「無」から「有」は生み出されるのか?
今回は突然ですが最初に何の説明も無い状態で下の画像を見てください。
見たことがある人もいるかもしれませんが、一般の人には「黒板にチョークで書かれた落書き」のようにも見えますし、「印象派の近代アート作品」に見える人もいるかもしれません。この画像については最後まで読めば分かりますのでそれまでいったん傍に置いておきます。
それではタイトルに戻って、「何も無いところから何かが出てくることがあるのか?」という点について考えていきましょう。次の画像のように何も無い中にライトで光が当たっている状況をイメージしてみます。真空の中に光を当てて何か物体が出てくることがあるのでしょうか?
この状態で何か物質が生成されると思う人はいるでしょうか?普通に考えたら何も無い空間に光を当てて何かが出てくることはありませんね。実生活においても「ライトを点けたら何か物体が出てくる」ということはありません。もしそういうことが起きたら明るい部屋は何かが出てきて困るでしょうし、ライトを消し忘れて外出したら大変なことになってしまいます。
ここで光の性質をおさらいしておきましょう。光とは「電磁波:波」としての性質と「粒子(光子:photon)」としての性質を同時に持っている、ということは過去の記事でも紹介した通りです(*2)。
Figure 3に示すように光は「電磁波」でもあって「光子」でもあります。そして我々が見える光が可視光線と呼ばれ、波長300〜800nm(ナノメートル)の領域の光を肉眼で見ることができます。
そして「光」は「波であっても粒子であっても」、「質量は無く」「物質では無い」ものです。ではこの光のエネルギーを強くしていくとどうなるかというと、可視光線から紫外線(UV)になり、さらに強くしていくとレントゲン検査で使われる「X線(X-ray)」や放射性物質から放射される「ガンマ線(Gamma-ray)」へと呼び方が変わります(Figure 3)。いずれも「電磁波」というエネルギーであり、物質ではありません。
この電磁波を標的に当てて「そこから何かが出てくるのか?」というのが今回解説するテーマとなります。そして今回紹介する実験は前回の記事で紹介した「反物質=陽電子(positron)」とも関係していますので、もし読んでない方は最初にそちらを読むことを勧めます(*3)。
今回は1950年代にカナダの大学で行われた研究実験をまとめた「An absolute measurement of the pair production cross section of lead at 2.76 MeV(2.76 Mevでの鉛における対生成断面積の絶対測定、*4, *5)」という内容の研究論文を紹介します。
当時は電子などの素粒子や原子がどのような相互作用を起こすかについて研究が盛んでした。前の記事のように1930年頃にカール=アンダーソン博士が陽電子を発見してノーベル賞を受賞してからさらにこの分野の研究は加速していきました。
この実験の主旨も「強い電磁波を当ててそこから何が発生するか」ということを調べることでした。この実験で「強い電磁波(光子:photon)」として用いられたのが高エネルギーの放射線=ガンマ線でした。具体的にはナトリウムの放射性同位体:Na24が線源として用いられました(*6)。このNa24は数種類の放射線を出しますが、最大のエネルギーが2.76 MeV(メガ電子ボルト:mega-electron-volt)の電磁波になります。我々が見える光「可視光線」のエネルギーが2〜3 eVなのでその100万倍くらいのエネルギーの光子です。
このために用いられたのがFigure 4左に示す装置です。このNa24線源を周囲が鉛に覆われた装置の中央に格納し、図の右側に高エネルギーの光子が照射されるように配置しました。そして図の標的(Target)の周囲で反応が起こり、飛び出した光子や素粒子が周囲のカウンター(Counter 1, 2)に検出されるという仕組みです。
前回紹介した記事では反物質である陽電子(positron)の発見について取り上げました(*3, *8)。通常はこの地球上に存在しないはずの反物質である陽電子は「どこからやってきたのか?」「エネルギーの中から発生したのか?」を検証するのもこの実験の目的の一つです。この陽電子と電子(electron)は“物質と反物質”という“互いに対をなすペア”の関係です。
Figure 5Aに示すように、陽電子と電子が衝突すると「0.511 MeVのエネルギー(annihilation irradiation)を正反対の2方向に放出して消滅する」ことが知られています。Figure 4左の装置を線源(Source)から見るとFigure 5Bのように見えますが、このように高エネルギーの光子ビーム(photon beam)を標的に当て、出てくるものを計測します。
標的物質(Target)は“反応を起こしやすくするための物質”であり、標的から何かが出てくるわけではありません。もし陽電子が発生したとしても、標的物質の中の無数の電子と反応してFigure 5Aのようにすぐに消滅してしまいます。しかし、その時に発生する0.511MeVの光子(電磁波)を捉えることができれば「存在してない陽電子が発生した」ということを示せます。
こうして計測した結果がFigure 6です。検出された信号のカウント数(縦軸)とその信号のエネルギー(横軸)のグラフですが、ちょうど0.511MeVのエネルギーの付近にピーク(矢印部分)が形成されているのが分かります。
これはもしかすると陽電子の発生を示しているのかもしれません。ただし、これだけではまだ陽電子の消滅放射線(annihilation irradiation)なのか、ただの光子の散乱線なのか分かりません。たまたま0.511MeVの光子が多く検出されただけかもしれず、陽電子が発生した確証にはなりません。
そこで“陽電子の消滅”のもう一つの特徴である“正反対に2つの0.511MeVの光子(annihilation irradiation)を放出する(Figure 5A)”という現象を利用します。Figure 4左、Figure 5Cのように対称に2つの検出器(Detector/Counter 1&2)を設置します。そしてFigure 4右のように“2つの検出器に同時に感知された信号のみを検出する回路”を設置します。
これによってFigure 5Cのように、“陽電子の消滅によって中心から同時に逆方向に発生した光子のカウント(Coincidences per minute)”だけを検出することが可能になります。精度は10^-6秒(100万分の1秒)以下の正確性で“一致率/同時性(Coincidence rate)”を検出できる回路なので、これによってエネルギーが0.511MeV付近でも陽電子から発生した光子と関係のない光子を区別することが可能になります。
この実験結果はFigure 7のようになりました。縦軸が“反対方向に同時に検出された信号(Coincidence per minute)”で横軸が“ターゲットの鉛の重さ”です。これらの縦軸は“陽電子による消滅放射線の量”と考えることができます。
標的の鉛が大きくなるほど、陽電子が発生する反応が起こりやすくなりグラフが右上に伸びているのが分かります。この直線グラフは“計算上の陽電子の発生量”になり、曲線の方は“実際に計測されたカウント数”になります。ここに差が生じる理由は「鉛が大きくなるほど反応が起こりやすくなるが、鉛自体が消滅放射線をカットする」ために「実際の発生量よりも計測値は少なくなる」という現象を意味しています。これらの結果が「陽電子が発生した」という間接的な証明となり、「高エネルギーの光子の中から陽電子が発生する」、つまり「非物質から物質が生成される」という科学的に大きな前進をもたらす事実を証明しました。
さらにこのときよりも後になって、この現象を画像化したものがアメリカにあるローレンスバークレー研究所(Lawrence Berkeley National Laboratory)から公表されました。それがFigure 8左の画像です。
Figure 8は一見子供が描いた落書きのようにも見えますが、これは霧箱と似たような泡箱(Bubble chamber)という“粒子の軌跡を可視化する容器”に高エネルギーのガンマ線を照射して中を撮影した写真です。
まずは下の2つのうず巻きについて説明します。これは2つとも同じ点から発生し、各々逆方向に同じくらいの大きさのうず巻きを形成しています。これは「電荷が反対で同じくらいの質量の物質」、つまり陽電子(e+)と電子(e-)を表しています。そして、その2つのうず巻きの発生地点からもう一本の線が上に伸びています。これは「同時に発生したもう一つの粒子」です。
注目すべき点は、この3つの粒子は同じ地点から発生していますが「突然何も無いところから発生している(下矢印)」ことが分かります。これは「物質では無いガンマ線(光子)から急に物質(電子/陽電子)が発生する様子」、つまり「無(非物質/エネルギー)から有(物質/電子対)が生成される」瞬間を捉えた画像ということになります。この現象は電子対生成(Electron pair production)と呼ばれ、高エネルギーの光子が起こす現象として知られています。
Figure 8の中央付近ではまた別の粒子のペアが生成されていますが、これらも軌跡が逆方向にカーブしているため、電子と陽電子のペアが生成されたと考えられます。先の実験ではこれらを直接撮影したのではなく、この陽電子が消滅した際に発せられた0.511MeVの光子を測定して陽電子の発生を証明した(Figure 7)ことを表しています。
「光が物質になる」「光が物質を創造するポテンシャルを持っている」ということが理解できたでしょうか。「無(だと思っていたもの)から有(形あるもの)が生み出される」ということも我々の古い概念を覆す事実ではないでしょうか。
そしてこれらを知った上でFigure 1(冒頭の画像)をもう一度見てみましょう。こちらも実はローレンスバークレー研究所(Lawrence Berkeley National Laboratory)で撮影された高エネルギーの光子や素粒子の相互反応を捉えた実験画像でした(*1)。もうただの落書きには見えないはずです。たくさんの線は幾つもの生成された粒子であり、何も見えない黒い空間には膨大なエネルギーの光子が巨大な滝のように流れているのが感じられるはずです。そして丸い泡のような軌跡は無数の粒子が生成と消滅を繰り返す、絶え間ない動的なエネルギー、躍動的なエネルギーを感じられるのではないかと思います。
次のFigure 9はアメリカのフェルミ国立加速器研究所で数百GeV(ギガ電子ボルト)という超高エネルギーを用いて行われたニュートリノの相互作用を捉えた瞬間です(*10)。これも注釈を読んで理解しなくとも、どのような現象が起こっているかは何となく想像できると思います。ただ超高エネルギーが物質を生成する超越した世界や、瞬間のうちに起こる無数の創造と消滅のエネルギーを感じてください。
Figure 10もローレンスバークレー研究所での実験画像の一部です(*11)。大きなエネルギーの流れがあり、そこに爆発的なエネルギーとともに数多くの粒子が放射されている様子が捉えられています。飛び散った粒子がまたさらに新たな粒子を生み出しているのが見て取れます。これらは火山の噴火のようでもあり、植物が花を咲かせる様子にも見えます。
次のFigure 11はCERN (Conseil Européen pour la Recherche Nucléaire, 欧州原子核研究機構)でのニュートリノと電子の相互反応を泡箱で捉えた画像です(*12)。この画像を見て何を感じるでしょうか。これは素粒子の世界というよりもむしろ銀河や宇宙のようにも見えます。いずれにしても小難しい理論を超えて、自然科学の造形美と純粋な知の探究の結晶とも捉えられるような美しさを感じる人もいるのではないでしょうか。
今回は「純粋なエネルギーから物質が発生する」ということを示した科学者達の研究を紹介しました。「無(非物質)から有(物質)が創り出される」ということを知ったことは科学的にも形而上学的にも大きな一歩と考えられます。
前回の記事の最後の疑問「なぜ陽電子は下から飛んできたのか?」というのももう分かりますね。そうです、高エネルギーの宇宙線によってチャンバーの下で創り出された陽電子がチャンバーの中に飛び込んできたのです。
「無から有が生じる」ということは物質界のみに起こることではありません。私自身も調べるうちに「知らなかった」ことに気付くことが多いですが、今回紹介した物理法則を「知らなかった」、「今回初めて知った」という人がいたなら、その人の意識の中に形而上学的に「何かが生み出された」かもしれません。
この「物質の創造を知らずに初めてFigure 1を見た時」と、「物質の創造の神秘を知ってFigure 1を見た時」で感覚に違いを感じたならば、その人の中に「何か変化が起こった」と言えます。もちろん物質的な視点で見ても「この記事を読む前と読んだ後の人では、物質的な変化は全く無い」はずです。しかし、形而上学的にその人の意識を見てみると、この自然法則を知ることによってその人が知らなかった領域「無知:Ignorance」の中に「知:Pure Intelligence」が生まれたと言えます。そしてその「知:Pure Intelligence」がFigure 1の「理解:Understanding」をもたらし、「好奇心:Curiosity」、「神秘:Mystery」、「美:Beauty」「感動:Emotion」といった感覚が生じた人もいるでしょう。
今列挙した「知:Intelligence」「理解:Understanding」「好奇心:Curiosity」「神秘:Mystery」「美:Beauty」「感動:Emotion」これらはいずれも「測定できない:Immeasurable」「見れない:Invisible」「比較できない:Uncomparable」ものです。つまり、「物理的でない:Not physical」=「形而上学的:Meta-physical」な要素です。物質世界と同様に非物質世界「形而上学の領域」でも「無の中から有が生じる」という法則が成り立つのではないでしょうか。
今回の重要なテーマは物質世界において「無(物質ではないもの)から有(質量を持つ物質)が生成される」そして「エネルギーと物質は様々な相互作用を引き起こす」ということです。しかし同時に形而上学的な領域においても「無知という暗闇に知性という光が生成されうる」そして「無の中に生じたものはまた新たなものを無の中に生み出していく」ということが言えます。「物質世界の究極の法則」を現実化(Manifestation)し解明してきた科学者達は非常に偉大だと思います。しかしその科学者達を動かしてきた「原動力」は何でしょうか?彼らを動かしてきた原動力(Driving force)、探究心(Spirit of inquiry)、知性(Intelligence)は「物質ではない」はずです。人類の進化と成長をもたらした著名人達は“無”から“有”を生み出し続けてきたのかもしれません。我々は「“無”から生じた“有”」の中に生きているのかもしれませんね。
(著者:野宮琢磨)
野宮琢磨 医学博士, 瞑想・形而上学ガイド
Takuma Nomiya, MD, PhD, Meditation/Metaphysics Guide
臨床医として20年以上様々な疾患と患者に接し、身体的問題と同時に精神的問題にも取り組む。基礎研究と臨床研究で数々の英文研究論文を執筆。業績は海外でも評価され、自身が学術論文を執筆するだけではなく、海外の医学学術雑誌から研究論文の査読の依頼も引き受けている。エビデンス偏重主義にならないよう、未開拓の研究分野にも注目。医療の未来を探り続けている。
*1. 15-inch bubble chamber event. Photograph taken March 27, 1958. Bubble Chamber-442, National Archives Catalog. https://catalog.archives.gov/id/22122920
*2. 「観る」ことで「現実が変わる」?:二重スリット実験
https://note.com/newlifemagazine/n/nf11ac38b370a
*3. 有るはずのない物質:“反物質”
https://note.com/newlifemagazine/n/n56fb7ec42b46
*4. Moore, RD (1956). An absolute measurement of the pair production cross section of lead at 2.76 MeV (Master's thesis).
*5. Standil S, and Moore RD. "Absolute Pair Production Cross Section of Lead at 2.76 Mev." Canadian Journal of Physics 34.11 (1956): 1126-1133.
*6. ナトリウム24- Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/ナトリウム24
*7. 可視光線- Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/可視光線
*8. Anderson CD. Cosmic-Ray Positive and Negative Electrons. Phys. Rev. 44, 406-416, 1933.
*9. Bubble chamber event. Invisible gamma ray photons produce pairs of electrons and positrons in a bubble chamber at the Lawrence Berkeley National Laboratory. One of the most important results of modern physics, the direct conversion of energy into matter. See also XBD200007-01094.TIF. XBB6911-07281. https://catalog.archives.gov/id/22122522
*10. Picture of Neutrino Interaction. Source: The Village Crier Vol. 8 No. 18, May 6, 1976. https://history.fnal.gov/historical/experiments/neutrino_picture.html
*11. Department of Energy. Lawrence Berkeley National Laboratory. Public Affairs Department. Strategic Resources Office. Photography Services. 2012. File:Cosmic ray event. Photograph taken July 1, 1960. Bubble Chamber-924 - DPLA - 191460725238ea887116556a03df3aba.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cosmic_ray_event._Photograph_taken_July_1,_1960._Bubble_Chamber-924_-_DPLA_-_191460725238ea887116556a03df3aba.jpg
*12. CERN Photo Archive: https://cds.cern.ch/record/39468
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