晩酌は疲れを取る
鹿児島では晩酌のことを『だいやめ』とか『だれやめ』と言う。方言で疲れることを『だれる』と言い、だれる事を止めるという意味でそんな言葉になったのではと推測した。
子供の頃は其処此処のお宅で生活の中に『だいやめ』があり、当たり前の日常だったかもしれない。
しかし近頃の若い人は、だいやめをあまりしない気がする。特にお酒に手伝ってもらわなくても、疲れ解消の術は色々あるのだろう。
お酒ならなんでもござれで、飲酒を週に2日休み5日間する夫を思えば、少し羨ましくなる。殆ど月、火曜日を休み、水曜日から日曜日まで連続5日間のだいやめを楽しみにしている。仕事のご褒美に読書とお酒が与えられれば、満足の人生に見えて仕方がない。
私が算盤塾の仕事で夕方の6時頃に帰る日は、鳥刺しや豆類をつまみながら既に出来上がっている。
以前、長男が東京の同僚に鶏刺しの話をすると「え、鶏を生で食べるの」と驚かれたと言っていたが、そんなに驚くべきことなのかと驚いた覚えがある。
県外にいる娘夫婦も鶏刺しが大好物で、帰省時は冷凍をして持って帰る。
最近はあてを夫が自分で拵えることがある、つい最近は、蛍いかと蒟蒻を醤油で煮付けていた。夏場はきゅうりを斜め切りにスライスして塩をまぶしただけの一品、河童ですかと問いたいくら大好物のきゅうりだ。生らっきょうを刻み、鰹節を振りかけ醤油を回しかける一品など、楽しそうに包丁を握り手際良く作る。
2日間飲酒を我慢した翌日の水曜日は、肝臓を労ったから偉いと思っている節がある。今日は酒が呑めるぞと、波動がビンビン伝わってくる。
大抵、缶ビールが先陣を切り、その後は日変わりで何かがテーブルの上に現れる。焼酎、日本酒、たまにワインやウイスキー。
夫は、5日間のだいやめを読書や大リーグの大谷選手のユウチューブ動画をお供に、至福の夜を過ごす。そしていつの間にやら赤ら顔で呂律が怪しくなり、だんだんと睡魔に襲われる。
「お父さん起きてる?風邪ひくよ」
座椅子に座っているが、首折れ鯖状態で俯いている、ハッとして頭を起こし「ああ、起きてるよ」
「目が開いてませんよ」
「動画を聞いてる」
「そうなの、動画は聞くものなの」
酔っ払いと押し問答をしても無駄だと分かっていても、台所から食器洗いをしながら今夜も同じ台詞が出る。
それから寝床に移動するように促すのに一苦労する、特に水曜日は大変で魔の水曜日と呼んでいる。これで疲れが取れ、明日の活力に繋がるのであれば仕方がないと諦めの境地だ。
因みに義父も若い頃は、飲兵衛さんだったようだ。しかし義母が61歳の時、心筋梗塞で他界したためか、食事に気を配り飲酒量を減らし健康オタクになった。自宅で長男に介護された義父は、百歳を過ぎてもビールと焼酎を少しずつ呑んでいた。
福岡から遊びに来て、その様子を見ていた幼稚園男児の私の孫が「ひいじいちゃんがビールを飲んどった」と大きな声を出し驚いていた。彼の中で印象深いことだったのだろう。
摂生をして長生きする人生は天晴れだと思う。見事に103歳の長寿を全うした義父である。
ブロッコリーの先を適量刻み、塩をひとつまみと水を少々入れる。
(ブロッコリーで卵焼きがふんわり、味付けはお好みで)
薄味で炊いた大根を胡麻油で焼き、中央に柚子胡椒を置く。
今夜のあてに、卵を持ったししゃもを焼いた。お酒を嗜まない私も美味しかった。