イタリアのドーナツ Bomboloni 、 Ciambella + Zeppole
ドーナツと言えば、上の写真のように、中央に穴が空いているリング型を、多くの人が、頭に浮かべると思います。私も、です。
Bomboloni (ボンボローニ)
学生の時、フィレンチェに1年間、留学した。その時に初めて、イタリアのドーナツ、Bomboloni (ボンボローニ)と出会った。
初めてみた時、即座に「揚げ菓子」だなと思い、食感は絶対に、油が 「ギトギト」しているだろう、と想像した。
更に、表面全体に、たっぷりまぶしてある砂糖が、激しかった。カプっと、かじったら、唇に砂糖が1周の円を描き、それを舐めるか、紙ナプキンで拭き取るか、いずれにしろ、この砂糖の量はすごい、とさえ思った。砂糖が、ガラスで覆われたショーケースの箱の、あちらこちらに、飛び散らかしていた。
こんな感じで、何度も店先の前を通る度に、「食べてみたい」という誘惑と、「形の違うドーナツにすぎない」という理性が、いつも戦っていた。
ある日大学の帰り道中、ずっとこの「揚げ菓子」の事を考えていて、もう今日こそは、食べるしかない。そう決めていた。
"Scusa me. Un Bombolone, per favore." (すいません! ボンボローニ一個ください。)
紙袋に入った、一個のボンボローニは、ショーケースの中で、その他大勢、砂糖にまみれているより、大きく見えた。
歩きながら、かぶりついたボンボローニは、とっても柔らかく、それでいて、生地にすこし弾力性があった。そして、中に詰めてあった、カスタードクリームがトロリと、舌先に落ちた。「うまっ!』
時間をかけて生地を寝かす
ニューヨークに帰ってきてから、イタリアのベーカリーを見る度に、Bomboloniがあるかどうかチェックしていた。不思議な事に、味はそんなに大差はないのだけれど、お店によって、その生地の食感、モチモチ感と弾力性が、違う。
イタリア菓子職人によると、使われている材料は、アメリカのドーナツと変わりはないが、大きな違いは、その職人の作り方により、生地を8時間から1日半寝かすところにあると言う。
このボンボローニ、少し調べてみると奥が深く、そのルーツはオーストリアの krapfen / Berliner (同じお菓子だけれど、単に違う名前)へと、たどり着く。イタリアに伝わってから、その地方独自の、生地の仕込み方や、中に詰めるクリームの種類が、生まれてきた様である。
4月24日に投稿した「写真つぶやき」で、マンハッタンのミッドタウンにある、イタリアのベーカリー、Zeppola Bakery (ゼッポラ・ベーカリー)の
『ハート型ボンボローニ』の写真をご紹介しました。
Ciambella(チャンベッラ)
フィレンツェにいた時に、もう一つ別のイタリアドーナツと遭遇した。それが、Ciambella(チャンベッラ。) やはり、モチモチした食感で、生地に引きがある。違いは、リング型で、中に詰め物はない。だから、生地その物の味と、食感が一緒に楽しめる。
私には、この生地のみを楽しめる、チャンベッラの方が好みになった。
チャンベッラは、ボンボローニと全く同じ生地と作り方で、形だけが違う。調べてみると、ルーツは、下の写真のようにリング型を使った焼き菓子, "Ciambella"にたどりついた。
Zeppole(ゼッポレ)
さて、最後に残ったのが、この『ダンキンドーナツのマンチキン』の様な、小さいボール型のドーナツ、Zeppole(ゼッポレ。)
ニューヨークでは、Street Festival (通りを封鎖して、道の両側に色々な出店が並ぶ、日本で言う町内会のお祭りみたいな感じ)で、よく見るお菓子。
形は、このマンチキン型が、定番だけれど、生地には色々ある事がわかった。
1. シュークリームのシュー生地を使う、とても軽い生地
2. ドライイーストを使った、弾力性のある生地
3. ベーキング・パウダー使用の、ケーキタイプの生地
どの生地を使っても、油で揚げ、仕上げに、砂糖をまぶすのは、お決まり。
でも、色々とレシピを見てみると、グラニュー糖を使ったり、粉砂糖にしてみたり、又は両方、混ぜ合わせててみたりもしている。砂糖にシナモン・パウダーや、レモン・ゼスト(レモンの皮をすりおろした物)を混ぜたりしているレシピも見つけた。
『和』のゼッポレを作ろうとするならば、砂糖に「きな粉」や、「お抹茶」を混ぜてみても、面白いかも。でも、生粋のイタリア菓子職人は、どう思うか・・・?
後書き
記事の最初に使った写真のドーナツは、"Doughnut Plant" (ドーナツ・プラント)の、いちばん基本のドーナツ、”Vanilla Yeast Donut." (ヴァニラ・イーストドーナツ)
その昔、1910年に、ドーナツ・プラントの創業者の祖父が、16歳でミネソタのベーカリーで働き始めた。その後、創業者である孫が、祖父が作り続けていたドーナツのレシピを、引き継いでBrooklynのアパートで作り始めた。
そして、このドーナツが一躍有名になった。
* ニューヨークの大学、F.I.T. から同じ専攻、ファッション・デザインの勉強で、2年間の学士課程の半分を過ごした。)
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