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気合は資源?「軍国日本と『孫子』」

私のnoteでも度々紹介している中国の古典思想。孔子、孟子、荀子、老子、荘子、孫子、韓非子、墨子… 2000年以上前に(日本では文字も持たない時代に)、百花繚乱の思想が花咲いていたというだけでもロマンがあるではありませんか。

私の好きな老荘思想については、いつか書いてみたいのですが、今回は「孫子」に関する本の紹介をしたいと思います。それが、湯浅邦弘「軍国日本と『孫子』」(ちくま新書、2015年)。

兵法書で知られる「孫子」は、現在においては、『ビジネスで勝ち抜くコツ』みたいなテーマでもよく引用されており、中小企業診断士の私としても、無縁ではいられない書物であります(原文を読んで理解することはできないのですが…)。洋の東西を問わず、長きにわたって研究が行われ、これからも読み継がれていくであろう「孫子」。しかし、湯浅先生の研究によると、兵法に勝手な解釈が加わり、都合よく解釈され、それがエスカレートしていったのが日清・日露戦争~太平洋戦争の時代だったといいます。きょうは、この本を読んで私が感じたことを書いてみたいともいます。

昭和天皇の戦争分析

この本で冒頭に紹介されているのが昭和天皇が語ったとされる「戦争の敗因分析」。2014年に公開された『昭和天皇実録』を引用する形で紹介されています。それによると、昭和天皇は敗因を4つ挙げています(引用は原文ママ)。

1. 兵法の研究が不十分であった事、即孫子の、敵を知り、己を知らねば、百戦危うからずという根本原理を体得していなかったこと。
2.余りに精神に重きを置きすぎて科学の力を軽視した事。
3.陸海軍の不一致。
4.常識ある主脳部の存在しなかった事。

湯浅邦弘「軍国日本と『孫子』」

昭和天皇の敗因分析の1番目に、「孫子を体得していなかった」と書かれているのが非常に興味深いですよね。敵国の圧倒的な物量の多さや独伊の降伏で戦況が厳しくなることがわかったうえでも、戦争を開始し継続してしまったことへの反省の念を推し量ることができます。


正々堂々か、詭道か

孫子においては、「兵は詭道なり」という有名な一文があります。

兵は詭道なり。故に能なるも之れに不能を示し、近きも之れに遠きを示し、遠きも之れに近きを示す。
(戦争とは詭道(欺瞞)の道である。だから、能力があるのに能力がないふりをし、用兵しているのに用兵していないふりをし、近くにいるのに遠くにいるふりをし、遠くにいるのに近くにいるふりをする)

現代語訳はChatGPTさんにお任せしました。

戦争においては、いかに相手を欺くか(相手の想定外のことを起こしたり、こちらの戦力・作戦がわからないようにしたり)の重要性を説いたこの言葉。現代から見ると、至極あたりまえのように聞こえますが…、解釈によっては、「欺くなんて、正々堂々としていない!」などという解釈もあったようです。実際、1930年代以降の国粋主義の高まりの中で出版された『闘戦経』では、「兵の道は能く戦うのみ」と、ただ戦うのがいいことで、策を弄するのはよくないという主張がなされています(その割に、盧溝橋事件や真珠湾攻撃など「奇襲」もしていますが)。

気合が一番!?

「詭道」の解釈のほかにも、孫子で引用されている「百戦百勝は善の善なるものに非ず」(戦いを避けられるのであればそれが一番良い)が、「日本の伝統では、百戦百勝が一番だ!」となるなど、戦争を正当化するために孫子を否定に走ったのが戦時中ということがよくわかります。
そうした雰囲気の中で、1934年に刊行された『戦綱典礼原則対照 孫子論講』では、具体的事例に即して孫子を解釈したものです。孫子では、「開戦前に綿密な情報収集を行い、勝算が多いのであれば開戦してもよいが、そうでなければ事前に敗北が決まっている」と指摘しています。これに対しては、「座して滅びるくらいなら、勝算なき戦いにも参加しなければならないこともある。その算定においては『必勝の信念』が大切で、物質上の問題はそれに付随するに過ぎない」と指摘されています。つまり、「気合があれば勝てる」というアニマル浜口さんのようなことを言っているわけですね。
実際、戦争の様々な場面を見ても、「日本古来からの気合をもってすれば勝てる」などの言葉はいたるところで目にした気がします。

経営への教訓

湯浅先生の著書には様々なことがもっと詳しく書かれているので、ご関心のある方はそちらを手に取っていただければと思います。
が、この本は現代にも重要な示唆を含んでいる気がします。
私が感じたのは、
一、自己正当化のために、勝手な解釈をしてはいけない
→経営理論や市場環境、自社の強み弱みなど経営者には様々なことを分析することが求められます。その中で、希望的観測や推測によって、勝手な解釈をしていないか、ということは常に自問する必要があるのではないでしょうか。
二、気合はリソースではない
→従業員の「気合の高さ」(モチベーションの高さ)を「強み」として聞くことも多いですが、その「気合」の源泉は何でしょうか。人事制度で従業員がモチベーション高く働き続ける仕組みが整っている会社は「強み」として考えられると思います。一方で、経営者の希望だったり、経営者が従業員に強要しているものだったらどうでしょうか。下手をすれば大量退職→人手不足倒産ということにもなりかねません。こんなニュースもあったばかりですし。

私も特に報道機関に勤務していた時は、とにかく「気合いだ」「他社の2倍働けば、他社の2倍特ダネが取れる!」などという人がいたものです(今は働き方改革の影響でそんなこともないのでしょうけど)。

いずれにしても、ご紹介した「軍国日本と『孫子』」、現代に対する様々な示唆が含まれており、読んで損はない一冊です。新年から良書に出会えたことに感謝。


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