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【人体実験#7】内側を整えるとアイデアが勝手に降ってくる
今週の人体実験を振り返っていく。今週も気づきは非常に多かった。
小さな思考を丁寧にキャッチする。これは日々の言語化のおかげだ。思考キャッチのトレーニングにもなっている。まだまだ奥が深そうだ。これだから思考も、人体実験も、やめられない。
先週の気づき
仕事編
同じ日々でいい。アイデアが出ない日があっても良い。「丁寧」という心地良さを味わい続ける。
「人目が気になる」について内面と向き合う→自分の中で何が起きている?
自宅編
できないことはやらない
書く習慣の取り入れ→2日に1回はジャーナリングをしてみる
結果
仕事編
月曜日
人が近くにいる
わからないことを対応してもらった
ロッカーに人がいる
事実だけに注目して世界を見たらものすごく気持ちが楽になった。今までがかなりのネガティブラベリングで消耗していたことに気がつけた。
火曜日
「歩いている、キーボードをタイピング、指を動かしている」
人の動きだけを言葉にする。そこに感情は入れない。事実だけの言語化。これは使えた。雑念が出てきたとき、気になった時に使うくらいでこれはいいかも。
もう1つ感じたことは、「丁寧」を追求したときの心地良さを再現したい。丁寧に浸かっていたときはものすごく良い。心地良さに夢中でいて、なんか最高だった。今度はこの感覚を再現しよう。
ゆっくり?
文字だけ見る?
話す時みたいにワンテンポ置いたムーブメント?
とにかく言語化して、使ってみてヒントを探す。
水曜日
退屈な1日だった。その理由は、ニュートラルを意識しすぎて感情を味わうのを忘れていたから。「人目が気になる」の暴発を抑えるためニュートラルを強めすぎてしまった。
「ニュートラル」、「夢中」、「癒し」の3つの心地良さを使いこなせたらとんでもない内側革命になりそうだ。
木曜日
ニュートラルになれるフレームワークが朝にひらめいた。
①感情、解釈を言語化
「外が騒がしいな。人が多くて嫌だな。そうだよな。それでいい…。」
②事実
「モニタが2つある。右手にはマウスが置かれている。左モニタにはログイン用のコードが印字された紙が置かれている…。」
③丁寧に心地良さを味わう
「少し落ち着いてきた。いいねこの感覚。このすーっとしてくる感じが好きだ。本当にいいな。…」
新しく開発したフレームワークで少し落ち着けた。なんかホワホワした感覚でだるんだるんな自分になった。意外とそれが心地良い。ホワホワはきっと前駆体だな。
ニュートラルフレームワーク→脱力(ホワホワ)→夢中(丁寧)
以前の考察を踏まえたら、夢中に入る過程はこの図式だろ。おそらくそうだ。夢中についてかなり掴んだかもしれない。
金曜日
喰ったぞ。自習時間、長い待機時間の使い方を掴んだ。「丁寧」の練習、壁打ちに使える。ミカタイプを丁寧にやり、夢中を再現する。そのトレーニングが延々とやれる。
やってみたら悪くなかった。今日一の心地良さを出せた。追求したらもっと楽しめる。退屈な時間を再現性もって「心地良い」にできる。いける。最高だ。
今週はかなり思考が進んだと思う。突出してよかったのは次の3つだ。
「人目が気になる」の正体をつかんだ
夢中とは「丁寧」で、そこに至るプロセスが見えてきた
退屈を封殺できたかもしれない
自宅編
夢ノート→○
ケンジスピリット視聴→○
ジャーナリング→○
身支度ラジオ→○
今週は行動が少ないというか、ほぼ固定化されている。定番とも言えるアクションが見つかってきた。
聞いて聞いてあのね、1つ嬉しかったことがあったの。夢ノートとジャーナリングが習慣的に書けたんだ。今までが気分次第でブレブレだったけど、今週は意図して書けた。書く時間を確保できた。その要因はきっと「if-thenプランニング」にある。
つまり、「いつ・どのくらいやるのか」を先に決めていた。夢ノートなら「朝食終わりの最初10分だけ」、ジャーナリングなら「風呂上がりの最初15分だけ」と決めていた。幸いなことに今回はそれがカチっとハマってくれた。2日に1回ベースで書けている。これはすごく婚しかった。
一方で、不調だったときもある。水曜日以降からなぜだか調子出ないし元気もなかった。ここについては考察していこう。
考察-仕事編
「人目が気になる」の正体をつかんだ
以前から謎のモヤモヤがあった。外出を拒むくらいに他人がダメだった。人目が気になっていた。そのことを先週になって自覚できた。そして大愚和尚のYouTubeでヒントをつかめた。
モヤモヤの正体は「人目が気になる」だった。日々の不快感、雑念、妄想の正体が「人目が気になる」という仮説とみた。
大愚和尚の動画で「全ての問題は己がつくっている。問題は常に内側で起きている」と学んだ。思い返せば、人目が気になるときはいつも解釈やネガティブラベリングばかりしていた。外出や集団への不快感は解釈世界に沼っていたから。
試しに事実だけを認知して外を歩いたら不快感は減った。「人が歩いてきた」「車が走っている」と捉えるだけかなり変わった。これは追加で検証したい。不快を減らして心地良さを高めるヒントがありそうだ。
仕事でも試してみたら、うまくいった…!いつもより少しは落ちつけている。明らかに変化していた。
人が近くを歩いている
対応者が回答をした
まだぐらつきはあるもののニュートラルに行動を言葉にしてみたら波は収まる。今後はこれの実用化を考えるフェーズだ。どういう使い方がしっくりくるのか。
シンプルな使い勝手、使いやすさへと改良を重ねる必要がありそう。
夢中の方程式
夢中について、今までは「ワクワクしている」イメージが強かった。集中状態にあって「おもしれー!」とテンションが高い様子。間違ってはいないが、それだけが夢中と定義したら詰まる。それ以外は夢中ではない何かだ。
そこであるとき気がついた。
「僕の考えていた“夢中”って“熱中”のことじゃん!熱中でなくても、夢中と思えた瞬間はあったな」
それから夢中について考えてみたら、実は「丁寧」に仕事しているときとか、「丁寧」に何かを書いているときも夢中だと思い出せた。
図にしたらこんな感じに相関図が見えてきた。
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僕にとっての心地良さは「夢中」で、夢中を作っていくのが「丁寧」だった。
思考がクリアになった。シンプルな頭になると、不思議と次のアイデイが降ってきた。心のザワザワを鎮めるフレームワークがある朝に思いついた。
感情、解釈を言語化
事実
丁寧に心地良さを味わう
これを使ったらなぜだか落ちつく。シンプルな思考でいると自然と「丁寧」にアクセスしやすくなった。フレームワークを使うと脱力できた。そこから丁寧にアクセスできる。
ニュートラル→脱力→丁寧(夢中)
感覚というやつは段階を経て体にまとってくれるみたいだ。この一連の流れは覚えておこう。再現性もって仕事に夢中になれそうだ。
退屈を封殺できたかもしれない
繫忙期が過ぎて待ち時間が増えた。非常にありがたいことだがこれが苦痛だった。
僕の職場はセキュリティに厳しい。私語も離席もできない。私物は当然持込不可なので待ち時間は退屈でしんどかった。PC内のマニュアルとか資料の閲覧はOKだけどおもしろくはない。見る気がしない。これはかなりしんどい。
閑散期をどうしようと悩んでいた。そんなときに『夢中とは「丁寧」で、そこに至るプロセスが見えてきた』経験があった。業務中であれば楽しい状況になった。待ち時間だけは苦痛だった。
「これはなんとかならないかな」
そう悩んで数日だった。またアイデアが出た。PCにある「美佳タイプ」で実験できそうな予感がした。タイピングを丁寧に、丁寧にやってみる。するとどうだ、退屈感は少しだけ遠のいた。
これだ。美佳タイプを使って「丁寧」のトレーニングをする。テニスでたとえたら壁打ちだ。ひたすら美佳タイプを丁寧にやってみて、夢中を再現するためにはどういう動作でどこに意識を向けたら良いのかをつかんでいく。
まさに研究であり自主練だ。
やば、待ち時間最高じゃん。ていうかそこに気がつけた僕すご。心地良さを追求しまくるとこんなことになるのか。やばすぎんだろ。おもしろすぎ。
考察ー自宅編
平日後半から失速だったけど、どういう具合でどういう感じにだるかった?
わけわからないだるさだった。頭に達和感があるような、そんな変な具合だった。
そのときに考えていたことは?
何もする気がない
つまらない
なんでこんなにだるいんだ
何もかもにイラっとする
しんど
めんどくさい
このあたりの言葉でループしていた。
心当たりはあったりする?
うーん、あんのかな。でもきっとありそう。まだフワっとしているけど、きっと「行動」とか「doing」あたりに関係していそう。自己受容前の無気力期間と少し似た感覚はあったかも。行動に囚われていたのか?
「~しなきゃ」という思考はある?
あるかも。義務感が芽生えているところはちょいと感じる。「もっと良くしなきゃ」と思って試行錯誤に走っているのが今の自分かも。どこかで「何もできなくていい」とは考えているがdoingが肥大化しているのだろうね。
たとえばどういう思考でdoingに向いている?
もっと人体実験をおもしろくしなきゃな
今より心地良くなるアイデアや手段を見つけなきゃ
ダラダラ過ごしている場合じゃないよな
なるほど、まじめな思考が出てきていたのか。かつての僕だ。努力に囚われていて、生産性第一にしていたときの自分だ。
自分の思考を見返してみたが、つまらないな。おもんない。ワクワクはしてこない。
頭の中がどういう思考であれば満たされそう?
書くの気持ちいいな
YouTubeおもしれえわ、やっぱ最高だ
お布団最高だな、落ち着く
こういう感じが一番だな...。
そうか、「心地良さ」とは 「ホッとする、安心する」ということなのかも。自宅で追求する心地良さがようやく見えてきたかもね。
僕にとっての心地良さは?→安心
安心を言葉にすると?→ホっとする、落ち着く
これじゃん。ようやく方向性が見えた。てことはだ、心に問いかける言葉はこうなるのでは?
「どうしたら今ここでホっとする? 」
あ、すごい。安心にアクセスしやすいぞ。となれば次はこの問いかけを使った実験を自宅でやっていきたいね。それなら やってみてもいいかもしれない。
ここまでをまとめると
行動・生産性に囚われる思考ばかりだった
自宅で追求したい心地良さは「安心(ホっとする)」
次の1週間かけて丁寧に試したいことは
「どうしたら今ここでホっとなれる?」を心に問う
素直に出てきたアイデアをキャッチして実行
逆ToDoリストに記録&週末で考察
思考を整理してみてどんな感じ?
すごいめっちゃスッキリした。ジャーナリングは人体実験を覚醒させるアクションだったのか。おもしろいな。
あら、気づいたら90分も書きっぱなしだ。たのしかった。
今週の振り返りは以上です。ありがとうございました。