虎に翼第十八週

今週は、日本国民の戦争責任についての話だったのだ。

だからこそ、朝鮮人差別が引き起こした事件から始まる。今週は全てが一続きである。あの戦争の「大日本帝国」の範囲を、金曜日の時点で今再び考える必要がある。


金兄弟の「故郷」についても考えなければならない。

1952年のサンフランシスコ条約で、(併合により付与されていた)日本国籍が奪われ、暫定的に「朝鮮」という地域を国籍として与えられる。「朝鮮」という国はこの時に無い(1948年に、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国がそれぞれ成立)ので、これはあくまでも地域である。
そして、物語の時点は朝鮮戦争の真っ只中であり、二つの国は対立している。

幼い頃両親と共に新潟に移り住んでいた二人。
(兄弟の年齢は明らかにされていないと思うけれど、彼らが生まれた時には、すでに朝鮮半島は大日本帝国下だったのではないか?と思うのだけれどどうだろうか。)
過ごした時間は日本の地が圧倒的に長いであろう。

彼らの「故郷」はどこなのだろうか?
長く過ごした地である日本からは排除され(国籍の上でも、差別的な眼の上でも)
生まれた地である朝鮮は、二つに分裂している。国籍を決めるということは、南と北、どちらを選択するのか?ということでもある。

(上記は「朝鮮籍とは何か トランスナショナルの視点から」(李里花編著)を参考にして書いた)


金兄弟と、(おそらくすでに帰化している)香子/ヒャンスクが、朝鮮語の手紙の上で重なり合う。

香子/ヒャンスクの"捨てた・捨てなければならなかった"「故郷」は(場所は明かされていないけれど)、南北に分裂してしまう前の朝鮮半島としてあるのだろうとも想像する。
顕洙が「解放後すぐに帰れば良かった」と書いたのも、分裂する前のこの「故郷」なのではないだろうか…


私は、本当に恥ずかしながら、虎に翼の物語が始まるまで、在日コリアンの歴史について詳しく知らなかった。香子/ヒャンスクの存在によって、勉強しなければ、と思い本を読み始めたのだ。
勿論、本を読むだけでわかるわけがない。ずっと、知り続けようと努力する必要があると感じる。私自身は無力だけれど、事実を知らないと、知ることのできない感情というものがある。


星航一の告白に戻る。戦争責任。国民は無力だ。「あなたのせいではない」それでも、その一端は自分にある。自分たちにある。

この瞬間の、ドラマの中の、登場人物の感情として共感ベースで消費してはいけないと思う。
ドラマの時点から72年経った今を生きる私たちは、この国の起こした負の歴史についてどう受け止めるべきなのか?

その葛藤が、昨日の回の入倉の言葉に繋がるのではないか。「昔のこと」と、それに対する無力さと、負の感情が反転してしまうことの差別と。ネットに溢れるヘイト、それを支えるおままごとのようなナショナリズムを日々見つめ、入倉というキャラクターがここに登場した意味を再び考える。

8/1の回について、昨日書いた記事へ繋げる。歴史を知った上で、私たちはどう語るべきか。どう生きてゆくべきか。
そのヒントは、今週の優未の「優しくないよ。困ってる人を助けるのは当たり前」・航一の「感謝されることではありません」にあるのではないか。

「平等」がフラットにするもの。
無かったことにするわけではない。尊重されるべき個が持つその背景と。それとは別の地点において、個を個としてある一点で取り出すことと。



簡単に答えは出さない。考えながらこれからも生きてゆく。

虎に翼第十八週、(勿論ほかの週も素晴らしいけれど)この週だけを取っても、このドラマを観られて本当に良かったと思う。

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