![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/125055064/rectangle_large_type_2_0dfdac6636db9c1d9e41e8410db21fc0.png?width=1200)
ジエンド
先に断っておきますが、今回の記事はいつも以上に病んでいて、ネガティブ要素が強いです。苦手な方はここで引き返すほうが多分いいでしょう。
どうせ僕がいなくても 世界はなにも変わらない
さよならつまらなかったよ ありがとうと首を吊った
こう締めくくられるこの一曲。
もはやネットの世界に行っても地獄しかないのでネット断ちをして、リアルの世界に行こうといざなっています。
ただリアルの自×も連想させる内容です。
森山直太朗さんの「生きてることが辛いなら」の出だしのフレーズも物議を醸したのを思いだしました。
歌詞は割りと後ろ向きな内容ですが、曲調はオワタPにしてはかなり颯爽としています。
夏の海の家とかスポーツ施設で流れていてもおかしくない。
実は「ジエンド」、最初は作者を当てようという企画で発表されました。
作詞、作曲はオワタP、動画製作が三重の人。
この曲の動画の内容も物議を醸した曲です。
特定のボカロプロジェクトを名指しで非難したため、抗議される事態になりました。
続編の曲が作られたり、便乗した曲も作られました。
この曲の騒動自体も含めて「ジエンド」という曲の世界とマッチしている。
ネット上では色んな噂が流れ、真偽疑わしい情報が溢れています。
深く考えず、安易と思われるような批判もネットのコメント欄やSNSでは非常に多く見られます。
根拠がどうとかエビデンスがどうとか色々細かすぎる人達もいるので正直息苦しい世界です。
リアルの世界はどうなのか。
そこまで顔が広い訳ではないですが個人としていい人、共感できる人というのはたくさんいます。
しかし、全員が全員そうでもない訳です。
自分自身も気分や状況によってものの見方というのは変わるものです。
なかなか自分の考えに共感してくれる人も少数です。
病んだ投稿とか見ると、何病んでんねん、もっと自己肯定感持てよとか上手いこといってるときはエラソーに思ってしまうわけです。
しかし、調子悪い時は共感する自分もいるくそみたいな思考回路です。
いわゆるネットの病み垢は自己肯定感が低いタイプやかまってほしい感じの人が多いのが実感としてあります。
一方、私が病みがちの時に陥る思考回路は、何で自分の考えを認めてくれないんだとなる他責思考です。
自分は特別な存在で かけがえのないオンリーワンで
ナルシストな思考はとても繊細で 現実ってやつはどうせそんなもんだろ
まさにこんな感じでしょうか?
認めてくれないならいてもいなくても仕方ない。いつでも×ねると。
ネットなら下手すると晒しものになりそうです。
飢餓の危機こそ今の日本社会ではほとんどありませんが、心の闇というのは本当に多いと感じます。
戦争も争い事も残念ながらなくなりません。歩み寄ろうとしても難しい所。
個人的な力不足も感じてしまうところです。
はっきり言うて嫌な事の方が多い。今はそう感じてます。偽善者も多くて、不用意に対立煽る人や小さなミスをどうこういう人が目立つのも嫌だ。
とかいいつつ自分もかなりいらちな方。言い方がはっきりせんかったり逆に怒った言い方になったりもしてしまう。
オワタPさんは実はすごく前向きな発信も多い方ですが、ネガティブ解釈ができる曲も多く、心に来るものがあります。
カラオケとか行って曲を歌ったり、日常で曲を聞くときに年々こみ上げてくるものが大きく、涙が出そうになることが増えている気がします。
一方で情報過多、似たような胡散臭いコンテンツ、しょーもない対立ばかりで飽きて何にも思わなくなっても来ています。
どこかに「やさしいせかい」というのはないのだろうか?