キャット・ホームズさんと学ぶインクルーシブデザイン③
キャット・ホームズ(Kat Holmes)さん著書『MISMATCH 見えないユーザーを排除しない「インクルーシブ」なデザインへ』を教科書にインクルーシブデザインについてまとめていく連載です。自分用のメモでしたが、共に学び、共に考え、共に行動できる人に向けて連載という形で公開していくことにしました。
排除の習慣
わたしたちが最初から持っている習慣
=幼児期に形成された習慣が優位に立つ
→排除のサイクルを形成する
ルールは書き換え可能
ルールは人間によって書かれたものなので書き換えは可能
=現在ゲームをしている人にこそ必要に応じてルールを変更する責任がある
誰かが仲間外れにされた時の責任はわたしたちにある
→ゲームの意図を尊重しつつルールを変更
→よりインクルーシブにすることができる
障がい者の社会的排除があまりにも根強い
障がい者の存在は社会の中で事実上見えなくなっている
→障がい者の権利と歴史は学校のカリキュラムにない
→アクセシビリティはエンジニアとデザイナーの必須科目ではない
排除はさらに固定観念を強化し、障がい者を社会から孤立させる
何が削除のサイクルを引き起こし、なぜそれはインクルージョンより広まっているのだろうか?
排除は誰でも経験する
排除は誰でも人生で経験するもの
「年齢とともに誰もが能力を得てやがて失う。病気や怪我によっても能力は変わる。」
変わり続ける身体デザインが合わないと排除される
「標準的な人間」に対する時代遅れな考え方
ミスマッチなデザイン
デザインの受け手に対する激しい思い込み
生まれた時からルールは決まっていてたと主張=排除の習慣
一番の意図「インクルーションを目指す」は作業手順の多さから忘れ去られる
ユーザー像を推測する作業はやむを得ず簡略化される
誰にとって使いやすいのか?
例)公衆トイレ
経験や見識がないと結果的に人を排除してしまうものが生まれる
排他的なデザインは利用者の人間性を損なわせる
排除のサイクルの結果に生まれたデザインは公平さには程遠い
デザインのルールを定める権限を持つ人の選択結果が現れている
デザインの目的とそれを使う人々の現実の間にミスマッチがあると問題が生じてしまう
デザイナー・エンジニア・ビジネスリーダーに求められるもの
・デザイナーの意思決定をする度に平等を目指して前進する
・ますはアクセシビリティの指針を基本から理解する
・インクルージョンが明確なリーダーシップの要素である
・「なぜ作るのか」を意識する
社会的拒絶は身体に現れる
社会的排除は痛みを伴って身体に現れる
心配、不安、怒り、敵意、劣等感、自制できない感覚
社会的排除の痛みを感じる脳の領域
=身体の痛みを感じる領域
社会的な排除は人間社会で生き残るためには、飲み込むしかないことだと思い込んでいる人が多い
モノに拒絶されたらどうなるのか?
前提:人間は不平等、テクノロジーは平等
テクノロジーが拒絶するのは誰で、受け入れるのは誰なのか?
社会そのものから拒絶されているように感じることは、デジタルな共有空間では顕著
テクノロジーが生活のあらゆる領域に入り込むにつれて排除がさらに蔓延する恐れがある
人対人だった交流は今は機械によってファシリテートだったが、テクノロジーに取り込まれた人間交流は予測がつかない
インクルージョンに専心する
インクルージョンに専心するということは、新しい言語を取得すると宣言してるのと同じことである
取得するまでには長い道のりがありので、計画・練習・決意が必要
どんな「習慣」でも時間をかければ考えや行動に異議を唱えることができるし、新しいものに変えることができる
このスキルは
・日常で望ましくないデザインと接している人から学ぶことができる
・考慮すべきあらゆる観点から深い理解を持っている
・排除されることで苦労している人々はインクルージョンを目指してどのようにデザインを変えていいかに対して鋭い認識を得ている
まとめ
社会的排除によって身体的な痛みが現れるということやその人のアイデンティティにも関わってくるとなるとデザイナーだけでなくこの世界に暮らす私たちの認識の薄さは大きな問題だろう。しかも誰か自分以外の特定な人ではなく自分自身もいつかはいくつかの能力は衰え社会的な排除を経験するのだ。どこか別の世界の話ではなく、自分の人生の延長線上にあることなのだ。
そして、私たちはその社会的な排除、排除のサイクルのルールはいつだって変更可能である。できるできないの問題ではなく、完全にできることなのだ。なぜなら私たち「人間」が勝手に決めたルールだからだ。
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