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【集中連載「新ウィーン楽派」(3)】シェーンベルクの2人の「高弟」・・・ベルクとウェーベルン

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。2月前半は3月定期演奏会で取り上げられる「新ウィーン楽派」特集です。第3回の今回は新ウィーン楽派、シェーンベルクの2人の「弟子」のおはなし。いままで抱いてきた「イメージ」その根底にあったのは・・・意外なものだった?「現代音楽」を身近に感じてもらうための挑戦・・・メッツマッハーの言葉の如く「新しい音を恐れないで!」という思いを込めてお送りします!

ふたたび…「落語」ばなし

前回のコラムでシェーンベルクを落語家の立川談志になぞらえた。これは個人的な印象なので、一般的にそのように言われているわけではない。とはいえ、前回の流れを受け継ぐとするならばシェーンベルクを始祖とする「新ウィーン楽派」を「立川流」とするならば、彼の高弟とされる2人の人物、アルバン・ベルクとアントン・ウェーベルンは差し詰め立川志の輔、立川志らく、立川談春などなど、現在大活躍している立川流の人気落語家に例えることができるだろうか・・・。

アントン・ウェーベルン

立川志の輔の名をあげて思い出した。志の輔師匠が所属していた明治大学落語研究会で代々受け継がれている「紫紺亭志い朝」という名跡がある。志の輔師匠もその名跡を名乗っていたのだが、その先代はあの三宅裕司であり、志の輔師匠の後を継いで志い朝を襲名したのは「リーダー」こと渡辺正行
なのである。こうなってくると、シェーンベルク=三宅裕司、、ウェーベルン=立川志の輔、ベルク=渡辺正行・・・でもいいような気がしてきた。どちらにしても、僕にとって「新ウィーン楽派」は「落語」と何か親和性を感じるものなのだろうか?新ウィーン楽派の音楽も落語と同じような感覚で楽しんでもらいたいという僕の願いがそうさせているのかもしれない。

アルバン・ベルク

今回はその「高弟」2人について、そして彼らの作品のボク的な「おすすめポイント」について綴っていきたい。

アカデミックな「俳人」ウェーベルン

生年順ということで、まずはアントン・ウェーベルンから。1883年ウィーン生まれ、音楽学で博士論文を書き学位を得た「学者肌」の人物でもある。1904年からシェーンベルクに師事した。シェーンベルク同様、初期は調的、それを経て無調の音楽へと展開していった。それに加えて、古い時代の多声音楽にも関心を持ち研究していたことも、彼の作品に大きな影響を与えている。

ウェーベルンの音楽の特徴として鍵となるワードがある。それは「アフォリズム」だ。お笑い芸人の「バカリズム」とは関係はない…はずである。

アフォリズムとは「物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。警句。金言。箴言(しんげん)」(デジタル大辞泉より)といったものである。

その傾向は無調の音楽を書くようになってからより強くなり、その頃の作品についてシェーンベルクは「一つの身振りで1篇の小説を表す」と評した。結果、ウェーベルンの作品は冗長なものというよりは、簡潔で短めのものが多い。もちろん、調性や和声進行で音楽を作ることを否定してしまうと、音楽を維持する要素が制限され、自ずと音楽は短めになってしまうのだが、それを超越し、短い中に音楽的な「緊張」と「密度」が凝縮されているのがウェーベルンの音楽だ。ウェーベルンを楽しむ際にはこの「アフォリズム」的な面に注目していただけたらと思う。ある本ではそれを「俳句」のようなものと評していたが、まさに言い得て妙だ。現代も俳句や川柳がテレビやラジオなどでも放送されて人気がある。17文字に凝縮された宇宙…それと同じスタンスでウェーベルンの音楽を楽しんでいただきたい。

松尾芭蕉と弟子の河合曾良

ウェーベルンは1945年に没したが、晩年10年間は世間から隔絶された。音楽事典にはそのように(皮肉にもアフォリズム的に)書かれているが、彼の音楽は「前衛的」過ぎたためにナチスから「退廃音楽」のレッテルを貼られてしまったのである。彼の他にも退廃芸術家の烙印を押された芸術家は数多くいた。ナチスは見せしめに「退廃芸術展」なるものを催したりもした。そのため作曲で生計を立てることができず、懇意にしていた楽譜出版社での編曲や楽譜の校閲などをしていた。ある意味学者的な部分が身を助けたともいえる。

ザルツブルクに移り住み、戦後の活動再開を目論んでいたウェーベルンだったが、娘婿が元ナチス親衛隊で闇取引に関与しているという疑いがあったことが悲劇を起こす。夜、タバコを吸いに外に出たウェーベルンは、娘婿の監視にあたっていた米兵に誤射され亡くなってしまった。タバコの火を付ける行為が、闇取引の合図と思われてしまったのが誤射の理由だったようだ。

ウェーベルンは指揮者としても活動しており、3月定期演奏会で取り上げるベルクの「ヴァイオリン協奏曲」をロンドンで初演した。ちなみに世界初演もウェーベルンが担当する予定だったが、親友のことを思い出し、練習も十分にできないくらいの精神状況となってしまったため、それは別の指揮者に託されることになった。

新ウィーン楽派における「抒情詩人」ベルク

ウェーベルンと双璧をなす新ウィーン楽派の作曲家アルバン・ベルク。ベルクと聞くと北関東でよく目にするスーパーマーケットを思い浮かべるが、もちろん関係はない。"Berg“とはドイツ語で「山」の意味である。日本的にいうと「山ちゃん」、手羽先を食べたくなってくる名前だ。

シェーンベルクが描いたベルク

ベルクは1884年ウィーン生まれ。ウェーベルンの2年後輩に当たるが2人は先輩後輩の「縦のつながり」のような関係ではなく、あくまで「同志」であり「親友」であった。シェーンベルク門下の「同門」であったが、その作風は対照的といわれている。

彼の音楽についてシェーンベルクは「充溢する暖かな感情」と評し、弟子である哲学者アドルノは「極致な推移の巨匠」と語っている。この2人の意見がベルクの作風を端的に表していると思う。

それは「旋律の人間的息遣い」「フレージングの自然さ」「リズムの有機的な力」「無調ではあるがしなやかな和声」という面で作品に現れる。したがって「現代音楽」の響きはするが、「聴きやすい」音楽とされ、事実ベルクの音楽を愛好するクラシックファンは多い。その特徴を踏まえながら「精緻な構造」と「洗練された陰影」をベルク独特の「感覚的な」響きに結びつけた作品が生まれた。

特に初期はロマン溢れる抒情的な作品を残し、その後は小さな枠のなかに密集させた感動を置くような作風となっていった。

ベルクの音楽作品は多岐のジャンルにわたるが、特に「歌唱付き」の作品が多いことは、ベルクを語る上で外せない。「歌う」という行為において大切なのは「歌いやすい音の進行」や「歌いやすい音程間隔」といえる。その結果「歌いやすい」ということは「聴きやすい」ことに結びつき、聴き手にとっても親しみを感じるものとなる。ベルクは初期の「7つの初期歌曲」からオペラ「ヴォツェック」や12音技法で書かれた未完のオペラ「ルル」に至るまで多くの歌唱付き作品を作曲したというのは、ベルクの音楽に聴きやすさをもたらした理由の一つだろう。それがオーケストラ曲や協奏曲にも、彼の個性を反映させることになった。

その昇華が、ベルク最後の作品「ヴァイオリン協奏曲」である。ベルクを語る上で外せない「傑作」が、ベルク自身のレクイエム、「白鳥の歌」となったのである。

ウェーベルンを「俳人」とするならば、ベルクは「詩人」とでも形容しようか。ロマンとメルヒェンと不思議な世界観を描くような音楽…宮澤賢治だったり中原中也だったり、人によってイメージは変わるだろうが、僕はそのような世界をベルクに感じている。

宮澤賢治

ベルクはウェーベルンほど衝撃的な死を迎えてはいないが、毒虫に刺されたことが死の要因であったらしい。ウェーベルンもベルクも志半ばにして不幸な死をとげたことは不思議な符号だ。反面、アメリカに亡命したシェーンベルクは西海岸カリフォルニアでその生涯を安らかに終えた。

2人の「現代音楽」が拠り所としたもの

調性が「半音階的」から「無調」を経て「12音技法」「音列主義」へ進化したときに、「伝統的な」和声進行や調性音楽が否定されたことは、前回より繰り返し触れてきた。結果、音楽やメロディをある程度の時間「維持すること」が困難となり、音楽の作品全体、そして各部分の長さが短くなった。作品としての「構造」や「統一感」も希薄となってしまうパラドックスに直面した彼らが拠り所にしたものは何か?

それは「古い時代の音楽」であり「形式」だった。それはバッハであり、バッハ以前の楽派の音楽、「多声音楽」=ポリフォニーだ。

何声ものメロディーが同時進行して構成される音楽、代表的なものは「フーガ」や「カノン」だが、それらの音楽から発展する形で「和声音楽」=ホモフォニーが生まれ、現代までその音楽は主流となっている。

和声や調性を否定したとき、それ以前の音楽を拠り所したことは興味深い。まさに「温故知新」といえるかもしれない。そして、2人はそれらの音楽に多用された「形式」を採用することで、自らの作品の「堅牢」な「構築」を図ったのだ。「ドイツ的なもの」を一言でいうと?という問いに、僕の大学の教授でドイツ文学者の小塩節先生は「ドイツ的とは堅牢さ」であると語っている。ウィーン生まれの2人がドイツ的堅牢さ、形式の尊重を求めたことは自然の成り行きだったのだろう。

ベルクは「ヴォツェック」の第一幕で、「組曲」「狂詩曲」「軍楽」「パッサカリア」「ロンド」からなる「5つの性格的小品」を、また第三幕の大詰めで「5つのインベンション」という形で登場する。

パッサカリアという変奏曲はウェーベルンが最初期に作曲した作品に採用した形式。この作品は彼の「作品番号1」であり、シェーンベルクが「独り立ち」を認めた作品だ。「新ウィーン楽派」において彼が「真打昇進」した作品が、古の音楽形式を取っていたことも非常に示唆的だと思う。

また、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」の2楽章後半にはバッハが和声付けをしたコラールが登場する。現代的な音楽の中で突如現れるバッハのコラールはこの作品の最大の聴きどころだ。現代の音楽が古の音楽と出会うとき、聴衆も演奏者も「救済」や「安息」を感じ、静かな感動を呼び起こす。このことは現代音楽の挑戦の先に見えてきた「音楽の普遍性」なのだと僕は思う。クラシック音楽を時代によって「色分け」することなど無益なことだ。それぞれの音楽は呼応し合い、共鳴し合いながらそれぞれの魅力を最大限に引き出している。「好きな作曲家」を聴き倒すのも楽しみ方ではあるが、それ以外の音楽に触れることで新しい魅力を知ることができるし、これまでの音楽に新しい光を与えてくれるにちがいない。

今回の演奏会で「パッサカリア」と「ヴァイオリン協奏曲」が取り上げられることに僕は指揮者とオーケストラのこだわりを強く感じている。今回の指揮者メッツマッハー曰く「新しい音」とされる新ウィーン楽派の作品、その根底に流れ、拠り所にしたのは「伝統的な音楽」であるというメッセージは「現代音楽は怖くない!」という熱いメッセージでもあるはずだ。

「古きを訪ねて新しきを知る」

それだけでなく「新しきを訪ねて古きを知る」体験をしてもらえたら嬉しい。最後に、ベルクはウェーベルンに比べて「聴きやすい」ことは間違いない。けれども、僕はウェーベルンの音楽の方がピッタリとはまる。これは自分や他人も気づかない「自分の本来の性格」なのかもしれない。

「新ウィーン楽派って良いよね!」と僕は素直な気持ちで、高らかに宣言したい。

(文・岡田友弘)

演奏会情報

#647〈トリフォニーホール・シリーズ〉
2023年3月4日(土) 14:00 開演

#647〈サントリーホール・シリーズ〉
2023年3月6日(月) 19:00 開演


新日本フィルに斬新なプログラムと数々のアイディアを与えた現代音楽屈指の指揮者、メッツマッハー(2013-15, Conductor in Residence)が久々の登場!世界のテツラフとの共演にも期待!

〈プログラム〉

・ウェーベルン:パッサカリア op. 1
・ベルク:ヴァイオリン協奏曲
・シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 op. 5

指揮・インゴ・メッツマッハー
独奏・クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

チケット、詳細は新日本フィルウェブサイトでCHECK!


執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。


岡田友弘・公式ホームページ

Twitter=@okajan2018new

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