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民主主義の死後の世界



民主主義者のほとんどは民主主義者の崩壊を悲劇だと考えているようだ。彼らは民主主義が崩壊すれば社会は独裁主義に戻ってしまうと信じていた。

確かに、民主主義の崩壊によって一時的に独裁が流行するかのようにみえた。だが、民主主義が死んでしまった理由で掲載した民主主義の崩壊した理由を思い出してほしい。

❶民主主義は固定的だ

❷経済発展に国民(民主主義が最重要視しているもの)は重要ではない

❸軍事力を決定するのは国民(民主主義が最重要視しているもの)ではない

独裁主義は❶の固定的であるという点を満たしてしまっているのだ。

流動性の高い情報社会において独裁主義が勢力を伸ばすのは難しそうだ。

では、一体どんな政治主義が民主主義の代わりになったのか?答えは民主主義が崩壊した理由の反対となる三項目を満たした政治主義である。


❶情報の社会に適応できるほど流動的である

❷経済発展に最重要である創造性を重視する

❸情報社会における力の源泉を最重要視する

そしてこれら三項目を満たすことのできる、民主主義の代替品が存在する。

それが仮想主義である。選挙で選ばれた政府ではなく、仮想の政府が統治を行う。

そして、仮想政府を支配するのは人間ではない情報が仮想政府を支配する。

以下、仮想主義の詳細と仮想主義がどのように民主主義にトドメをさしたのかについて説明しよう。


以下、民主主義社会における政府のことを国民が選び出す政府という意味で国民政府という名前で呼ぶことにする。(中国国民政府とはなんら関係ないので忘れることのないように)

仮想政府の概要

仮想主義が掲げる仮想政府というのは誰もが参加することのでき国家および世界の成長を支えて様々な問題を解決して未来世界を切り開いていく政府である。


以下が仮想政府の特徴である。

国民政府よりも統治者が目に見えてわからないのに透明性が高い。

国民政府よりもずっと大量の問題に取り組むことができ処理能力が高い。

国民政府よりも多くの情報を吸い取ることができ統合的である。

国民政府よりも無秩序であるように見えて有機的である。

国民政府よりも人々が政治に参加しやすく民主的である。

毎日毎秒アップグレードされており非常に流動性が高い。


仮想政府は以上の要素を全て満たしている。

そんな仮想政府の真の姿は大量の情報の集積体だ。

人間がたくさんの情報をアップロードをし、インターネット上に集まった膨大な数の情報=アイデアが政府となるのだ。


工業社会においては、軍事力と経済発展を支える国民政府を支配した。

情報社会においては、軍事力と経済発展を支えるアイデア政府を支配する。そういうことだ。


民主主義者達はその意見を出来の悪い空想話だとして笑い飛ばしてしまうだろう。そんなことはありえないと。

これを読んでいるあなたもその意見に同調するかもしれない。


すでにあなたは仮想政府を知っている。

その仮想政府の名前は、ウィキペディアだ。


以下、国民政府仮想政府の違いを辞書の比喩を使って説明していこうと思う。

国民政府の比喩となるのは出版社が出版する辞書

仮想政府の比喩となるのはウィキペディア。


まず、辞書は著者達が秘密裏に情報を集めているためどのような編集過程を経ているのかわからず、発売されるまでその結果はわからない。

これは国民政府において官僚達が一体どのような政治をしているのか詳しいことがわからず、実際に結果として出るまで一般人が知ることができないのと同じだ。


それに対して、ウィキペディアでは誰もが簡単に編集過程を知ることができる。しかも衝突する二つの意見があった場合にはどのような議論過程を辿ってきたのか知ることができる。つまり、透明性が確保されているのだ。

仮想政府の運営が非常に開放的で誰もがその活動を簡単に知ることができる。


辞書では一部の著者達しか情報を集めることができないため大量の情報を載せることが難しい。

国民政府が国会審議などといった複雑で非常に時間がかかる方法をとっているために多くの問題に対処することができないのと同じだ。


対して、ウィキペディアは項目数だけで日本最大の国語辞典の7倍の単語数を誇っている。これは誰もが編集に参加することができ大量の項目を確保することができるからだ。

インターネット上の莫大な量の情報を吸収することができる仮想政府も同じように国民政府とは比べ物にならない量の大量の問題に対処することができるためそれだけ処理能力が高い。


辞書の一つ一つの項目に載せられている情報量は少ない。

同じように国民政府は古臭い政治家達の意見と、諮問会議で集められる一部の専門家の意見をもとに決められるため、一つの問題に割くことができる情報量が非常に少なく適切な判断が取れるかどうかは疑問が残る。


対して誰もが編集することのできるウィキペディアの一つの記事に載せられている情報量は辞書と比べ物にならないほど多い。

同じように仮想政府は誰もが参加することができるため大量の意見や情報を集約して一つの問題に多くの種類の情報を使うことができる統合的な政府だ。


辞書の多くの項目はそれ単独として存在しているだけだ。

同じように国民政府は別々の問題に別々の手法で対処しようとする。各省庁の横のつながりはほとんど存在しないし、本質的には一緒の問題も分割して対処しようとするため問題の浅い表面だけしか見ることができない。


ウィキペディアには記事の中にある単語にリンクが存在しており、記事と別の記事が繋がっている。

同じように仮想政府ではインターネットを介して別々の問題が有機的に繋がって問題の深いところまで対処できるようになる。


辞書の編集に一般人は介入することができない。せいぜい、それぞれの辞書への信頼度を購入部数によって示すぐらいである。

同じように国民政府の行う政治に一般人は介入することができない。せいぜい、政府への信頼度を選挙によって示すぐらいである。


ウィキペディアの編集には誰であっても参加することができる。

これと同じように、仮想政府が行う政治には基本的に誰もが参加することができ民主的である。


辞書のアップグレードは次の版が出版されるまで行われず、情報の流動性が低い。

同じように国民政府は数年単位でしか組織の再編が行われず、さらに数年に一回の組織の再編の際でさえ政府の勢力図が変化することは滅多にない。さらに何か問題が起こった時も政治家がその問題に着手するまで時間がかかり、決定するまでさらに時間がかかる。

対して、ウィキペディアは新たな情報が生まれれば即時にその情報を書き加えることができる。

同じように、仮想政府は常にアップグレードを繰り返しており組織の姿が定まることはない。これによって流動性の高い情報社会に対応し、すぐに解決しなければいけない問題に即応することができる。


仮想政府の主役

ここまで聞いて仮想政府に関するだいたいのイメージを掴めただろうか。

ただし仮想政府は盲目的で無秩序になるのではないか?という疑問だ。

確かに仮想政府の考え方は無政府主義にも似ており、混沌とした混乱した世界になりかねない。

だから仮想政府にも運営が存在する。

この運営は仮想政府全体を支配しない。だが、仮想政府の方針を決め、基準を設けて文化を維持する役割がある。

例えばウィキペディアでは最低限の話と方針がわかる程度の知能がなければ編集に参加することさえ許されない。そして意見が衝突した際の話し合いのプロセスを決め、そのウィキペディアの文化を維持することに努めている。


ここからはアイデア仮想政府を支配するというのはどういう意味か語っていこう。

民主主義では、主役人間だった。

政治家達は自分の意見の素晴らしさを説き、自分支持者を集める。国民は人間や人間が構成する政党を選挙で選ぶ


しかし、仮想主義では主役アイデアになる。人間はあくまでアイデアを支持する脇役だ。

参加者は方針と文化に則って、アイデアの素晴らしさを説く。そしてアイデア支持者を集め(決して参加者の支持者ではない)、アイデアを実現させようと努力する。

人々はあくまでアイデアの下につくものなのだ。

また、それぞれのアイデアの素晴らしさを測る指標は投票だけではない。クラウドファンディングなどによって積極的な支持消極的な支持なのか示すこともできる。



国民政府が仮想政府に統治者としての座を譲ったわけ


民主主義は第二次産業である工業が大好きだ。

夕張市が良い例だろう。あそこは破綻した市を再建するために莫大な資金を投じて観光施設を作った。その結果は悲惨なものだった。

これが示すように、地域や国家の発展には第一次産業や第二次産業などの土地由来のものだけではなく第三次産業の活性化が重要になってくるのだ。

第三次産業の活性化とはつまり、人と人との関係を強化させるコミュニティを作ることと、物質的な形を取らない情報産業の活性化をすることである。

情報産業というと限定的に聞こえるかもしれないが、パソコンやスマホで完結できるものは全て情報産業だと思ってくれていい。例えば漫画は書籍の形を取らなくても電子書籍で見ることができる。


民主主義政府は土地と密接に関係していない、仮想世界に存在する情報産業が苦手だ。そして情報産業は情報社会の主役である。そのため、仮想世界に存在する政府に統治者としての座を明け渡すことになった。


民主主義に選ばれた国民政府がやることといえば軍隊や警察、公共施設といった現在残っているインフラの維持だ。

工業時代で成長を牽引していた頃の姿はどこかいってしまい、今では変化していく世界についていくことさえ精一杯だ。

仮想政府が国民政府を乗っ取る日

仮想政府はいつ国民政府を倒したのか?その答えは、見方による、だ。

なぜなら、ある日いきなり仮想政府が国民政府に対して反逆するわけではないのだから。

そもそも仮想政府はある日誰かが『仮想政府をはじめます!』といえば始まるわけじゃない。仮想政府は勝手に生まれる。そのほとんどは巨大な力を得ることはない。だがSCP財団やウィキペディアのように一部の仮想政府は強力な影響力を手に入れるようになる。

少しずつ着実に仮想政府の力が増していき、少しずつ国民政府の力が失っていていく。

そしてある日気づいた時には、取り返しのつかないほど民主主義は弱くなっていた。

まとめ

次世代社会では『人間』が支配する政府は力を弱め、『情報』が支配する仮想政府がその力を伸ばしていくことになるだろう。


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