街を歩いていると、「出てこいこれからのリーダーたち」「Q.非認知能力って何?A.生きる力、生かす力。」などのキャッチコピーが打たれた広告に引っかかる。(キャッチコピーは少し変えています) 「能力」が生み出す序列と問題これらの広告を出す教育ビジネスを全否定しているわけではない。 一昔前は、教育産業(塾や通信教育など)は、受験対策を主としているものがほとんどであった。しかし、「(いわゆる)学力」以外のことも大切だという考えが広がってきて、教育産業の方向性も変わってきたように思
先日、東京大学教育学部教授 小国義弘氏の講演を聞かせていただいた。また、その後直接お話をさせていただき、大変刺激を受けた。その中での学びのほんの一部ここに記録しておきたい。 今の学校教育では「教育心理学」的なアプローチから考えていくことが多い。それを否定するわけではないが、「教育社会学」の視点が足りていないことは間違い無いだろう。そういった意味で、社会学的な視点からさまざまな学びを得ることができた。その点、通説とは異なることもあるかもしれないが、その前提でお読みいただきたい
先日、研修会の中で大空小学校元校長の木村泰子さんの話を聞くことができた。学校を変えていくためにどうしたら良いのか良いヒントをいただけたので、ここに書き残しておきたい。 捨てることの大切さ会の中で、「全ての子どもの学習権を保証し、その子がその子らしく育つために”何を捨てるか””何を創るか”」という問いについてディスカッションした。教員はどうしても「子供のために何ができるか」と考えてしまう。もちろんできることを考える事は大切だ。しかし、今の学校は「その子がその子らしく育つこと」
「学び」とか「勉強」とか、そういう言葉を聞いてどのようなイメージをもつだろうか。「机に向かう」「教科書や本を開く」といったイメージが強いように感じる。しかし、学びとは本当にそういうものなのだろうか? 「学び方を学ぶ」というけれど 「学び方を学ぶ」という言葉が飛び交うようになった。それ自体、良い方向に向かっているように思う。しかし、そもそもの「学び」を捉え直さなければ、おそらく本質的には今までと変わらないものになってしまいかねないだろう。 「学び方」=「教科書や本、インター
今年度から学びの多様化学校(いわゆる不登校特例校)に勤務をしている。 先日、ゆきこさんと対談させていただく貴重な機会を頂いた。テーマは「学びの多様化学校について」。Voicy公開収録も兼ねて行わせていただいたので、興味がある方は聞いてみてもらえると嬉しい。 学びの多様化学校ってなんだ?ということや、今考えていることについて話したが、こちらにも少し書いておこうと思う。 学びの多様化学校(いわゆる不登校特例校)って?学びの多様化学校とは、 のことである。これだけではイマイチ分
社会の授業の一環で、世界の料理の学習を進めている。イラン出身もAETの先生や、モンゴル出身の小学校の先生に来てもらって、実際に料理を教えてもらう機会もあった。結果的に、6月は世界の料理月間となった。 最初に挑戦したのはキルギス料理。キルギスの料理を調べていると、味付けがシンプルであることに気づく。そこから文化に興味を持ち、遊牧民が多い文化であることを学んだ。 モンゴルでは羊の肉をよく使う。それは、遊牧民が羊を家畜としていることに関係していることを調べてわかった。すると、キ