それいけ!まちか2世

小説とかなんか書くひと

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最近の記事

中野ONOGについての記憶

中野ONOG。七つ年上の兄が中学校で習った言葉を繰り返し口にしていた。私はまだ小学校に上がったばかりだった。 「そがのいるかの首が飛ぶんや」と兄は教えてくれた。どうやら、中野ONOGはそがのいるかというイルカの首を切り落としたらしい。しかし、イルカの首はどこにあるのか。どこからが首でどこからが胴体なのか。それについては兄は教えてくれなかった。 私はイルカが好きだった。だから、イルカを殺した中野ONOGが許せなかった。イルカが好きな理由は、友人のみくちゃんがイルカ好きだったから

    • ネオチンピラ 古賀コン テーマ『架空⭐︎1のレビュー』

      その通りです。あなたもいける口ですか。いやはや、たまりませんな。ええ、冒頭で申し上げた通りこの商品はたいへん優秀でしてね。何に使うかはあなた次第ですが、そうですね、昼下がりのカフェのひとときにでもどうぞ。私ですか?私はそんなそんな言わせないでくださいよ。人が悪い。そんなこと言おうもんなら、これがこれしてこれしちゃいますよ。え、これじゃわからない?またまた、嘘おっしゃい。私くらいになるとアタマにピンとくるもんですよ。あなたとお会いしてすぐさま私とおなじ種類の人間ってことがすっか

      • 失踪宣言

          明け方の駅のホームで、日が昇るのが早くなったと感じながら、始発列車を待っていた。六月の朝はまだ少し涼しくて、すずめの囀りも、烏の鳴き声も耳触りがいい。ホームには私ひとりのようだった。向いのホームには何人か人がいて、朝帰りなのか大学生くらいの男の子と、スーツ姿の男性がひとり。二人とも、椅子に座りスマートフォンを操作していた。私も何か通知が来ているかもしれないと思って鞄に手を突っ込んでから、スマートフォンを川に投げ捨てたことを思い出す。そう、失踪しようと思って捨てた。仕様がな

        • もういちどうまれる

           忘れ物を取りに戻って、放課後の学校の廊下を歩いていた。私の足音以外の音がしなかった。私は音を我がものにしたことが嬉しくてタタンタンとステップを踏んだ。だが、音楽室に差し掛かった時、音はふかふかな草むらに吸収されてしまった。そうか、もう夏休みだったとようやく私は思い出した。  音楽室を扉の小窓から覗くと、中は木々が生い茂り、きらきらときらめく泉があった。私はかつてこの泉で母に拾われた。という考えがほとんど確信をもって去来した。泉の中で私は人間だって魚から進化したんだよと納得し

          過去作 なんとなく、だりぃ

          蝉の死骸を踏みつけて、夏子は今日も駆けていく。走りながら今踏んだ蝉は本当に死んでいたのだろうかと脳裏に一瞬よぎった。しかし、仮に生きていたとして死の淵に立つ蝉は爆弾なのだ。暴れ出すかもしれないから、踏みつけて未然に爆破を防ぐに限ると自らを正当化した。夏子の母はよく言ったものだ。死んだらみんなご浄土に行くのだと。だから、蝉よ、ご浄土で会おう。合掌。夏子は宗教を一欠片も信じていなかったので、ご浄土があるなんて思っていなかったし、合掌したのもなんとなくだった。そう、なんとなく。夏子

          過去作 なんとなく、だりぃ

          走るカピバラ

          カピバラは意外と早く走る。なんと時速五十キロ。昨日、鍵原くんが飛んだ。自宅マンションのベランダから飛んだ。八階。奇跡的に一命を取り留めた。意識が戻り次第、警察から事情聴取を受ける流れになっている。動機はわからなかった。コンビニに行くのに降りるのがめんどくさかったんだと冗談なのか本気なのかわからない噂が流れていた。 鍵原くんは細くて少し離れたつぶらな瞳をしていた。どんな時もぼーっとしているように見える大きな丸顔はカピバラに似ていた。いつもゆったりとした口調で話し、声を荒らげた

          未来の発明

          夏が次第に夏らしくなってきて、まるで天使だった。きみとふたり。目が眩む坂道をしりとりをして歩いた。私は国名ばかりあげてきみを困らせた。しりとり。リス。スリランカ民主社会主義共和国。くま。マリ共和国。くるま。マダガスカル共和国。くすり。リトアニア共和国。もうやめたときみが根をあげた時だった。水たまりに青空が映り込み雲が静かに流れていた。クラクションは徐々に大きく近づいてきて一瞬にして君を連れ去った。水たまりが割れた。水はいっせいに逃げた。空は四散した。すべて一瞬のことなのに私に

          考える

          一 人間も考えることを辞めたらものになる ものになる悦びを知ることになる 人間は考える葦である はずがない 足の生えた葦である ものごとの善し悪しを 外側に持つものである だったらどうなる どうとでもなる そして どうにもならない 考えることを辞められた試しがない 死ぬことを除いては 二 誰だったか知らない? 私は知らない ハキリアリが葉を運ぶ様子が 延々画面に映されている 切った葉っぱをどうするの? 農業をするらしいよ 立派なもんだねえ ほんとにね 彼は何を考えてるの

          カフェオレ広場を読んで(その3)

          今回でカフェオレ広場season3の感想はラストです。 前回は木葉揺さんの『街の灯』まで書きました。 それではさっそく前回同様敬称略でいってみよー こんな夜にかぎって 星野灯 「ほかほか」「つらつら」「なみなみ」「せらせら」各オノマトペに語り手の感情の起伏を感じた。 真夜中で他の店は「全て閉店時間」で「こんな夜に限って ハンバーガー」。故人を思うと「こんな夜」なのだが、「こんな夜」だから「ハンバーガー」というどこにでもある日常が心にそっと寄り添うのだろう。 ギフト

          カフェオレ広場を読んで(その3)

          カフェオレ広場season3を読んで(その2)

          前回は角朋美さんの『龍の通り道』まで感想を書きました。 さて、続きです。 さっそく今回も敬称略でいってみよー 紫 能美政通 「餡子餡子餡子餡子の連呼」を思わず連呼したくなる。意味で捉えようとするのやめた。音で楽しむ作品だと思う。言葉遊びが面白いのは言わずもがなだが、一番面白いのはタイトル。これだけ餡子と連呼して「紫」とつけるセンスに脱帽。もう餡子とかどうでもよくなってその色のみが残った感じがしてまさしく「紫雲に乗って虚空へと消え」たのだろう。 むらさき 全文ひらがなで

          カフェオレ広場season3を読んで(その2)

          カフェオレ広場season3を読んで(その1)

          カフェオレ広場season3を尾崎ちょこれーとさんから御恵送していただきました。 忙しい忙しいとなかなか感想に着手出来ていませんでしたが、やっと書き始めました。 今回は「食」がテーマということで、美味しそうな詩がたくさん読めます。 では、敬称略でいってみましょー。 「傘はもういらない」長尾早苗 祖母との思い出を描いた作品。 「(そういえばおかき揚げを最近食べていない)」という気づきがこの詩を書くきっかけになったのではないかと感じた。 きっと語り手は自分のことを泣き虫だと

          カフェオレ広場season3を読んで(その1)

          愛ならば知っている

          ジグザグで今にもちぎれてしまいそうだ。そんな私でも愛ならば知っている。昨夜、父親が首を吊った。死ななくてよかった。と思った。感情ってやつはどうしていつもちぐはぐなんだろう。始発電車だからか車両には私一人だった。 深夜、母からの着信で父のことを知った。電話越しの母は嫌に冷静だった。母は普段から声の平熱は低い。もともと声を荒らげたりする人じゃなかった。そんな母がより冷たい声で言った。 「お父さんが自殺未遂したから早く帰っておいで。」 「うん、わかった。」とこたえる私の声も低体温に

          愛ならば知っている

          神さま電話

          神さま電話は0120 スリーツーワンの エクリュでチャコールなガイダンス に従って 徒然にフォンコール 季節ごとに とりどりのしきたりがあり まずはじめにことばあり きたりに行方不明な エクリチュールの 明眸で玲瓏なる音色の 花が咲き 鳥が飛び 犬が吠えて 風が吹き 人は歩く けれども 神さまはどこにいる? どこにでもいる フォンコール 神さま電話は0120 ワンツースリーの 天竺のモダールの 艶のある肉感の 聳え立つそそり立つ 無言電話の フォンコール 裏刈りに満ちた

          歌舞伎町文学賞一次通過作品『歌舞伎町では歌えない』

          それは夏。きみは私が見えなくなるまで見送った。と思う。私はただの中学生だけど、アコギ一本でどこへまで行けるか試したかった。できれば、歌舞伎町まで行ってみたかった。 「本当に行くんだな?」 先生と二人きりの体育館。私は『血反吐を吐く』という文字列を意味もなく浮かべていた。体操着からほつれた糸がてろてろと飛び出しているのを見つける。体育シューズの靴紐が縦結びだと気がつく。 「そこまでして探すものなのか。きみにとっての人生ってやつは」 私はほつれた紐を爪で切ろうとしながら、先生の

          歌舞伎町文学賞一次通過作品『歌舞伎町では歌えない』

          ミシシッピアカミミガメを川に逃がす

          めりりきりりくるるっぱ とんで アグリッパアグリッピナ ひくことの 自由 を お まえに あ、たえる みしし っぴ あかみ みがめ を 川に逃がす そんで もって カワニナにする! 川に何する! とどのつまり、北米原産の外来種である。しかし、彼らが縁もゆかりも無い北米の地に思いを馳せるのはハリウッド映画を観るときだけだ。なぜなら、彼らはいつもカーチェイスをしているし、壮大な陰謀が渦巻いているし、突如として得体の知れない化け物に襲われることがあるからだ。 甲羅干し。それは表

          ミシシッピアカミミガメを川に逃がす

          帰り道の詩学 佐々木蒼馬詩集『きみと猫と、クラムチャウダー』を読んで

          佐々木蒼馬さんの詩は帰り道だ。それもどこへ帰るのか定まった帰り道ではない帰り道だ。かつて確かにそこにいたと思えるけれど、そこがどこははっきりと言葉に託せない場所。そんな場所を求めて佐々木さんの詩は歩み続ける。 詩集『きみと猫と、クラムチャウダー』はたどり着かない帰り道、その先で待っているであろう「きみと猫」、いつまでも帰途であり続ける詩人の確固たる歩みの記録である。 雨がふりはじめたのはちょうどそのころだった 季節が変わろうとして 風もばたばたしはじめて 世界はいま、大きく

          帰り道の詩学 佐々木蒼馬詩集『きみと猫と、クラムチャウダー』を読んで