【歴史小説】第17話 九尾の狐②─獣─(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)
1
清盛や義清と出会った日の翌日、泰親は賀茂の斎院へ向かった。
「接触したか。どうであった?」
御簾の奥にいる賀茂神社の斎院は、清盛に接触した泰親に問いかけた。
向こう側の泰親は、
「至って普通でした。白河の院の落とし胤からは、特に邪な気は感じられませんでした」
と答えた。
「そうであったか。けれども、相手は平将門の生まれ変わり。油断してはなりません」
「心得ております」
そう言って泰親は頭を下げた。
2
翌日。清盛と義清は聞き込み調査を始めた。
まずは近くに住んでいる人に話を聞いてみる。
だが、近隣住民のほとんどは、
「寝てたから知らない」
「叫び声を聞いて目を覚ましたが、また誰かが賊にでも襲われたんだなと思って寝てしまったよ」
と口をそろえて言う。
「しっかし、本当に妖怪なんかいるのか?」
清盛は気だるそうな口調でこぼした。
「いるから陰陽頭も動くんだろう」
「でも、ここまで証拠がないと、ただの狼が食べたんじゃないかって思うんだ」
「そうか? 普通の狼が人を焼くか?」
「うぅ……」
義清に問い詰められ、清盛は何も答えられない。
土御門にある泰親の屋敷。
二人とも来るのが初めてだということで、泰親が直々に案内してくれた。
泰親の屋敷は六条の源氏屋敷と同じで、庭には草が生え放題。だが、六条の源氏屋敷と決定的に違うのは、御殿の壁に穴が空いていないうえに畳や座布団がきれいなこと、人があまりいないということだ。
義清は情報収集の結果を泰親に報告した。
「やっぱりか」
泰親は二人の収集能力不足を咎めるような仕草を見せずに、ただただうなずく。
「聞いても、みんな知らないと答えるばかりで」
「まあ、アヤカシ関係なんてそんなもんだ。夜人は寝てるし、目撃者がいたとしてもわずか。焦らずゆっくりと情報を集めるといい」
泰親は大きな口を開け、こんがりと焦げ目のついた魚を頬張る。
「そんないい加減なものでいいのか?」
義清は呆然とした表情で言う。
「おれとしては、鬼じゃないかと思ったりもした」
「鬼?」
「うむ」
泰親はうなずいて続ける。
「あのひっかき傷を見て、そうだと判断した。使われなくなった羅城門に鬼が住んでる噂話はよく聞くだろう?」
「おう」
義清はうなずき、徳利に入った酒を盃へと注ぐ。
「でも、後で考えてみると、肉片を噛んだ時の傷は獣のそれだった」
「となると?」
義清は首をかしげた。
「それ以外も考慮できる」
「猫またや古狸か?」
「左様」
泰親はうなずいた。
「死体にあった嚙み傷を見ただろう?」
「うむ」
「鬼にしては不自然だと思わないか?」
「言われてみれば」
義清はうなずく。昨日見た喰いちぎられた死体にあった歯形は、細長かったからだ。鬼が噛んだとした場合、歯の形状からして、噛みついたときに横幅のある歯形ができる。
「だろう。でも、正体はまだ特定できていない。だから頼んだぞ」
「おう」
義清はうなずいた後、箱膳にあった豆の煮ものの皿に手をつけようとしたとき、
「もらった」
清盛は義清の皿にあった魚をまるごと食べた。
「おい、人の魚勝手に食うな」
「お前がさっさと食べないのが悪い」
「ははは、やはり、生身の人間はおもしろいな」
泰親は大笑いする。
「生身の人間?」
清盛と義清は同じタイミングで、目を点にして聞く。
「いや、なんでもない」
「ほうほう」
「松茸が焼けましたよ」
話している途中、雑色女に化けた式神が焼けた松茸と塩を持ってきた。
こんがりと焼けた松茸からは、香ばしい薫りを放ち、部屋中に漂う。
「これについては、そのうちわかる。ささ、焼けた松茸が届いたから食べよう」
「そうだな」
三人は雑色が持ってきた焼き松茸に塩をつけ、旬の品を味わう。
3
清盛と義清は馬に乗りながら、夜の五条通りを歩く。
「なあ、義清」
「何だ?」
「この前、鳥羽殿で何をしてたんだ?」
「別に何もない」
義清はすました顔で、何事もない素振りをしながら答えた。
「俺には言えない特別な事情ってもんがあるのか?」
「別に」
「ホントか?」
「そんなに俺の秘密が知りたいなら、こっちの質問にも答えてもらおうか?」
清盛のしつこい質問に痺れを切らした義清は、怒り口調で清盛に聞く。
「?」
「あの陰陽師と初めて会ったとき、名前を聞いただろう。泰親がお前の名前を聞いたとき、知っている素振りを見せていたな」
「まあ、そうだな」
「だが、俺がいたから、陰陽師はあえて赤の他人を装った」
「おう」
「陰陽師に世話になるということは、お前過去にタチの悪い怨霊に取り憑かれた経験でもあるのか? はてまた大病でもした経験とか?」
義清の質問に清盛は、首を振って答える。
「無い」
「ホントウか?」
「本当に無いんだって」
「〈記憶がない〉。これは立派な霊障の症状ではないか」
「そうなんだよ。俺は生まれてから八つのときまでの記憶が無いんだ。わかるのは、俺が本当の親父が白河法皇で、母親は俺を産んでからすぐに亡くなったこと。そして、武士平忠盛の子どもとして育てられたことだけ」
「ほーう。生まれたときからしばらくの間記憶が無いのは認めてやろう。ただ、何かの拍子で思い出すことがあれば、話してもらおう。この場で」
「……」
清盛は黙り込んだそのとき、
「ぎゃあぁあぁ!」
断末魔が聞こえた。声の高さからして女だ。
「聞こえたか、今」
「ああ、聞こえた」
「行くぞ」
「おう」
清盛と義清は、断末魔の聞こえた方向へ向かって走る。
4
清盛と義清は断末魔のした方へ駆け寄った。
「何ってこった」
予想通り、ひっかき傷がつき、食べ散らかされたように人の肉片が路上に散らばっている。凄惨極まる事件現場には、真っ赤な鮮血が築地や路上に飛び散り、鉄臭い血の香りが漂う。
二人の目の前には、金色に輝く大きな狐がいた。
通常一本しかない尻尾が、この大型狐には九本ある。
金色の毛並みを持った九本の尻尾を持つ狐は、先ほど殺した人間の手を咥えながら、清盛と義清を見つめる。
「おい、清盛、お前は離れてろ」
「おう」
義清は背中に背負っていた靫から矢を一本取り出し、放った。
狐は青い火の玉に姿を変え、消えてゆく。
先ほど義清が放った矢は、放物線を描いて青い炎に当たり、灰と化した。
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