失踪宣言
明け方の駅のホームで、日が昇るのが早くなったと感じながら、始発列車を待っていた。六月の朝はまだ少し涼しくて、すずめの囀りも、烏の鳴き声も耳触りがいい。ホームには私ひとりのようだった。向いのホームには何人か人がいて、朝帰りなのか大学生くらいの男の子と、スーツ姿の男性がひとり。二人とも、椅子に座りスマートフォンを操作していた。私も何か通知が来ているかもしれないと思って鞄に手を突っ込んでから、スマートフォンを川に投げ捨てたことを思い出す。そう、失踪しようと思って捨てた。仕様がないので、タバコを取り出したら、残り一本だった。
昨日、夜中に香奈からLINEで「いま時間ありますか?」とお決まりの文句が送られてきた。私は眠剤が効いていてふわふわした状態だったが、眠いのに寝れなくて仕方なく通話をタップ。
「ねぇ、薬増えたのに全然ねれないんだけど、これってどういうことかな?明日も仕事なんだけど」
もしもしとか夜中にごめんねとかもなくいきなり本題をぶち込むのが、香奈の通話スタイルだった。私は精一杯「知らんがな」と口から出そうになるを堪えながら「薬合ってないんじゃない?」と適当に話を合わせる。「てか、私は眠いのだが」と言わなかった私えらい。
「あのさ、聞いてくれる?今日うちのクソ上司に呼び出されてさ、配慮してやってんのに与えたケース数をこなせてないのはなぜ?って言ってくんの。は?なくない?こっちは毎日眠れなくて仕事中も頓服突っ込んで無理やり体動かしてんのになんで上からそんなこと言われなきゃダメなの?」「うんうん」とあからさまに適当な相槌を打つ。そもそも「聞いてくれる?」に対してこっちは了承してないんだけどな。そういうところが勤務中の態度に出てるんじゃないん?あと上司のこと悪く言う前に自分が仕事できてないことにはなんも思わんねや。そういうとこやぞ。そんなこと言わないけど、いつか自滅して痛い目みればいいとは思う。
香奈はとはツイッターで知り合った。三年前だ。うつで仕事やめてから二回精神科に入院。仕事の都合で海外にいる両親には、うまく病気の説明ができなかった。退院するたびに、完治したから退院したと思うらしく、仕事しろ仕事しろとせっつかれていた。理解されない悲しさは、私に何もかも諦めさせた。その分、承認欲求は旺盛だった。何もできない自分を誰かにみつけてもらいたかった。言ってしまえば、私は誰かに心配されたかった。だから、何でもいいから誰かに何か反応してもらいたくて、大量の薬の写真と『いまからのみます』と打ち込んで病み垢関連のハッシュタグを付けられるだけつけて、ツイートした。手のひらの大量の眠剤を本気で全部飲む気なんてなかった。目が覚めなければいいと思ってはいたが、死にたいのかはわからなかった。今思えばあの量じゃ死ねない。投稿した手前飲まないといけない気がして飲もうとした時、リプライをくれたのが香奈だった。香奈は優しかった。『大丈夫?』とリプライをくれた。私に寄り添って話を聞いてくれた。香奈は私より四つ年下で、双極性障害二型と診断されていることを話してくれた。私は自身も精神の障害を持ちながら、私の話を聞いてくれる香奈に感謝しきれないほどの恩を感じた。こうして、私と香奈の関係は美しく幕を開けた。
幕開けは美しかったんだ。幕開けは。私と香奈は共通点が多かった。病気で仕事をやめたこと、精神科に入退院を繰り返したこと。仕事の都合上離れてくらす両親。一人っ子で一人暮らししていること。好きなアイドルグループなどなど。自然と話も弾んだ。私は大学からずっと関西に住んでて関東に住む香奈とは簡単に会える距離じゃなかったけど、距離なんて関係なく仲良くなれた。でも、時折、香奈は捲くし立てるように話し続けることがあった。それも決まって誰かの悪口だったし、必ず私に同意を求めてくる。はじめのうちは話をあわせていたけれど、悪口ばかりだと次第に私もしんどくなる。私も影で何か言われているかもしれないと考えてしまう。それでもやっぱり、それ以外では話が合うので、基本的には仲良しだった。
だったのだが、香奈が障害者雇用で再就職してからというもの悪口の割合が増えていった。初めのうちは、まあ仕事はストレスたまるもんねと受け入れていたが、だんだん時と場合を選ばなくなり、早朝深夜でもお構いなしに電話をかけてくるわ、出なかったら翌日にぶつくさ不平を言ってくるわ、その悪口が全部相手が悪いなら同情の余地もあるのだが、いや、それはきみが悪くないか?と思うことのほうが多くてあきたりない。悪口だけならまだいいのだが、ツイッターの呟きにも変化があった。あからさまに忙しいアピールをしてくるのだ。一方私は一向に仕事が決まらず悶々とした日々を送っているのに、あてつけのように忙しい忙しいという。いや、忙しいならツイッターすんなよ。きっと私に良識のある友達がいたら、そんなやつなんか縁切っちゃえよって言ってくるんだろうけど、そんな友達私にはいなかった。いや、いたんだ。いたんだけれど、病みに病んで仕事やめる直前、すべてをリセットしたくなり、SNS、スマホの連絡先あらゆる人の繋がる情報を消したのがいけなかった。いざ消してしまうと思いのほかそれっきり連絡手段がなくなってしまった人が多かった。さみしくてSNSはすぐに出戻りしたものの、へんな距離感ができてしまい、めっきり人と交流できなくなってしまった。スマートフォンとかいう小さな長方形にどれだけ依存していたかを思い知らされた。というわけで私には友達がいなくなり、唯一の話し相手が香奈だった。香奈と縁が切れてしまうと私は外部との繋がりが全くなくなる気がして、縁を切れずに三年がすぎた。
で、昨日の話しにもどるんだけど、香奈の話に適当に相槌を打ちながら(適度に会話が成立する相槌ができるまで相槌スキルが上がっていた)私は何を聞かさせれているのだろうかと、考えを巡らせていた。私はまだ無職で、もう社会復帰なんてとっくに諦めていた。両親からの仕送りと内緒で申請した障害者年金でなんとか生活できてはいた(本当は余裕があるはずなのだが、ネイルしたいし、髪の毛もいじりたいし、何より酒とタバコがやめられない)が、散らかった部屋は生活と呼ぶには幾分か無様だとは思う。さすがにいつまでも仕事が決まらない私に、去年から両親も病状を気にかけるようになっていた。毎週末、父から国際電話がかかってくるようになった。毎回、元気か?で始まる父の言葉になんて返すとのが正解かわからずまあねと返すことにいつのまにか慣れていた。病状は安定してるよ。安定して憂鬱だし、安定して気怠いし、安定してお風呂は苦手だ。電話の締めくくりはいつも母親に代わって、お父さんももうすぐ定年だから日本に帰るし、いつまでも仕送りもしてやれないんだからねと言われた。
「ねえ?人の話聞いてる?」
「聞いてるよ」ととっさに答えたが、本当は聞いてない。
「どう思う?」
「なにが?」
「やっぱ聞いてないじゃん」
「ごめん」
「そういうとこがあるから就職できないんじゃないの?」
「かもね」お前にはそんなこと言われたくないと思う反面、文句言いながらも仕事が続いている香奈対して、早々に就活を諦めた私は反論できる武器はなど持っていなかった。
もともと諦めの早さは人一倍だった。小学生の頃、漫画家になりたくてたくさん絵を描いた。結構自信があってクラスメイトに見せて自慢もしていた。でも、私よりもっと絵の上手い子が現れて見向きもされなくなったから諦めた。絵がダメならと小説家を目指して、投稿サイトに短編小説をいくつか投稿したけど、たった一回の『つまらない』という感想に心を砕かれ諦めた。絵がちょっとは描けるのと、ストーリーが作れるから大学で演劇部に入部するも、脚本はまた勝手が違い難しかったし、絵は小学生から成長していない現実を突きつけられていつのまにか幽霊部員になっていた。そんな状態で就活が始まり大学の四年間で何をしてきたか答えられず、面接結果はお祈りばかり。やっとこさ、就職できたのは介護施設の事務員。通信で介護保険の勉強をし、それなりにバリバリ働いていたけれど、前述の通り精神を病み、仕事も諦めた。
「聞いてないならもういいわ、おやすみ」電話が切れた。
「あ、ごめん眠くて」と切れた電話に向かって言い訳を咄嗟にしてしまい、なんだか悔しかった。とっくに目は覚めていた。時刻は午前三時半。これから頓服の眠剤を投入すると今度は朝起きれなくなる。早起きする必要ないんだけど。いつかまた働きだしたとき生活リズムで困らないようにと備えている。諦めは早いのに、往生際が悪いなと思う。眠れそうにないので散歩することにした。
人通りも車通りもほとんどない深夜の国道沿いの道を歩く。夜更けの散歩は好きだった。寝静まった街、私ひとりこっそりと息をしている感覚。香奈に少しだけ申し訳ないことしたと思う。ちゃんと聞いてあげたらよかったかもしれない。でも、どうせ職場の愚痴なのに、なんで私が申し訳ない気持ちにならんとあかんねんとも思う。このまま朝まで歩くか、ほどなくして帰るかで迷う。などと考えながら歩いてたどり着いた名前の知らないドブ川に架かる橋で、川を覗き込むと、深夜なのに鯉がわらわらと川面に集まってきた。餌なんて持ってないからじっと眺める。なんも考えてなさそうな顔して鯉も鯉生がつらいとか思うんかな。
すると、ポケットに入れていたスマートフォンがブルブルと震えた。香奈だろうなぁ。めんどくさいなぁ。ほっとけばいいのに、ついつい確認してしまう。通知には山本の名前。誰だっけ?と数秒考えてから、入院してた時に、しつこく連絡先を訊いてきて渋々LINEを教えたおじさんだと思い出す。そういえば、なんの病気で入院してたのか知らないけど、やたらとハイテンションで初対面の時から私のことちゃん付けで呼んできて、うぜって感じたな。あんだけしつこく連絡先聞いといてなんも言ってこないから拍子抜けで、なんとなくブロックできずに放置していた。
『久しぶり!元気?寝れなくて暇だったからラインしちゃった』
しちゃったってなんだよ、きも。寝れなくても、そんなに親しくないんだから深夜にLINEしてくんな。と思いつつも、
『山本さん、お久しぶりです。元気ですよ。私も寝れなくて起きてました笑』なんて返してしまう私はやっぱさみしいんだろうな。同じく寝れなかったなんて情報言う必要ないのにな。速攻で既読がつく。だが、そこから返信は来なかった。なんだよ。いちいち、拍子抜け野郎だな。二度と話しかけてくんな。
それから二十分ほど、ぼーっと鯉を眺めていた。またポケットでバイブレーション。香奈かはたまた山本か。今度はすぐに確認する。山本だった。うわ、長文だ。
『こんなこといきなり言うのきもいかもしれんけど、ぼく、ずっとみっちゃんのことが好きやってん。病院で一緒に院内散歩したん覚えてるかな?あん時、一緒に喋っててええ子やなぁって思ったんよね。ぼくみたいなおっさんのこと興味ないと思うし、きもかったらきもいって言ってな笑笑。あ、そうや、OTでみっちゃんが描いてくれた絵まだ持ってんで。ちょっとぼくの知らん漫画やったけどみっちゃんが描いてくれたから退院してから真っ先に買って読んだ。面白かった。でも、漫画の面白さよりもみっちゃんと同じ漫画を好きになれたことが嬉しかったなぁ。あかん、またキモいこと言ってる笑。あとあれや、病棟で一緒にカラオケしたんも覚えてるで!手拍子してくれたからめっちゃ気持ちよく歌えたわ。やっぱええ子やなって思ったよね。ほんで、みっちゃんめっちゃ歌うまいからびっくりしたわ笑。なんか話があっちゃこっちゃいってもうてごめんやで笑。なんで今更って思うかもしれんけど、ぼくみたいなおっさんはあかんやろなって思って諦めてたんやけど、最近、ぼくも五十過ぎて年取ったなぁって思ったらこのまま、ずっと想いを隠して死ぬん嫌やって思うようになってん。大袈裟ちゃうで、本気やで。ぼくみたいなおっさんきもいかもしれんけど、この気持ちだけは伝えておきたかった。好きです。ぼくみたいなおっさんでよければ結婚を前提にお付き合いさせてください。お願いします』
うわ、どうしよう。どこからツッコミ入れるべきか。まず残念なことに私はみっちゃんではなかった。みっちゃんは同じ時期に入院していた私と同い年の女の子。確かに絵は上手いし、歌もうまかったし、おだてるのもうまかった。みっちゃんの端々に漂う計算高さが苦手で私は距離をとっていた。で、微妙に私との思い出が混ざっていて辛い。うん、山本さんと院内散歩したし、手拍子をねだられたから手拍子もした。だが、私は頑なにカラオケで歌わなかった。みっちゃんの歌に圧倒されて歌う自信がなかった。それとこの文章何回『ぼくみたいなおっさん』って言うんすか。自分大好きかよ。どうしよう既読つけちゃったよ。立て続けになんか送ってくるし。『ダメだったかな?』『迷惑だよね』『ごめんね、無理ならいいんだ』『ごめんね、困らせたよね。本当にごめん』……etc
意を決して返信しようと思った矢先、香奈からのメッセージ。『さっきはごめん、眠かったよね、いつも寝てる時間だもんね。なんかずっとお姉ちゃん(香奈はなぜか私を姉と呼ぶ)に酷いことしてる気がしてさ。いつも愚痴ばっかり言ってごめんね。もし起きてても返事いらないからね』
なんで香奈が突然しおらしく謝り出したのかわからないが、おかげで山本さんがどうでも良くなった。山本さんに『ごめんなさい』とだけ返信して厳かにブロック。香奈に謝られたことが何故か私にはショックだった。謝るなんてずるいと思った。だって私は、香奈のこと内心痛い目見ればいいってずっと思ってたのに。私だけひどいやつみたいやん。そんなんズルい。ズルいズルいズルい。
で、何を思ったのかスマホを放り投げていたわけで……。そして、何を思ったのか、始発列車を待っていて……。でも、行き先は決まっていた。香奈が就職した時にお祝いを送ったことがあった。だから、住所は知っていた。初めての関東旅行だ。またいろんな人と連絡が取れなくなったね。いろんな人のことを思い浮かべる。両親のこと、かつての仲良かった人たちのこと、キモかった山本さんのこと、どこで何してるか知らないみっちゃんのこと、そして、これから家に押しかけてやる香奈のこと。思い返すと案の定稀薄な人間関係だった。だからなんだ。あの長方形の機械ひとつで潰える関係なんてどうせ、いつか潰える。そんなことで潰えるなら、そいつがどんなにムカつくやつでも、憎たらしいやつでも、私だって同じくらいひどいやつなんだし、会いたい人に会いに行くと決めた。
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