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赤ちゃんが生まれて『おっぱい』って気軽に言えるようになった
おっぱい。
僕は、ずっとこの言葉を口にすることに抵抗があった。口にすることが恥ずかしくて、どうにもこうにも照れてしまう。赤ちゃんに母乳をあげることを『おっぱいをあげる』 と表現するが、それすらも口にできない。『母乳をあげる』 と誤魔化してしまう。会話の中で、「そこは、おっぱいって使った方がスーッと伝わりやすいじゃん」 みたいな時があるが、どうにもこうにも照れくさくて、回りくどい言い回しをしてしまう。それが、つい最近までの僕だった。
しかし、子どもが生まれてから、「おっぱい」 って気軽に言えるようになった。口にするのに、何の抵抗も感じない。おっぱい。おっぱい。ほら、いくらでも言える。以前のように口にすることの照れくささは、何処にいったんだろう。まるで、息を吐くように「おっぱい」って言える。僕の中で、何が起きたんだ?
恐らくだが、これまでの僕は、おっぱいに対してセクシャルな認識がとても強かったんだと思う。おっぱいは、男を興奮させるいやらしく隠微なもの。その考えが強かったんだろう。おっぱいと言うと、男女の身体の交わり、セックスを思い浮かべてしまう。おっぱいというのは、赤ちゃんに母乳を上げたり、守ったりすることもできるのだが、その意識はとても希薄。もちろん情報として、そのことは頭に入っているけど、意識の中にゴッチリこびりついているのは、セクシャルな側面だった。多分、これが切り替わったんだろう。おっぱいは、赤ちゃんを育てるもの。という思考が優位になってきたんだと僕は思う。
僕は、おっぱいということも、おっぱいと言われることも、恥ずかしかった。なぜだろう? と考えると、ひとつ思い出したことがある。
あれはたしか小学校5年生くらいのことだろうか。僕は、父が仕事の同僚と釣りに行くというので、一緒に連れて行ってもらった。子どもは僕ひとり。あとはみんな大人、しかも男性ばかりが6名ほど。昼間は釣りをし、夜になって食事。当然ながら大人たちは酒を飲んでいて、次第に気分も良くなり、気も声も大きくなってくる。僕はというと、大人の会話が楽しいわけもなく、疲れて眠くなったので、少し帰りたそうにしてたんだ。それに気づいた、父の同僚が、
「どうしたのかな?」
と気にかけてくれた。僕が、それに答えようとする前に、
「そいつは、お母さんのおっぱいが欲しいんだよ!」
とヘラヘラしながら父が発言。その同僚も大笑いしながら、
「そうか、おっぱいか!」
それを聞くなり僕は、
「違う!」
と叫んだが聞いてくれない。僕は、凄くムカついている。小学5年生になって、まだお母さんのおっぱいが恋しい赤ちゃんだと揶揄されたことが本当に腹が立った。おまけに思春期で学校で性教育も学び始めている。そんな時に、赤ちゃんのように扱われたことに腹が立ったし、何か僕のセクシャルが馬鹿にされているような気がした。だから、否定したかった。でも、大人たちは聴いてくれず、ただただ僕を笑いものにして、その場は終わった。
僕のセクシャルが馬鹿にされた。その出来事での僕の思いが、セクシャルな発言に抵抗を生んでいたのかもしれない。僕は、ずっとこんなセミナーがあったらいいな というものがある。それは、
スマートな下ネタ講座
僕は、もっと下ネタをスマートに言えるようになりたいと思っていた。世の中には、みんなが笑ってしまうくらいサラッと下ネタを言える人がいる。僕はと言うと、ちょっとガチな感じがしてひいちゃう系の人間だ。なんか、重い。下ネタというより、もっと軽くセクシャルな会話を楽しみたいのに。どうしてもそうならない。男同士ならまだいい。女性ともセクシャルな話を楽しもうと思うと、もっとスマートさが必要かなと。だから、スマートな下ネタ講座があったらいいなってずっと思ってた。
僕は、セクシャルな会話ってもっとオープンにしていいと思ってる。確かに恥ずかしい部分はあるし、隠したい部分はある。もちろん話したくないことは話さなくて良いんだけど、なにかセクシャルな話というのは背徳感があるよね。親にだまってこっそりする。親に言えない。だけど、凄く楽しい。そんな背徳感がある。この背徳感を感じても良いんだけどね、別に感じなくても良いんじゃないかな。でもそれがうまくできないってのは、過去の僕のように、自分にセクシャリティが馬鹿にされた、汚された って感じる出来事があったからかもしれないね。
僕の娘は生後3か月だけど、やがて自分のセクシャリティに目覚めるときが来るだろう。その時には、彼女のセクシャリティをいじったり、バカにしたり、からかったりなどはするまい。セクシャリティを愛し、敬意を示したいなって思う。セクシャリティは恥ずかしいものでもなんでもないからね。それも含めて自分だから。堂々と自分を表現できるようにしてあげたいもんだ。
きっかけは、『おっぱい』って言えるようになったってことなんだけど、そんなことまで考えるようになったのでした。
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