わない、眉毛ボーボー、髪の毛ボーボー。私がその日、こうやって過ごしたい!と思ったことをやっただけなのに
マジで【すごい幸せ】だったのだ。


呪いにかかっていたので解いていく女

さらに思ったのだ。
私は呪われていたと・・・。
「頑張る」ことは「良いこと」で、
「何もしない」ことは「悪いこと」だと思い込んでいたし、

「太っている私」「美しくない」し、
「しっかりしていない私」「ダメなやつ」だし、
「時事問題に疎い私」「頭の悪いやつ」だし、
「38歳にもなって、公務員辞めて、タロットを始めたものの、なーんにもやりたくなくなってだらだらしていて、どんな事業をやっていくのか具体的に決まっていないやつ」「終わっている」と・・・。

世の中の「常識」や「セオリー」、「普通」という言葉にとらわれて、
SNSで見るキラキラとした人たちの「こうであるべき」という言葉にしがみついて、
なんとか「頑張って」「イケてる私」になりたいと思っていたからこそ、自分が「幸せ」だと感じる時間が無かったとしても、「頑張っていた」のだと。
そんな呪縛があったように思う。
呪われていたのだ。

でも私は、1日中家から出ないでこたつにもぐっているのが幸せで、うれしかったのだ。
今の私は、「こたつ大好き女」でしか無いのだ。


で、私はどうしたいの?

今日まで、お金を出していろんなセミナーを受けたし、
経営者やキラキラと輝いている人などを見つけてはSNSでフォローしてきた。
その人たちが言っていることはきっと間違いないだろうし、「こうすべき!」ってことはきっとそうすべきなのだと思う。

ただ、そうやっていろーんな意見や考え方、行動や思想がある事を知った上で、じゃあ
「私はどれを選択しますか?どう生きたいか?どうありたいか?」
ってちゃんと考えてなかったのかもしれない。

「○○がいい」と有名なあの人言っていたからそうした
「痩せている方がかわいい」からご飯食べない・・・

いままでそうやってきたけど、

私は本当にそうしたかったのか?

本当にそうしたかった訳ではない。

だって「こたつ大好き女」の私は今、

なーんか楽しいことしてたら仕事になってた!って展開が良いし、
クリームたっぷりのケーキも食べたいし、
タルタルがいっぱい乗ったチキン南蛮も食べたいから、痩せてるとか太ってるとか関係ない世界線にいたいし、
毎日寒いから、暖房ずっとつけてぽかぽかの部屋に居たいし、
お料理は好きだから毎日作りたいし、
海外女性のファッションかっこいい!まねしたいし、
お洋服も欲しいし、
ブーツも欲しいし、
めがねかけてるけどコンタクトにしたいし、
国内いろんなところに遊びに行きたいし・・・・

わたし、何もしたくないとか言いながら、

いろーんな「こんなことして幸せを感じたい」があったんだと気づいたわ・・・。


で、結論!

「何か事業を始めて、何か人の役に立ちたい!」

と思ったにもかかわらず、

「何もしたくない」と思うに至ってしまいますよ、
「~しなきゃ」とか「~すべき」とか、「世間」とか「常識」とかにとらわれてしまうと。
と、感じました。

でも別に、「~しなきゃ」とか「~すべき」とか、そういったことを愚直に取り組むこともめっちゃ必要だと思っているので、素晴らしいことだと思います。

私は、「~しなきゃ」とか「~すべき」など、そういったことがあるとわかった上で、
「いままでくそ真面目にやってきたね、私。しなきゃ!!の観点で行動するとエネルギー切れ起こして「こたつ大好き女」になったよね。「常識」とか「世間」とか「一般的には」とか、そういったことにとらわれずに、「私これ便利だから結構好きなんだよねー」って誰かに教えてあげるとか、「お料理作りすぎたからお裾分け」するとか、すっごい些細なことでも誰かに喜んでもらえたら、そういう小さな事が、事業にいつの間にかつながるかも知れないよね。壮大で超優秀な脳みそで考えたようなすんばらしい事業を考えなくても、私にできることってあるかも知れないよね。」

と思ったのである。

私も幸せで、その幸せを届けたらあなたも幸せで、っていいよね。

そう感じたのでしたぁ!


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