21世紀の日本の国家構想
国家構想の変遷アメリカの言いなり
1853年、ペリーが4艘の機帆船で浦賀の沖にやってきてから、徳川幕府は慌てて大政奉還して、1867年、天皇を抱く「日本国家」を作り上げた。そして西洋の列強国の発展に驚き、鎖国を解き、優秀な人たちが西洋を訪問し、進化した近代産業を目の当たりにし、日本でも繊維産業、鉄道産業、鉄鋼産業、造船産業などを作り上げ、急速に経済を拡大した。そして軍事力をつけていった。
日本は、ロシアの南下政策に対抗して、1904年日露戦争を仕掛けた。ロシアはレーニンよるクーデターが起こっていたので殆どのロシア軍はモスクワに戻り、日本は日露戦争に勝った。しかし日本は白人の大国ロシアに勝ったと得意になり、富国強兵政策から極東の覇者になろうとする動きに変わった。つまり極東アジアを拡大発展して、西欧列強に対抗するという考えになり、台湾、朝鮮、満州に手を延ばしていった。
アメリカは、日本の帝国主義的な動きに対して、早い段階で叩くべしとして、1941年に太平洋戦争を仕掛けた。アメリカは戦争を早く終わらせるために広島・長崎に原爆を投下した。原爆はソ連を追い詰めるためでもある。1945年の8月15日、日本は敗戦を迎える。