少し思い出して、苦しくなった
こんな時間まで起きてるからなんだけど
早く寝とけばよかった話なんだけど
寝れない時はもう寝れないし
そんな時は悪いこと思い出しちゃうし
苦しくなってしまったから
ここで消化させてほしいというわけです
母が、苦手です
大好きなんだけど、家族は大切で大好きなんだけど
母とずっと2人でいることは厳しいのです
物心ついた頃から母とはすれ違いの日々でした
価値観合わないなあって思いながら過ごしてました
でもそんな母が大好きで、褒められたくて、たくさんお話ししたくて
高校2年の時、私は鬱になりました
昭和頭の母には理解し難い事で、心の病気は嘘だ、心が弱い人がなるものだ、などと主張していました
学校や習い事を病気以外で休むことは許されない家だったので、熱も出ない鬱で休むなど許されるはずもなく
毎朝引きずりながら起こされ、泣きながら準備をし、母と喧嘩をしながら車に乗せられて送ってもらう毎日でした
送ってくれることには感謝がありますし、こんな私にも毎日お弁当を作ってくれていたことは有難いです
どうしても早退をしてしまって、そのお弁当を家で食べる日は、申し訳なさと情けなさと不甲斐なさでいっぱいでした
そんなこんなで思うような治療は受けれず、高校卒業まで鬱は続きました
大学受験は1つだけ受かりました
地元の中では1番の公立高校でした
大学受験が当たり前で、東大だって出てる人がいるようなところでした
友人たちが勉強に向かっている間、私はペンを持つことも教科書を読むこともできませんでした
手が震え、文字が歪むのです
そんな中で大学受験できたことが奇跡でした
受かったことなんてもっと奇跡でした
同じ高校の人からすれば、滑り止めにもしないような私立大学ですが、私はここでも友人には恵まれています
もちろん悔しい気持ちもたくさんあります
あれだけ勉強を頑張っていて、部活を頑張っていて、後輩たちから慕われるような、この上ない贅沢な幸せな日々を過ごしていたのに、
思うような受験勉強は出来ず、公立大学なんて受験もせず、最後の部活も練習に打ち込めなかった
後輩や仲間たちには心配をかけ、失望させ、合わせる顔がないなあと感じていました
高校生活なんて一度しかないのに、私の思い出はコロナと鬱です
頑張らないことは贅沢だなと思っていました
頑張れないことに比べれば幸せです
ですが、頑張らないと決断するには勇気が必要です
鬱になる前は、母が怖くて頑張らない決断をすることはできませんでした
今でもバイトを休む時、学校を休む時、母と離れて暮らしていても、まだ怯えて生活する毎日です
ですが、今はもう、頑張りすぎて鬱になることへの恐怖が強く、頑張ることに臆病になっています
時間は私を置いていきます
社会は私を待ってはくれません
この葛藤はただの甘えなのだろうか
それとも頑張らないことは正しい判断なのか
答えが見つかる気がしません