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【エッセイ】遠江①─掛川と町並み─『佐竹健のYouTube奮闘記(76)』

 5月某日。三度目の旅もまた新宿駅からスタートした。

 今回の行き先は、駿河国のお隣遠江国。目指すは掛川城である。また、時間があったら、同じ掛川市にある掛川花鳥園へも行こうと考えている。

(とうとうこんな遠くまで行くことになるとはね……)

 思いもしなかった。

 城めぐりの旅は、関東地方だけで完結するだろう。そして全て巡ったあとは、いつものようにゆったり近所の名所を巡る動画がメインになる。そう思っていた。だが、フォロワーさんから、他の地方の城めぐりも見たい、というリクエストが出てきたので、ひとまず東海地方のそれをやることになった。

 三河、尾張、伊勢、志摩、伊賀、そして甲斐。今回は距離があるので、関東城めぐりのようにすぐ行ってすぐ帰ったり、交通費をすぐに用意できるわけではない。時間やコストがかなりかかるのだ。だから、どこかで立て直す時間がいる。また、年々あつさが厳しくなっている。最近、特に一昨年からのあつさは「暑い」というやわらかい表現ではなく、「熱い」という方が正しいのでは、と思うくらいだ。

 ひとまず、この遠江への旅を一区切りにして、涼しくなる10月くらいまで休もうと考えている。その間に遠征費用を捻出したり、残り六ヵ国の知識を身に着けておいたりする。一言で言うなら充電期間にしようと思うのだ。だが、もし仮に、動画制作中に涼しい日があったなら、三河で一区切りにするつもりでいたが。

 あと言い忘れていたが、取り付けたように甲斐を残りの一ヵ国に入れたのは、五畿七道について調べていたときに、甲斐が東海道にあったためである。


 東海城めぐりの旅がいつも新宿駅からスタートしているのは、在来線で行くよりも小田急に乗って小田原まで行った方が安いからだ。距離はあるし途中各駅の区間があって時間はかかるが、在来線で行くより半分くらい安く済む。

 前にも話したように、移動する際私はコスパを重視している。そのため、旅をする前どのルートで行けば安くなるかを試算している。

 試算をしていたときにこの事実に気がついた。

 東海城めぐりをやる前に計画していた甲信越城めぐりをするため、最寄り駅から甲府までのルート検索と交通費の計算をしていたことがあった。

 調べた結果、3通りの結果が出た。

 一つは、新宿から出ている中央線の特急列車に乗って甲府を目指す。二つ目は、同じく新宿駅から出発し、中央線の列車に乗って目指す。三つ目は、同じく新宿駅から出ている京王線の高尾山行きの列車に乗り、高尾で大月を経由する甲府行きの列車に乗り換えて目指すというものだった。

 必要経費については、もちろん一つ目の方が高かった。特急を使うことになるので、最寄駅から甲府まで片道9000円ぐらいかかる。二つ目の全てJRの在来線で行くことに関しては、費用を半分ほどに抑えられる。三つ目も二つ目同様特急を使わない選択をすることで、半分ほどに抑えられるのだが、京王線を使って高尾駅まで行く方がいくらか安上がりであった。

 乗り換えについては、一つ目のルートなら、新宿駅の1回で済む。二つ目と三つ目のルートなら、新宿駅と高尾駅の2回。

 タイパを重視するなら一つ目がいい。だが、東京から甲府まで普通の電車で移動しても、所要時間とコストは東京から館山へ行くのと大差が無い。それに費用という面から見たら、普通に電車を使って行った方がいい。

 これらのことから、三つ目の策をとることにした。ただ、何かしらのアクシデントがある可能性も十分考えられるので、一つ目と二つ目のルートも頭の片隅に入れている。

 結果甲信越城めぐりはいろいろあって企画倒れし、東海城めぐりとなったので、計画は水の泡となった。が、全部在来線を使うより私鉄も上手く使った方が安上がりになるとわかったことで、いくらか交通費の削減に貢献する形となった。全部が全部無駄になったわけではない。


 熱海駅へ着いた。ここから新幹線に乗って、掛川を目指す。

 当初は三島から新幹線に乗って掛川を目指そうと思っていた。だが、東海道線(JR東海)のダイヤが乱れていたので、急きょJR東日本との境界となっている熱海駅から新幹線を使うことになった。

 新幹線に乗ろうとしていたことについては、静岡に行ったときから、小田急の快速と在来線だけでは、移動に大部分の時間を費やすことになるので、巡れる場所も限られてくるからだ。

 行きで新幹線を使う移動は5年ぶりであった。最後に使ったのは、友達に会いに行ったときだったか。帰りはこの前駿府城へ行ったときの帰りに静岡で乗ったことぐらいであろうか。

(やっぱり新幹線は快適だね)

 割高ではあるが、快適である。在来線で3時間以上かけて行っていた静岡も、あっという間に通過してしまうのだから。


 当然、掛川へはすぐに着いた。

 駅の北口を出て、掛川城を目指す。

 そのとき振り返って見ると、掛川駅の駅舎が見えた。

 黒い塗料が塗られた木材に漆喰の白壁。掛川駅の駅舎の外観は木造であった。特急が停まる駅とは思えないほどレトロである。

 同時に粋だとも思った。黒と白が映える和風建築の駅舎は、城下町でありかつ東海道の宿場町でもある掛川市にとても相応しい。

 駅舎といえば、大体ガラス張りのスタイリッシュな外観か白い横長の長方形の建物が多い。

 統一的なデザインの多い駅舎であるが、たまに趣のあるものも存在する。

 例を出すとしたら、行幸通りに面している東京駅の駅舎だろうか。赤レンガでできた西洋の宮殿みたいな駅舎だ。東京駅に行ってあの駅舎を見たときはいつも、本当に立派だと思う。

 掛川駅と近い意味で言えば、京王線の高尾山口駅もそうだ。

 毎年秋になると、紅葉を見に高尾山へ行くのだが、その際いつも京王線の高尾山口駅で降りている。

 その高尾山口駅であるが、外装には木材が使われている。

 使われている木材が何なのかわからなかったので後で調べてみたのだが、高尾山薬王院にある杉並木にちなみ、杉材を使っているらしい。

 高尾山口駅の駅舎は、和風建築の駅舎ではない。が、杉材を使っているという点で、高尾山であること、そしてをアピールするのに一役買っている。

 駅はその街の顔である。外装、中にある店などから、その街がどういう街なのかわかる。掛川駅の駅舎を和風にデザインするというのは、掛川が東海道の宿場町であることを外から来た人に伝えるのには、いいアイデアだと私は思う。


 掛川の街は城下町といった感じで、通路がきっちりしていた。

 お城の近くには商店街があった。その商店街は昭和の名残を残していて、時折色褪せた看板がわびさびを感じられ、趣深い。

 城の目の前で赤信号になったので止まった。

 止まっている間私は、町の様子を眺めていた。

 横を通る商店街の歩道には、庇のようなものが続いていた。

(こんな町だったねぇ)

 私の昔暮らしていた町の旧市街地もちょうどこんな感じだった。

 大通りに沿ってある商店街には、いくつかの個人商店が並んでいて、その前にある歩道には、庇がある。庇で囲われた歩道には、半世紀くらい前からあるような色褪せた看板や商店が並んでいる。ただ、掛川の商店街と違うのは、明らかに江戸期から明治期、大正期に建てられたと思われる商家や屋敷があるところ、ここまできれいに街が整備されていないことであろうか。

(さて、お城も見えてきましたし、信号を渡りますかね)

 信号が青になったので、私は渡って目の前にある城を目指した。


【解説】

・五畿七道……旧令制国の地方区分。大和国周辺の五ヵ国を畿内、そして今の東北地方から近江までの日本列島の中心部を東山道、常陸から伊賀までを東海道、旧越の国の一帯と佐渡を北陸道、紀伊と淡路島と四国を南海道、京都府北部と中国地方の北の大部分と隠岐を山陽道、兵庫県の神戸以西と中国地方の南と山口県を山陰道、九州と対馬と壱岐を西海道とした。


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佐竹健
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