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小学校でやってる命の授業、やり方を考え直すべきでは

初めてお会いする方は、はじめまして!
そうじゃない方は、いつもありがとうございます!

Noelです🐬

この間仕事の休憩時間に、

👨「ついに息子の小学校で命の授業が始まった」

って現場で会った方が話しているのを聞いて、命の授業??
僕の時代にはそんなんなかったなあと思いながら調べたら、今は色んな学校でconductされているんですね。

具体的な内容は学校によりけりだと思うのですが、メジャーなのは稚魚を育成し、成長した後に自分たちで捌いて頂くか、海に還すか、というものだそうです。

この話題はTwitterやニュースメディアでも積極的に取り上げられていて、結構反響が大きいらしい。

僕は食べるべきか海に還すべきかということよりも、このような授業のやり方や持ち出される議論は、子どもたちの教育にとってあまり適切ではないという意見を持っています🧐

授業の目的は、自分たちが生きるために、たくさんの命を動物から頂いている。子どもたちがそのことに感謝して生きて行けるように、という点が期待されているのだと思いますが、

授業を受けるのは、大体小学校中学年ぐらいの子どもたちなんですよね。
そして、僕が知る限り食べるか否かという議論は、反論する子どもたちも次第に反論材料を失い、基本的に食べるという結果に行き着いています。

自分たちが可愛がって育ててきた魚を〆て頂くという行為は、確かに自分はたくさんの命に生かされていると気付くことができるかもしれませんが、小学校中学年ぐらいの子どもたちにはショックが大きいんじゃないかなあ。

魚を〆る時、捌く時、口に運ぶ時、色んな思い出がフラッシュバックしてトラウマになる子も出てくるのではないでしょうか。

それがきっかけで、極端なベジタリアンやヴィーガン思考を持ってしまわないかが心配です。
決してベジタリアンやヴィーガンに反対しているわけではありませんし、僕はこれらのスタイルを尊重します。
しかしそれは、責任能力があり、自分で自由に食べるものを選択できる大人が、自分の意思で選択するから尊敬できるのです。

心身共に成長の最中にいる子どもたちが自分でベジタリアンやヴィーガンを選択するのであれば、僕は好ましくないと思っています。
出される学校給食を特定の子にだけベジタリアン食やヴィーガン食にすることはほぼほぼ不可能ですし、必須栄養素が不足し、子どもたちの成長に影響をもたらす可能性があります。

考えすぎと言われればそれまでですが、学生時代に会食恐怖症(人と食事をすることに恐怖心を抱く精神的な病)に悩む学生と出会って、それは学校給食の完食ポリシーがきっかけだったと聞かされたことがあります。
命の授業を通して芽生えたトラウマに、大人になってからも悩まされるケースだって、無いとは言い切れないでしょう。

書いていて思い出した!
僕が小学生の頃田植えや農業体験を総合授業でやったのですが、その活動の中で、

お米やお野菜を作るのって大変だね、きっと牛さんや豚さんや鶏さんのお世話も大変だろうね。

作ってくれる人や、命をくれる動物に感謝しなければいけないね。

ということをみんなが身を持って知り、食べ物を作ることの大変さを学びながら、同時に命の大切さも学んだような気がします。

僕はこのスタイルを支持します🙋‍♂️
この令和式命の授業では、育ててきた動物を食べるということに納得がいなかった子どもたちに対するケアが充分にされているのかどうかも疑問です。

中には、畜産農家の方々を「かわいい動物を〆る悪い人たち」みたいに誤解する子どもたちも出てくるかもしれないですよね。

命の大切さを学びながら、生産し出荷してくださる方に対してのリスペクトの気持ちも学ばなければならないはず。

どうもこの令和式命の授業って、
「私たちはたくさんの動物の命を頂いて生きている」という、大切だけれどもその一面だけにフォーカスしすぎなような気がして、その他のことに対してのフォローが足りてないような気がするんだよな。

Best regards⭐️Noel🐬

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