弱いリーダー論
そこそこの大学に通い、色んなバイトやサークルも経験してから別のコミュニティーに入って働き始めると、嫌でも悪目立ちします。良く言えば、一目置かれます。悪く言えば、集団のなかで一人浮きます。
若手のまとめ役を任され、新人なのに役職に就き、誰かを指導します。どこに行っても年長者扱いされます。このnoteの筆名を「新人」とした由来です。
気が付くと態度がつい横柄になり、驕りが生まれます。適当になります。
自分は周囲を引っ張るリーダーなんだ、という自負と共に、良くない感覚が芽生えます。つい他人の粗探しを始めます。常に周囲から見られているという意識の中で、ストレスも増えていきます。
こうした状況から私生活にも綻びが生まれ、気付くと心身共にボロボロの状態で病院のお世話になっていました。
どうすれば防げたのか?こんなことになっていなければ、あの時ああしてなければ…と何度も自分を呪いました。
精神的に立ち直ってきた頃、できるだけフラットに、真剣に考えてみました。やっと答えらしきものが出ました。
自分にも他人にも、謙虚で、公正であること。
これが、精神的に打ちのめされた状態で数ヶ月のあいだ苦悶した末にたどり着いた、一応の答えです。
私はもともと体育会系でもなければ、リーダーシップを取れる人間でもありません。経験がなかったせいもあるかも知れません。
しかしもっと根本的な手抜かり、
「これぐらいやってくれるだろう」
「この程度なら大丈夫だろう」
こうした考えから、当たり前のことが当たり前でなくなり、仕事も、プライベートの関係も全てが粗雑に、いい加減になって崩れていきました。
必要以上に気負って、潰されてしまっては元も子もありません。しかしながら、「自分の限界」「他人に任せられること」「どうしても今やらなければならないこと」を、よくよく吟味して、どんな態度で、どんな行動で、どんな言葉を選ぶべきか、自分をフラットな目で見つめて、自分も他人も正当に評価することを忘れなければ、少々の失敗はあっても決定的な破綻は防げたのではないか、と日々思いながら、暮らしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?