
インプットという名の怠惰はもうやめる
怠惰(たいだ)とは:
すべきことをなまけて、だらしない性質・様子。
Oxford Languagesの定義
もうそろそろハッキリしよう
他でもない自分の為にではあるが、場合によってはあなたの為にもなる可能性がある。
インプットが悪いなどとは全く思わない。
むしろ何かを得ようと、知ろうとする事はいい事だ。疑う余地もない。
だが、アウトプットもせずにインプット(みたいな事)ばかりして満足するのはもうやめないか。
インプットという名のもとに
浜田省吾さんっぽく書いたが、全く関係はない。
私の場合、「インプット」と言う名のもとで安心していた。
“今は情報を自分の中に蓄積している時間”
意識的にか無意識的にかこう思うように、思えるようになった。
自分の事を完全に棚に上げて書いちゃうが、あなたがしているそれは本当にインプットになってるか?
アウトプットもしてないのに?
情報を入れるだけならUSBメモリーでもできる。
「うるせぇよ」
こんな事書かれたら、僕ならこう思う。
そしてもう「ハイハイ」と閉じてしまうかもしれない。
ウケる為にはちょっとでも優しく書いたり、前向きな事だけ書いたほうがいいと分かっているけど、今回は書いてしまう。
だから多分、この記事はウケない。
だからどうせ読まれない前提のもと、思いの丈を書く。
たぶん、「うるせぇ」と思うのは、図星だからだと思う。
“僕は違う”と思いたいからだと思う。
自分だけなのだとしたら悲しいが、僕はそう思ってきた。
見たいものしか見ないし、やりたくない事からはあれこれ理由をつけて逃げてきた気がする。
最近だと“コロナのせい”にして、うまく行かないことも“コロナのせい”にしている。僕にとっては望ましくこそなかったが、都合が良かった。
そして、やっぱりこう思っていた。
回りくどい話はやめて「僕のインプットの正体」を書く。
□必要以上の読書
自己啓発本やビジネス本、ハウツー本。
それなりに読んではいるが、本当に読んでるだけ。
分かる分かる〜と納得したり、“僕ば僕のままでいいんだな”と、そう思わせていただいて終わり。
もちろん“そうじゃねえだろ”という物を見ても、そう思って終わり。
頭の中で反芻して身につけた気になって眠りに落ちるが、起きればまた忘れて、今日の占いなんか見て一喜一憂している。
□必要以上のYouTube
テレビは積極的に見る事を辞めたから、情報収拾は専らYouTube。
エンタメ系は極力避け、テレビからでは得られない情報や、為になる動画を宝探しよろしく見ているつもりなのだが、建築系デザイナーである僕が今日見ていた動画は「カルビ肉の捌き方」「NiziUのあれこれ」だったりする。
それでも「なるほどまた肉に一つ賢くなった」だの「NiziUみたいに僕も一生懸命頑張らなきゃ!」と、インプットした気になっている。
ある意味、自己肯定感の塊すぎてもはや天晴ですらある。
□必要以上のSNS
インフルエンサーと言われる人の記事なんかを読んで「そうだ!やらなきゃね!」そう思っておきながら、更にそんな記事をむさぼる。
信じたくない情報も「ハイハイそうかもね」そう思う事で自我を保つ。
今日もやった事は、いいなと思った言葉のスクショだけ。
もちろん、そのスクショは積もっていくだけで後日探す訳でもない。
その癖いつか何かに使える気がして、消す気にもならない。
こんな感じだ 笑
本当はうっすら、こんな事を書いても意味のないことにも気付いている。
今回はこうして投稿するだけ少しはマシだが、結局実際のところ、書いた事で満足しまう気がする。
たぶん明日は見なくても、あさってくらいにはまたNiziUを見てる。
ちなみにどうでもいいだろうが、RIOちゃん推しだ。
CDも買わないし、仮に握手会があっても行かないくせに、見たい。
いつでもそうだ。いつからかプロの傍観者になってしまった。
あなたと僕はどう違う?
ちなみに、自分で書いてるんだから当然なのかもしれないが、誰かが書いたこの記事を僕が見たとしたなら、ちょっと共感してしまうと思う。
認めたくはないが、かといって完全否定もできない。
分かるわーと思う分、イイね!も押したくなるかもしれない。
だけど、絶対にイイね!は押さない。というか押せない。
なぜなら “こんな記事にイイねを押してると誰かに知られたら、ダメなやつだと思われそうだから”だ。
本当は、図星だろ?
あくまで自分に言い聞かせるつもりで書くが、こういう所が決定的に、本当にバカだ。
絶対に誰もそんなところまで見ていないし、そこまでお前に興味はない。
仮に目についたとしても、きっと何とも思っていない。
僕なら、もしこの記事をここまで読んでも、見て見ぬフリで済ます。
有名でもない駆け出しのノーターに核心を突かれたなどと思いたくもないし、たぶんこいつの言うこと程度、そう思える。
図星だけど認めたくなんてない。
僕は違うと思いたいし、なんだかんだで明日もYouTubeもTwitterも覗きたいからだ。
そして、また違う記事や違う動画を見て、自分を肯定してくれるものを探したり、もしくは面白く楽しいものを見て、これを見なかったことにしてから安心して眠りにつく。
昨日も今日も明日も同じだ。ここは本当に居心地がいい。
ちなみに僕はもうここに10年単位でいる。
疲れはしていないが、我ながら呆れている。けど何もしなかった。
このままだと、10年先もきっと同じような気がして本当に怖い。
何ができるのかな
ま、そんな事考えるからダメなんだろうね。
勝手な妄想かもしれないし只の勘違いかもしれないけど、ここnoteにいるあの有名な人も、あの前向きな人も、実際のところは自分とそう違わないような気がしている。
本当は誰もが悩んでいて苦しんでいるけど、それでも自分のやりたい事や信じている事をただひたすらにやる事で、弱い自分と戦っているんだと思う。悩みがない人なんて、きっといないはずだ。
そう考えると、
アウトプットしてる人たちは例外なくかっこいい。
この結論に至った。
正直言うとずっと前からこう思ってるけど、思うことと行動に移す事には自分の中では雲泥の差があって、そっち側に行きたいけどなかなか行けない。
勇気を出して踏み込むんだけど、怖くなってすぐに傍観者に戻る。
僕はアウトプット苦手人間で、インプット得意人間
前向きなのか後ろ向きなのか本当に分からないが、こう定義していた。するしかなかった。
やりたいのにやれないのは気質のせいだ。
入れるのは得意なのに。そう悲観していた。
ところが、実際やっていたのは上で書いたような事ばかり。マジでこんなやつ嫌いだ笑
だから、本当は何度も挑戦してくじけてを繰り返しているんだけど、今回も何度目かの、立ち上がる時だ。
このまま終わると、なんだか普通だから、ちょっと煽っちゃおうかな。
この記事にスキが押せるものなら、押してみてほしい。
この記事にコメントできるものなら、コメントしてみてほしい。
そんな人がもしいたとしたら、身勝手ではあるが勝手に目標にさせていただく。
とりあえず、スキもコメントもいらないから、読んでくれてありがとうとだけ伝えさせてくれ。
みんながみんな自分の言いたい事が言える訳じゃない事くらい分かってる。
お互い、頑張ろうぜ。