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Ⅰー36.ベトナムの退役軍人でPTSDにかかった人はいるのか?:ファン・トゥイ・ハーさんへのインタビュー
ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(37)
★2023年11月29日:ハノイ市
見出し画像:ファン・トゥイ・ハーさんと(ハノイ市)
はじめに ーコロナ禍を越えて
前回の記事では、2018年12月の北部タイビン省での聞き取り調査を報告した。翌2019年8月に渡越し、8月12日~14日の3日間、ハティン省ハティン市において、3人の元青年突撃隊隊員にインタビューした。しかし大変遺憾なことに、インタビュー記録の録音・写真をすべて喪失してしまった。そのためこの調査についてはご報告できなくなってしまった。
2019年末からコロナ禍が広まり、ベトナムへの渡航ができなくなった。2021年3月に私は大学を定年退職した。ただ、その後2年間は特任教授をつとめさせていただいた。再びベトナムに渡航できたのは2022年11月だった。3年ぶりであった。搭乗にはワクチン接種証明が要件とされた。機内はまだマスク着用だった。今回の渡越の一番の目的は、定年退職後に翻訳を始め2022年10月に刊行した拙訳書、ファン・ダン・タイン&チュオン・ティ・ホア著『ベトナム立憲史』(ビスタ ピー・エス)をホーチミン市在住の原作者に届けることであった。同訳書の出版はベトナムの雑誌『昔と今(xưa & nay)』の記事にも取り上げられた。この時、ホーチミン市の目抜き通りであるドンコイ通りでもシャッターが下ろされたままの店舗がまだ残っていた。
ホーチミン市からハノイにも足をのばした。12月3日には今回紹介する文筆家ファン・トゥイ・ハー(Phan Thúy Hà)さんと初めてお会いし、ご著書をいただいた。12月5日にはハイズオン省に赴き、「ホーおじさん教」の宗教団体「平和廟」(Ⅰー24.の記事を参照)を訪れ、教主のスエンさんに再会した。施設は以前より立派になったが、熱気が薄れたような気がした。
2023年11月に再び渡越。11月29日のハノイ市内のホテルにて上述のファン・トゥイ・ハーさんにインタビューした。彼女とお会いするのは2回目。今回の記事はこのインタビューの内容を中心にお伝えする。この時の渡越では、ハノイの後、ダナン市、フークオック島、ホーチミン市を訪れた。フークオック島では、捕虜収容所跡とフークオック護国寺(護国竹林禅院)(2012年竣工)を見学した。同護国寺は壮大で立派であった。共産党幹部の名前がつけられた植樹などが多く目立ち、共産党による仏教への関与がうかがわれた。
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『私の名前を言わないでくれ』(左)
『私はお父さんの娘です』(右)
Ⅰ.ファン・トゥイ・ハーさんの紹介
1979年に北中部のハティン省の山村に生まれる。父はハノイ総合大学(現ハノイ国家大学)史学科2年生の時にベトナム戦争に出征。復員後、郷里で農業に従事。母は教員。ハーは父の母校であるハノイ人文社会科学大学の語文科を卒業後、婦女出版社の編集者となる。30歳頃にやめて、フリーの物書きとなった。彼女は退役軍人などへの聞き書きを精力的におこない、これまでに出版された著作には以下のものがある。
・『私の名前を言わないでくれ』(2017年):故郷ハティン省の北ベトナム
軍兵士だった人々への聞き取り調査。戦勝の代償がいかに大きかったを描
く。27話。
・『坂を越えると私の家』(2018年):自らの少女期のことを描いた子供向
けの本。
・『私はお父さんの娘です』(2019年):旧南ベトナム軍兵士とその家族へ
の聞き取り調査。21話。
・『家族』(2020年):故郷での土地改革の聞き取り調査。「傷痕文学」
「ミクロ・ヒストリー」との評価も。
・『お兄さんたちの人生の断片』(2021年):退役軍人(北ベトナム側)の
兵種ごとの聞き取り調査。
・『幼少の頃』(2023年):ゲティン地方出身者の幼少の頃の思い出。
なかでも注目されるのは『私はお父さんの娘です』で、ベトナム国内在住の旧南ベトナム兵士に対するまとまったオーラル・ヒストリーがベトナム国内で出版されるのは、おそらくこの本が初めてではないであろうか。旧南ベトナム兵士に対するまとまったオーラル・ヒストリーとしては、Nathalie Huynh Chau Nguyen, SOUTH VIETNAMESE SOLDIERS Memories of the Vietnam War and After, PRAEGER, California, 2016. があるが、これは主に海外在住(オーストラリア)の旧南ベトナム軍兵士をインタビュイーとし、海外で出版されたものである(ちなみに筆者は旧南ベトナム政府最後の駐日大使の娘)。ハーの『私はお父さんの娘です』は、いまだ描かれてこなかったもう一つのベトナム国内の戦後史・裏面史を描いた作品だといえる。なお、『私はお父さんの娘です』は、Mikiko さんによって日本語訳がnote に連載されているので、ぜひご覧になってください。
ベトナム・ドキュメンタリー文学紹介『私はお父さんの娘です』
https://note.com/tsuboi_mikiko/n/n88e947df505c
ファン・トゥイ・ハーは、ベトナム国内では、ベラルーシ出身で2015年にノーベル文学賞を受賞したアレクシエーヴィチと比較されることがよくあるが、少なくても2点において異なる。1つは、アレクシエーヴィチは自分の作品、たとえば『戦争は女の顔をしていない』が文学作品であることを強調するが、ハーは自分の作品はノンフィクションであることを強調する。またそれと関わり、2つ目は前者が自分は文学者であると自認するのに対し、後者は自分が文学者であることを拒否し単なる「物書き」だとしていることです。
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『お兄さんたちの人生の断片』(左)
『坂を越えると私の家』(右)
Ⅱ.ファン・トゥイ・ハーへのインタビュー(2023年11月29日)
以下では、インタビューの内容を要約してお伝えする。
(問)ご著書のベトナム国内での反応はいかがですか。
(答)好評をえているが、読者は多くない。しかし2000部は売りつくしてい
る。読者は少ないが、読みたい人はいる。
(問)世代によって違いはありますか。
(答)非常に少ない。昔のことをあれこれ掘り起こしてどうするのかとか、なぜ輝かしい美しい歴史をいわずに、傷ましい負の側面を取り上げるのか、何か意図はあるのか、という人もいるが、そういう人は非常に少ない。
私の世代の多くは私の本を読んで初めて戦争を知ったという。北部の人は南部や南部の人のことを知らない。実は隣りで起こったことさえ本当は知らない。
(問)ハーさんのような戦後世代はどうですか。
(答)私の世代は私に感謝している。本に好感をもってくれて、必要なことだと感じてくれている。南部の人は好んでくれるが、北部の人は反応が少ない。気に入らない人は、何か目的があるのではないかという。
(問)軍人の反応はどうですか。
(答)軍人には好まれていないと思うが、どうしてか好きではないと言うことが彼らにはできない。戦争では当然のことだという。私が戦後生まれで戦争のことを知りもしないのにという。しかし私は聞き取り、録音し、確認している。気に入らない人は、これまで戦争について聞いてきたことと違うからそう思うのだろう。しかしそういった人は少数か、言いだせない。私の本は実話なので、文学者のなかには高く評価しない人もいる。
(問)外国での評価は。
(答)外国の読者は好感をもってくれ、ベトナム戦争を理解するのに必要な本だとしている。パリの第7大学でもシンポジウムに取り上げられた。
(問)翻訳される予定は。
(答)まだありません。
(問)現在執筆しているのは。
(答)今書いているのは、ベトナム戦争中と戦後5年の一般人、とくに女性と子どもの生活についての聞き取り。その頃、南部の都市の生活はものすごく大変だった。1975年以降、サイゴン軍の墓地はどうなっているのかしら。
(研究協力者の答)サイゴン軍は駐屯地に宿舎と墓地をもっていた。それ以外にビエンホアに大規模な軍隊墓地をもっていた。1975年以降、それらの墓地の多くは放置されている。遺族によって改葬されたり墓参されたりしているものもあるが、誰も訪れる人がいない墓もある。このことについては、Youtube の Tung tăng khắp miền をみるといい。このYoutube のナレーターは、サイゴン軍に対して「傀儡(ngụy)」という言葉を使っていない。
(問)どうしてこのお仕事を始められたのですか。
(答) 私たちはどうしてベトナム戦争に無関心だったのかと自問しました。私たちは学校で戦争について習いました。それはとても素晴らしく英雄的なものでした。それならもう考えることはない。しかし社会に出てみるとそうではなかった。本に書いてあることは間違いではないが、それは一部だけのことしか触れていない。自分の祖父母、父母、隣近所、友人に起きたことを知らなければならない。私を突き動かしているのは、真実、本当のことであり、本当のこと、本当の人間を書くことです。誰も語らなかったから知らなかったこと、私が知りえたことを書きました。書けば書くほど不十分だと感じています。
(問)ハーさんは、聞き取り調査をするのにSNSを使用するという新しいアプローチをしていますよね。
(答)私は直接会うのが一番説得力があると感じています。事実は最も価値があり、文学より高いと思います。私は「ミクロ・ヒストリー」という概念は知りませんでしたが、私のしていることはいわば、将軍たちの語りからの歴史ではなく、民衆の語りからの歴史です。
(問)ハーさんのお仕事は、直接の戦争経験者によるものではない「ポスト・メモリー」の事例だと思います。
(答)私は記憶を保つ必要性を痛感しています。そうしないと記憶は失われてしまいます。『私はお父さんの娘です』の登場人物も5人が既に亡くなっています(注:インタビュー時点)。
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『家族』(左)
『幼少の頃』(右)
(問)ベトナム戦争後、米国のベトナム帰還兵の多数がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に罹りました。ベトナム国内ではベトナム戦争を戦った兵士のトラウマについてどのような状況ですか。文学ではバオ・ニンの『戦争の悲しみ』などで描かれていると思いますが。
(答)ベトナムでは非常に少ないと思う。それを扱った文学作品も少ない。その理由は、戦場から帰って非常に多くの生活上の問題に直面し、過去のことを考える余裕がなかったからです。症状の芽がなかったわけではなく、発症する機会がなかっただけ。日々の生活で神経をすり減らし、戦争でのことを考えることができなかった。海外に出国した在米の元サイゴン軍兵士は、回顧できるだけの余裕があった。
(研究協力者)トラウマにかかった人は、比較的生活レベルが高い人か、知的レベルの高い人。国家の宣伝に染まっている人は、戦争は誇りであり素晴らしい戦功があるだけだと考えている。
(答)夜に悪夢を見て狂ったように叫ぶ人がいたが、その人はトラウマとは違う。あれこれ思い悩んだわけではなく、脳の肉体的損傷からきたものである。農民出身の兵士はトラウマにかかる人は少なく、軽症者が多い。米兵が多く罹患したのは、帰還して自由に生き、自由に考えたからではないのか。
(問)『私はお父さんの娘です』について紹介してください。
(答)その本は「あちら側」について書いた最初の本です。戦後40年にして、元サイゴン軍の傷痍軍人について書かれた最初の本です。より冷静に、政治的観点により影響されないで、人間の視角から戦争を描いたものです。予断をもったり、誇ったりせず、なぜそのようなことが起こったのかを自問しています。研究者の眼、文学の眼で戦争を見るのであって、政治の眼で見るのではありません。もし私は書かなければ、罪があると感じてしまったでしょう。
(問)今後もこのテーマを追求されていきますか。
(答)現在書いている本が終わったら、このテーマをやめるかも知れません。
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Ⅲ.戦争トラウマとベトナム人
アメリカのベトナム帰還兵の後遺症から戦争トラウマ研究が本格的に始まり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という診断名が1980年にアメリカで誕生した。しかしベトナム国内での状況についてはほとんど分からない。
「ボートピープル」として密出国した在米のベトナム人については、カリフォルニア大学のオアイン・メイヤー准教授により、ベトナム戦争後のPTSDとトラウマ、痴ほう症との関連を探る研究が始められた(BBCベトナム語ニュース、2022年2月8日)。PTSDには遅延性、後発性のあるものもあり、ベトナム系アメリカ人作家オーシャン・ヴオンの『地上で僕らはつかの間きらめく』(木原善彦訳、新潮社、2021年。原作は2019年)の主人公の母親は遅延性のものではないかと思われる。
ファン・トゥイ・ハーさんへのインタビューから、以下の点が挙げられる。
◆ベトナム国内の正確な状況は分からないが、北の兵士でPTSDになった人はごく僅か。
◆罹患した人は知的レベルや生活レベルの高い人のみ?。これははたして米国のベトナム帰還兵についてもいえるのだろうか? ベトナムの農民の罹患者は少ないか軽症。または純粋に肉体的な脳の損傷によるもの。
◆ごく僅かしかいない理由は、①戦後直後の極度の生活難(発症する機会がなかった)、②共産党による方向づけ・洗脳(栄光と誇りの記憶)、③戦勝側だった。ただし、「敗北者」だった旧サイゴン政権側の人はどうなのか?
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(2016~2022年)
Ⅳ.『私はお父さんの娘です』をめぐって
この本について、留意すべき点として以下の点を挙げておきたい。
◆おそらくベトナム国内在住の旧南ベトナム軍兵士の聞き取り調査をまとめたベトナム国内本としては、最初のもの。戦後「二級市民」となっていた元サイゴン軍兵士と家族の現実生活を赤裸々に描いた。執筆動機は、戦争記憶の忘却への懸念と、戦争についての無知への負い目と、過去・未来・歴史に対する責任感である。北の人は戦争支持者でもあり被害者でもある、自分自身もまた戦後問題の犯人であり被害者である、という認識をもっている。
◆この本が発禁にならず、このタイミングで登場した大きな背景としては、2013年頃以降の旧南ベトナム(ベトナム共和国)への評価の変化がある。南シナ海問題との関連から「傀儡」呼ばわりがされなくなった。また戦後40年余りが経ち、対立の記憶が薄らいできたことも関係しているかもしれない。
◆ノンフィクションであることの意味。ベトナム戦争をテーマとした文芸をごくごく大雑把に辿ってみると、1980年代は「十月になれば」、「河の女」、「退役軍人」などの映画が、1990年代は『戦争の悲しみ』、『夫なき水辺』、『はるか遠い日』、『無題小説』などの小説が、2000年代は『永遠の20歳』、『ダン・トゥイ・チャムの日記』などの戦争日記が、2010年代はノンフィクション作品が代表的なものとなってきた。
2010年代の戦争をテーマとしたノンフィクションは、元兵士であるがプロの作家になるつもりのなかった人たちやファン・トゥイ・ハーのような戦後世代によって書かれ、戦争の影の部分も含めたポリフォニーな語りが展開され、記憶の多様化が表面化している。かつての「ルポルタージュ」が社会主義リアリズムの手法に基づき、革命の正当性主張と戦意高揚が主目的とされていたのとは異なる。このノンフィクションの盛況による記憶の多様化に対し、当局側からも対応がなされた。その表れが『兵士の記憶』全17巻である。これは共産党と人民軍隊の共同事業として編纂され、著名な将軍から無名の一般兵士までの手記などの「細かな記憶」を集積しようとしたものである。ただし、革命的英雄主義、愛国精神、平和への渇望を示すのが目的とされている。このように2010年代は「ミクロ・ヒストリー」への関心が高まってきたといえよう。
◆ファン・トゥイ・ハーという北ベトナム側の戦後生まれの女性が書いたことの意味・意義は?。彼女の事例は「ポスト・メモリー」の事例だといえる。和解・継承の任は女性によってより多く担われるのかもしれない。
(了)