罪を憎んで人を憎まずって、とても難しい
初めてお会いする方は、はじめまして。
そうじゃない方は、いつもありがとうございます。
Noelです。
今日は、朝日新聞DIGITALで読んだ記事に関して
有料会員記事なので読めない人が多いと思いますが…恐縮です。
あの京アニ放火事件からもう3年が経ちます。
ここ数年アニメを嗜むことはほとんどないのですが、僕が中学生の頃…京都アニメーションが制作した、涼宮ハルヒの憂鬱を初めとしたさまざまなアニメ作品に夢中になっていた時期があります。
この朝日新聞の記事は、涼宮ハルヒシリーズのキャラクターデザインに携わった池田昌子さんの夫、譲さんと息子さんのお話です。
有料記事ということなので、記事に関する言及は控えますが、
昌子さんはこの事件で命を落とし、譲さんは男手一つで息子さんを育てて行くことになりました。
タイトルにもある、「加害者を恨むのは違う」という言葉。
分かっていても、理解するには中々感情が追い付かない言葉だなと、いつも聞く度に思います。
別の記事でも触れましたが、
加害者が塀の中で刑期を終えて出所したとして、彼らの罪が精算されたと見なされたとしても、彼らが僕の身内を事件に巻き込んだのだとしたら、許すことはできないだろう。
一方で、自分の愛する人が罪を犯し、刑期を終えて出所したのだとしたら、真っ当に生きてほしいと願うだろう。
このような話題では、相反する矛盾に満ちた意見を僕は持ってしまいます。
きっと僕だけじゃなくて、多くの方が似たような意見をお持ちでしょう。
だからこそ、「加害者を恨むのは違う」という、愛する人を失ってもこのように息子さんに教えを説くことは、とても難しいことだと思うのです。
憎しみの気持ちを抱くことは悪ではないと思います。
こんな凄絶な事件に自分の愛する人が巻き込まれたら、加害者のことを憎むことは自然でしょう。
僕が同じ立場だったとしたら、同じように教えを説くことはできないと思う。
譲さんがどんな思いで息子さんに教えを説いているのか、想像すると胸が痛くなりました。
事件から3年。同じ過ちが決して繰り返されないように、風化することがないように、
少しでも多くの方が胸に留めてくだされば幸いです。