9/20 自立の話
じりつ【自立】
他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。
ひとりだち。「経済的に―する」
出典:広辞苑
最近、いろいろな人に「長濱さんはしっかりしてて偉い、自立してる」と言ってもらえる。
世間一般での同年代との繋がりがあまり無いため、私が本当にしっかりしているのかがわからない。
正直、「25過ぎてしっかりしてなかったらやべえだろ」と思っている。
私は自立という言葉に囚われ続けている。
私は自分が社会不適合者であると思っている。
小学生〜中学生の間、生徒会長など目立つことはしていたが、友達と呼べる人はいなかった。
いわゆる陰キャだった。
友達だと思っていても、相手はきっと私よりも大事な友達が居て、私は常に二の次なんだなという意識があった。
いつも仲良くしているグループで、私だけが遊びに誘われないなんてザラだった。
当時は私も幼かったし、親からは「協調性がない、愛嬌がない、仏頂面でムカつく」とよく言われていた。
その後、地元からは誰も行かない私立高校に進学した時、ようやく友達ができた。
その頃は毎日楽しかった。
それでも人は残酷なもので、私の存在が気に食わなかったリーダー格の女の子を中心にいじめの波が広がり、あっという間に居場所は無くなった。
結局、ここでもうまくいかず、以前話した全寮制高校への転校を余儀なくされた。
この時点で、親が言う通り、きっと私に何か問題があるからこうなるんだと思っていた。
いじめる側や仲間外れにする側が100%悪いのは承知だ。
それでもここまで人間関係に難があるということは私がおかしいのかもしれないと。
その後、人間関係は問題なかったが短大も適応障害で1年休学している。
私は原因がどうであれ、学校という小さな社会に馴染めなかったのだ。
新卒で正社員として採用された銀行ではパワハラに遭い、まともに働けないまま辞めてしまった。
この辺りから、何者にもなれない自分を責めていた。
ようやく働いて、親の援助無しに生きていける、冒頭でお話ししたように、自立ができる。
とにかく私はそこに重きを置いていた。
一度絶縁まで行った時に、お金が無ければ何も生活ができない、何をするにもお金がいる、と箱入り娘だった私はそこで初めて実感したのだ。
経済的に自立をしないと、自分のやりたい事ができない、親とも縁が切れない。
今は無事に親と仲良くやっているが、お金が無ければ頼るのは親か消費者金融しかいないのだ。
だから私は自立というものに固執した。
それなのに私は自立できなかった。
社会不適合者だから、会社でもダメだった。
きっと私と同じか、もっと辛い思いをしている人がいるのに、私は社会不適合者だから逃げてしまったのだ。
そして自分が社会不適合者だと思えば思うほど、早く自立してその過ちを取り返さないと、と焦るようになった。
そんな当時、親の仕送りもあるのにお金の計算がガバガバで、食費もままならないなかでも借金をして、美容家電を買っているような知人がいた。
働いても長続きせず、大学も休んだり留年したりを繰り返して、遂には水商売にまで手を出していた。
その人とは仲良くしていたのだが、自立をしていないその様子に腹が立ち、お金のことと将来のことをもっと考えて行動しなよ、と注意をしてしまった。
その時に「そんなに自立自立ってさ、君だって仕事にまだ就けていないのに、なにをそんなに焦ってるの?」と言われた。
この時何を思ったかは覚えていないが、その人とはそれがきっかけで疎遠になり、今どうしているのかはわからない。
そして話は冒頭に戻る。
「自立してて偉いね」「考えがしっかりしてて立派だね」「将来のことも見据えて凄いよ」と本当によく言われるようになった。
その度に、「私は親の脛齧り女子大生だから何ひとつ偉くないし、自立もできてない」と返している。
実に的外れで失礼かもしれないが、私は自分をそう評価している。
恐らく周りの人が言うのは「精神的な自立」のことだろう。
世間一般の25歳を知らないが、一度大学を卒業して就職をしたのに、自分の食い扶持のため、国家資格を取得するために大学に入り直す考えに至って行動に移す事が「自分にはできない」という。
私から言えば、お金のため、趣味のため、家族を養うためと言った理由で辛い仕事を毎日頑張っている人の方が何億倍も偉い。
もちろん、死ぬほど多い課題や落ちたら終わりのテストや実習をこなす学生だって偉い。
そこに優劣の差は無いのだ。みんな偉いことに違いはない。
でも、私は何も偉くない。
何故なら経済的に自立をしていないから、ただそれだけだ。
社会から逃げて、辛い仕事から逃げて、親の金で私立大学に行って、親の金で生活しているどうしようもない女だ。
幸いにも私の取得する資格は、この先しばらくは食べていく事には困らないだろう。
結婚相手が転勤族でもその土地で働ける、それくらい強い資格だ。
そして私は取り敢えず現時点で確固たる目標を持って勉強している。
常に疑問を抱いて、考えて、問うて、頭を働かせている。
正直、めっちゃ偉いが、何も偉くない。
だってこれは私の話だから。
私はここまでの気概を持って勉強しなくてはならないのだ。
社会に適合し、自立するためには、誰よりも知識と自信と経験と実力を持たなければいけない。
そうやって努力してはじめて私は社会に認められて、働くことができて、お金を稼げて、親の支援なく生きていけるのだ。
私は私に課すことが多すぎる。
あまり自分を責めないで、と言われるが、努力が美徳で休むことは悪だと育って来た人間に、今更手を抜くことが賢く生きるコツだよ、なんて器用なことはできないのだ。
あぁ、はやく40歳になりたい。
歳を重ねて、知識を携えて、謙虚に生きて、信頼される、そんな素敵な、経済的にも精神的にも自立した40歳になれるだろうか。
「親はいつか死ぬよ」という母の口癖がいつ現実になるかに怯えながら私は今日もバイトをする
せめて自分のことくらいは自分でどうにかするために。