はじめて納豆を食べた日の記憶。
私がはじめて納豆を食べたのは、小学校一年生の給食でだった。
母が納豆嫌いだったため、私の家の食卓に納豆が並んだことはなかった。
存在は知っていたが、未知の食べ物だったのだ。
そして私は未知の食べ物を口に入れることに対する抵抗感が非常に大きい。
未だにそうだし、当時は未経験の物事に対する拒否反応はもっと強かった。
(診断後の今だからわかるが、たぶん発達障害(ASD)の一症状だと思う。想定外の事態に対しての拒否反応が異常なほどで、母にも学校にも、それはそれは迷惑をかけた)
しかし、給食で納豆が出たのならば、それは当然、食べなければいけない。
真面目な小学校一年生の私は、そう思った。
お盆を持って給食ワゴンの前に並び、おかずなどを配る給食係から各メニューを受け取って、自分の席に着くまでに、私は覚悟を決めていた。
白いご飯とみそ汁の入った器の斜め上、納豆は四角くて白いパックに入っていた。
学級全員で「いただきます」をした後、周囲で食べて初めている子を観察し、見よう見まねで蓋を開け、タレを取り出し、フィルムを剥がす。
左手で持った箸で納豆をかき混ぜる。ぐにぐにと未知の感触がした。
さて混ざったと思ったら、周囲は納豆に小袋に入ったタレを注いでいる。
これを入れるのかな?
私はまたも見よう見まねで小袋のフチを切り、白いパックに注いで…周囲の子どもの納豆には起きていない事態が起きた。
白い納豆パックの底からお盆の上に、茶色いタレがぞぞぞと浸みだしてきたのだ。
私はびっくりして泣き出した。
後から考えれば、納豆をかき混ぜる力加減を誤り、箸がパックの底を突き破っていたのだろう。
しかしそんなこと、初めて納豆と対峙した小学一年生にわかるはずもない。
泣き出した私を見て、担任の先生が「どうしたの」とやってきた。
私はえぐえぐとして、何も説明できない。そもそも説明できるほど、事態が把握できていない。
先生は私の給食のお盆の上を見て、ある程度事態を察したらしい。
「あらあら」
と言いながら、納豆のパックを持ち上げた。白い底からタレがまだお盆へ滴っている。
そこで先生は、当時の私にとって、まったく信じられない行動に出た。
納豆の隣にあった白いご飯の上に、かき混ぜた納豆をかけてしまったのだ!
私はそれを見て悲鳴を上げて泣いた。
当時の私は納豆ご飯の存在を知らなかった。
納豆という未知のものが、よく見知った大好きな白いご飯の上にかけられて、ご飯が食べられない代物になってしまったと思った。
先生はそんな私を見て、どうして余計に泣き出したのかわからずオタオタしていたが、私は先生にその理由を訴えることもできず、ただ泣きじゃくっていた。
どうしよう、もうご飯が食べられない。給食も食べられない。もうおしまいだ―
小学一年生というものは、ささいなことで絶望するものである。
それが大人から見るとどんなにささいな、日常に全く支障のない大したことではなくても、本人の立場からすればこの世の終わりなのだ。
前にも書いたが、私は自分が事前に想定していない事態にぶち当たると、しばしばパニックになってしまう。
30代半ばを過ぎてもそれは未だにコントロールが難しいし、当時の私にしてみればコントロールなどできるはずもない。
というわけで、私はその日の給食を一口も食べず、帰りの会の時間になってもまだ泣きじゃくったままだった。
最初から最後まで、担任は私がなぜ泣いているのか理解できなかっただろう。それは仕方ない。
でも私がパニックになったのも仕方のないことだと思う。
なにせ納豆。
なにせ初めての納豆。
大の大人でも頑なに嫌いなものは嫌いだと食べられない人間がいる納豆。
私は誰からも食べ方のレクチャーを受けず、ひとりで果敢にもそれに挑戦し、結果見事に討ち果てたのだ。
…と格好いい言い方をしたが、要するに、小学校一年生が給食で初めて納豆を食べようとして失敗した話である。
その後、私は納豆のかき混ぜ方の適切な力加減を覚え、タレがお盆にしみ出る悲劇は二度と起こらなかった。
家では相変わらず納豆は食卓に上がらず、だから私は小学校低学年の間、納豆は給食でのみ食べるものだと思っていた。
病気をして健康志向に目覚めた母により納豆が家の食卓に上がるようになった小学校中学年以降も、私は納豆は学校の給食でしか口にしなかった。
何度も繰り返すが、私は未知の食べ物が苦手なのだ。食べなれない食べ物も苦手なのだ。
学校の給食で出される納豆と、家の食卓に上る納豆では、納豆の粒の大きさが違った。
給食の納豆は大粒で、家で食べる納豆は小粒だったのだ。
…時がたち、小粒納豆にも慣れ、私も母と同じように、健康のために納豆を食べるよう、心がけるようになった(常食できないあたり、納豆嫌いの母の影響が未だに残っている)。
で、食卓で白い納豆パックを見るたびに、小学校一年生のあの時の思い出がよみがえる。
先生に悪かったなぁ、と思うし、でも子どもだったしなぁ、と思うし、苦いような笑えるような、そんな微妙な気分で思い出すのである。
おわり