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ガリガリ君チョコミント味と筋肉とパワーヨガのメモランダム

ガリガリ君チョコミント味と筋肉とパワーヨガ考

らららちぽちぽ

ガリガリ君リッチチョコミント味が発売されてから、ガリガリ君を毎日食べている。
わたしは夏が大の苦手で、おそらく読んでくださっているあなたが想像する17倍ぐらいは苦手なのです。
夏の醍醐味はアイスが美味しいことぐらいしか見つからない。強い陽射しは帽子をかぶっても日傘をさしても頭痛につなかるし、陽に焼けたら黒くはならず赤くなるタイプの色白なので、油断すると皮膚がほてり、酒灼けのような見た目になる。かっこわるい。
春を迎えると、夏の予感がはじまり、なにをモチベーションに生きていけばよいのか考える。そこで今年満を持して登場したのが、ガリガリ君リッチチョコミント味。チョコミントアイスはそれなりにあるし、バニラアイスなども美味しいものはたくさんあるのだけど、微妙に違う。高級なアイスは乳脂肪分が高く冬はいいのだけど、夏はしつこく感じる。ガリガリ君リッチチョコミント味は、ガリガリしたチョコチップと氷が中に入っていて、清涼感としては最高のものだった。これを夏を生き抜く糧にしようと歓喜しながらガリガリ君を食べていたら、ガリTなるTシャツが当たった。食べすぎである。ガリガリ君の神に愛されている気がし、「わあ、食べて内側からもガリガリ君チョコミント、ファッションでもガリガリ君チョコミントを纏える! 心身ガリガリ君じゃない……」とノリノリになる。
かと言って、ガリガリ君Tシャツを着る機会といえば、おそらく部屋着かスポーツの際ぐらいなので、パワーヨガにガリTを着ていこう〜うれしい〜おしゃれできれいな女性ばかりのパワーヨガ教室でガリT最高にいけてる、と考えながら、昨晩パワーヨガやダンスをしてきた。
パワーヨガは運動量が高く筋肉を使うヨガで、汗をだらだらかくしつぎの日は筋肉痛になる。そしてわたしは筋肉がないことをいつも痛感するのだ。どこの筋肉を意識して、とインストラクターの方は教え方がとても上手なので、意識を研ぎ澄ませば研ぎ澄ませた分だけ、筋肉のなさを思い知るのだ。スポーツクラブには、筋トレができるマシーンがたくさんあり、アドバイスしてくださるトレーナーの方もいる。一回もやらず常にマシーンの前を素通りしている。最近腕の筋肉とお腹つまり腹筋が特にないことがわかったので鍛えればよいのだけど、マシーンと自分、自分と機械、ダンスのような文化性や躍動感もない、それは機械によるただの監禁生活、刑務所生活みたいなものなんではないか、と根拠なき飛躍が浮かびなんだかいつも筋トレを想像するだけで咽び泣きそうになる。筋トレを黙々とやっているのは男性が多いのだけど、どうしても悲しすぎてやる気が起こらない。
ヨガやダンスだけしていたいたいけど、ヨガやダンスの上達には筋トレが欠かせないこともわかってきた。けれどやろうとしても悲しくなる、宇宙でひとりぼっちみたいな感覚がする、だから筋肉は必要だけど筋トレできない。これは輪廻だ。解脱に向かいたいのに。
パワーヨガをはじめたらすぐにきっつー! となる。呼吸を整え筋肉を使いポーズをとりキープしてゆく繰り返しなので、筋肉がないと部分に関してはプルプルしたりポーズそのものがとれなかったりする。そこそこある能力といえば、柔軟性ぐらいだ。これは子供のころクラシックバレエや水泳をやっていたからおそらくその貯金でしかない。貯金を使い果たしながら生きてきたことを実感する。一人穀潰しじゃん……とパワーヨガの最中に思う。
インストラクターの先生がやり方を教えてくれる際に、先生の身体には脂肪がなく筋肉が美しくついていて、見せるための筋肉ではなく使うための筋肉の静かな躍動があり、その様に見ほれる。先生はアスリートなのだ。ちなみに、わたしが習っているパワーヨガにおいては、どんなに美しい方がいても先生の身体が美しくとも、よこしまな気持ちを持つ余裕も環境もない。割とスパルタである。なにも考えずに、自分の身体を見極めてゆく作業の連続で必死なので、人のことを意識できなくなる。前に騒がれていたキャバクラヨガなるものが万一成立するならば、どんだけ逆転の発想なんだ……いつよこしまだったりエロティシズムを感じるんだとある意味その想像力は尊敬では?と思ったりする。おそらくヨガは定期的に風評被害にあっているけど、内的宇宙みたいな概念とは相性がよいしインドの宗教発生なので、スピリチュアルと親和性が高い。わたしが習っているパワーヨガは、宗教性を排除したトレーニングなのだけど、ポーズの名前はたぶんヒンドウー語かなにかだし(適当)、最後ナマステ〜と先生や空間や時間に感謝する。だからスピリチュアル系の人が人を囲い込む際にヨガを悪用するのはなんとなく想像はつく。けれど、ソフトエロティシズムと結びつけている人がいるとしたら、逆にその想像力に才能を感じる。ヨガの本来的な目的から全力で逆走しているようなものだらかだ。
そんなことはどうでもよくて、ガリガリ君チョコミントのおはなし。インストラクターの女性の先生がサントウキン? とやらの腕の筋肉を意識して使用するポーズの見本をしてくださった際、そのパワーヨガに最適化された身体を感じる。鏡ばりのスタジオで習っているので、自分のポーズを時折確認しながら進めるのだけど、先生と比べてなんてへなちょこなんだ……と少しがっかりする。あまりにも身体がパワーヨガに適していない。たぶん痩せ型とかはあまり関係なく筋肉量がたりていないからだ。このへなちょこさって、なんなんだろう……ガリガリ君先生は毎日食べていないんだろうなと反省モードになりながらヨガをおえた。
ガリガリ君チョコミントを毎日食べている限り、身体を操るもうひとつ超えた世界をみることはできない。体幹が強めの人は、なにか堂々としているように見える。それは単純に筋力があるので姿勢やバランスがよいのだけど、身体性と精神性や世界への視座というのは連動しているはずなので、体幹が強い身体で生きてみた場合を経験してみたい。へなちょこ身体の経験はもう充分なのだから。
やはりここでノリノリでガリTをもらってガリTを着てヨガをしたら超越は経験できないのではないか。そんなガリガリ君とヨガとのはざまで葛藤をしながらエアロダンスをしていたら、インストラクターの方から「今日はがんばりましたね! からだで振り付けを覚えていましたね!」と評価をしていただく。先生ごめんなさい、ガリガリ君とパワーヨガのことを考えていただけなんです、エアロダンスに対して心ここにあらずだったんです、自意識過剰がなかった分勝手に身体で先生を真似て踊っていただけなんです、とシャワーを浴びながらエアロダンスの先生に謝罪した。そして、ある意味で集中しない方がまともに踊れているなら、自分ってなんなんだろう、なんの意味があって思考してるんだと自分の意識や思考の無意味さをまたおもい知る。
シャワーを浴びて身体や髪の毛を洗い、ジャグジーに入る。わたしは視力が弱いのでメガネを外しているから、一緒にジャグジーに入っている女性のことがあまりみえないので体力疲労もありリラックスできる。リラックスして考えたのは、ガリガリ君チョコミントとパワーヨガのことばかり考えながらエアロダンスに取り組んでしまったのは、それこそがよこしまな気持ちではなかったのか。ソフトエロティシズムは介在していないけど、己へのスケベ根性と捉えたら、キャバクラヨガなるもの(実際にあるのかは知らない)を軽蔑するだなんて、なんて傲慢なんだ自分とつらつら考える。結局リラックスしたら無駄思考炸裂である。
スポーツクラブをでて、夜中になった街を濡れたトレーニングウェアなどが入った重いバッグを肩にかけて友人と一緒に歩いていると、明日ガリガリ君チョコミント味食べたいなあとしみじみ思った。考えることに疲れお夕飯にあたるご飯を食べずに爆睡した。スポーツすると無駄考えが汗と流れてゆく。だからわたしのような無駄思考炸裂人間には必要で、結局朝起きたら気分爽快でうれしい。前日スポーツクラブに行く前に作っておいたお野菜と胸肉の和え物をたべて、ヨーグルトとキューイフルーツを食べて、健康的だあと実感しつつ冷凍庫のガリガリ君チョコミント味を温かいひきたてのコーヒーとともにいただいた。至福であった。まあいいか……
ガリTもらって、もらってからまた考えよう。また考えるのか、考えたくもないけど考えるのだろうな。ガリガリ君チョコミント味、ガリT、パワーヨガ、ダンス、インストラクターの先生方、すべてが今のわたしの身体を司るものなので、大切な存在なのだ。ガリガリ君チョコミント味とこんなに向き合う必要があるのだろうか。答えはないよね〜。

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