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【歴史小説】第21話 西行①─予兆─『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


「ここは、どこだ」

 清盛は目を覚ますと、大量の山桜が植えられた場所にいた。

 花びらを散らす満開の山桜は月光に照らされ、その白さがより一層際立つ。

「清盛」

 誰かが自分の名前を呼んだ。

 清盛は振り返る。

 後ろいたのは、20代ぐらいの男で、背が高く面長で非常に顔の整った、若い僧侶だった。

「お前、もしかして──」

 清盛はこの顔に見覚えがあった。同じく鳥羽院に「北面の武士」として仕えている佐藤義清だ。

「長い間、世話になった」

「おい、いくら何でも唐突過ぎだろ。何も言わないで出家するなんて」

 清盛は桜吹雪の舞う中、義清を追いかける。

 義清は捕まるまいと早足になる。

「待て!」

 清盛は追いかけようとしたが、突風とともに花吹雪が巻き起こった。

 花吹雪が止んだので顔を見上げると、義清の姿はどこにもなかった。


   2


 朝の鳥羽殿北面の詰め所。

 清盛は弓矢の整備をしているときに、昨日見た夢について話し始める。

「妙な夢を見た」

「どんな?」

 義清は聞いた。

「お前が出家する夢だよ」

「ほ、ほう」

 少し黙ったあと、義清はうなずいた。

「お前もしかして、この世に疲れたのか?」

「ま、まあ疲れてはいるな。いろいろあるし。でも、俺にはまだ4つになったばかりの娘がいるだろう。だから、弱音なんて、吐いてられないんだよ」

 義清は早口で言った。同時に、なぜ自分の思考を清盛が知っているのか? と考える。自分の中にある厭世観と出家の意思は、一度も誰かに漏らしたことはない。もちろん、一番の理解者であるべき妻にも。

 清盛は共感すると同時に、

「そ、そうか。俺もそうだから、わからなくはないな。でも、出家するのなら、今ある幸せを失う覚悟はあるのか?」

 その覚悟を問いかける。

「……」

 義清は黙り込んだ。

 覚悟がないわけではない。だが、清盛の言う通り、失うモノがあまりにも大き過ぎる。もし仮に出家するとしても、俗世への未練があっては、できそうにもない。

「おい、義清、清盛。出番だぞ」

 同じく北面の武士である源季正(みなもとのすえまさ)は、二人の出番が来たことを教える。

「清盛、季正が呼んでいる。この話はここまでにしよう」

「そうだな」

 弓矢の整備を終えた義清と清盛は、持ち場へと向かう。


   3


 法金剛院。

 池の前に植えられた桜は、満開とまではいかないが、1本の枝ごとに5、6輪ほどの花びらをつけている。

 堂宇の中では、肩ぐらいまで伸ばした茶色い髪が特徴的な、法衣を着た童顔の女性が、虚ろな表情で庭に植えられた咲きかけの桜を眺めていた。その姿は、ただぼーっと咲きかけの桜木を眺めているように見えるが、見方によっては、誰かをずっと待っているようにも見える。

「いつもそんな悲しい顔ばかりしていると、せっかくの美人も台無しですよ、待賢門院さま」

 義清は璋子の後ろから声をかけた。

「来てくれたのですね、義清」

 義清がやってきたとき、待賢門院璋子に笑みが浮かんだ。先ほどの憂い表情はどこへ行ったのか。

「ええ。この義清、いつでも待賢門院さまのお側にいますよ」

 義清は笑顔を浮かべ、璋子の手を優しく握る。

「昨夜、夢を見たのです」

「どんな夢ですか?」

「満開の桜木の花が散りゆく中で、貴方が何事も言わずに遠くへ去ってしまう夢です」

 義清は璋子の手を強く握って、耳元で囁く。

「私はどこにも行きませんよ」

「本当ですか?」

「えぇ」

「ならば、私と約束してください。どこかへ行かないで、私を一人にしないで、と。若いころは私と会ってくれる人はたくさんいました。でも、今の年老いた私を訪ねる人は、顕仁と貴方しかいないのです。同性の話し相手は堀河がいますが、ときどき息子や院以外の男の人と、こうして話したくなるのです。罪深い女でしょう? 仏門に入ってもなお、男を求める。禁じられたものだと、わかっているのに……」

「なるほど。誰かを愛しいと思う心には、聖も俗も関係ありませんよ。僧正遍照という歌人をご存知ですか?」

「えぇ」

「彼は僧侶の身の上でありながら、恋の歌を詠んでいました。それゆえ、彼が生きていたときは、『僧侶の身で邪淫戒を破るとは何事だ』とたくさんの人たちから誹謗中傷されたことでしょう。ですが、誰かを愛することを禁じられた身分でも、人を愛することは辞められないのです」

 低く、優しい声で、義清は璋子の耳元で語り掛けるた。

「そうですか」

「えぇ。私がいる限り、貴方を一人にはさせません」

 義清は璋子の後ろから手を伸ばし、きゅっ、と抱きしめようとした。

「や、やめてください」

「おっといけない。貴方の美しさに惹かれてつい」

 我に返った義清は、さっと手を引き、庭の方に目をやった。

「お、こんなところに桜が」

 義清は隣にあった桜の枝を一枝折って璋子に渡した。

 璋子はそれを受け取る。

「もう桜の季節になったのですね」

「ええ。待賢門院さまは、桜はお好きですか?」

「はい。院がまだ帝であらせられたころ、共に吉野へ行幸しました。そのとき、一緒にご覧になりました。きれいな花ですよね。春の盛りに咲いて、終わりとともに散ってゆく」

「ですねぇ」

 二人で仲良く三分咲きの桜を眺めているときに、女房の堀河がやってきて、

「待賢門院さま、主上(みかど)がお見えです」

 崇徳帝来訪の旨を告げた。

 璋子は、はっと我に返り、別れを告げる。

「私はもういかないと。今日もありがとう」

「はい。あなたが寂しいとき、いつ、どこにいてもあなたのお側に駆けつけます」

 義清はそう言い残して、璋子の前を去っていった。


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