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【歴史小説】第55話 保元の乱・序⑥─怨敵調伏の法(後編)─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 義朝たちは再び、屋敷の中を捜索した。だが、東三条殿にある全ての部屋を探しても、お経を読んでいる人間の姿は、どこにも見当たらない。

「どこにいるんだ?」

「見つからないじゃないか!」

 見つからないことに苛立つ広常と義明。

「お前ら落ち着け」

 焦る2人を正清はなだめ、続ける。

「推測だが、ここであって、ここでない場所にいることも考えられる。前にこの屋敷に下人の格好をして入ったとき、蔵の下に座敷牢があった。だから、この屋敷の中に、隠し部屋の一つや二つ、あってもおかしくはない」

 正清の仮説を聞いた義朝は、納得した表情で、

「なるほど! お前ら、屋敷ごと破壊しても構わん、中にいる坊主をひっとらえろ!」

 と命じた。

 義朝を含めた99人は、隠し部屋を探すため、屋敷の中を荒らして回った。屋敷の床板を剥いだり、天井板を薙刀で壊したりしながら。もはや捜索活動というよりも破壊活動と化している。

 だが義盛は違った。掛け軸の裏をめくったり、壁の向こう側に耳を当て、音が聞こえないかを確かめたりしながら、読経をする男を捜している。

「義盛、お前丁寧に探しているな」

「大体隠し部屋というものは、出にくそうで出やすい場所にあるものですから」

「なぜ、そのようなことがわかるんだ?」

「おれが育った里にありましたから」

 正清と義盛は先ほどまで隠し部屋の入口を捜していた部屋を出て、隣にあった部屋へと入った。

 隣の部屋は三面を蔀戸に覆われていて、一面だけ白い漆喰で塗られた壁となっている。

 白い漆喰と蔀戸との間には、ある程度空いた間隔で設置された本棚がある。そこには『古事記』や『日本書紀』といった歴史書から、『伊勢物語』や『源氏物語』といった小説の写本がある。日本の古典の名作だけではなく、『史記』や『三国志』、『論語』といった中国古典もある。

 その一角にある経机の上には、硯と筆、そして下敷きの上には、草書体で書かれた文字が書かれている写し途中の写本のようなものがあった。

「何だろう、これ?」

 経机の上に置いてあった書きかけの文章を、義盛は読んだ。

 文章の頭に年号と日付が記されている。どうやら日記のようだ。

「義盛、どうした?」

 声をかける正清。

「これが、悪左府と呼ばれる男の本性か……」

 義盛は苦い顔で言った。あの悪左府にこんなところがあったとは。

「それがどうしたんだ?」

「いや、なにもない」

「そうか。それよりも、隠し部屋と思わしき場所は、見つかったか?」

「はい。ここです」

 義盛は白い漆喰で塗られた壁を指さした。

「なぜ、ここだと思った?」
「不自然じゃありませんか? 他の仕切りは蔀戸なのに、ここだけわざわざ漆喰を塗ってあったり、壁側の本棚だけやけに本の数が少ないですし。それに、真ん中のところで違う本棚になっています」

「言われてみれば」

 正清は、義盛の推理に納得した。

 普通の貴族の屋敷、いわゆる寝殿造りの屋敷には、壁はほとんどない。だが、それでは、雨や雪、冷たい風を防ぐことはできない。そのため、木で作った蔀戸という開閉自在の戸で、外と中を区切っている。この暑い時期に、わざわざ蔀戸を開けず、おまけに漆喰で塗られた不自然な壁があるのは、とても不自然だ。

「では、鎌田殿は左側の本棚を引っ張ってください。私は右側の本棚を引っ張ります」

「わかった」

 二人は本棚を引っ張った。

 本棚は引っ張られた障子戸のように動き、蔀戸にぶつかったときには、人一人が入れそうな入口が出現。その向こう側には、傾斜が急な木造の階段があった。

「まさか、こんな空間があったとは……」

「さっそく、殿にお知らせしましょう」

「そうだな」

 義盛と正清は、義朝のいる母屋へと向かっていった。


   2


 隠し部屋の入口がある場所に、正清と義盛は、義朝とその郎党たち十数名を案内した。

「正清、義盛、ここで間違いないんだな」

「ああ。俺が右側の本棚を引く、義朝は左側を引いてくれ」

「わかった」

 指示された通りに、義朝は本棚を引いた。

 先ほどと同じように、人一人が入れるほどの細長いスペースが出現した。

「どうだ、直実。さっきよりも坊主の読経はよく聞こえるか?」

「ええ」

「よし、お前ら行くぞ」

 義朝は隠し部屋の入口へと入った。

 中は明かりが無いため暗い。加えて急な階段のため、つまづいてしまったら大惨事になりかねないので、段差を一段一段確認しながら登る。

 階段を登りきった。その先は真っ暗な空間が広がっている。

「誰か夜目が聞くやつはいないか?」

「俺に任せろ」

 名乗りを上げたのは義明だった。

「義明、階段を登って、こっちに来てくれ」

「ここに入口があるぞ」

「開くか?」

「ダメだ、鍵がかかってる」

「そうか。じゃあ、広常、頼んだ」

「任せとけ」

 呼ばれた広常は階段を登り、戸に向かって思い切り体当たりをした。

 閉ざされた戸は真っ二つに破壊され、隠し部屋が姿を現した。

 隠し部屋の先には、勢いよく燃える護摩壇と熱心に読経をしている僧侶の姿があった。

「坊主、ここで何をしている?」

 祈祷をしている僧侶に、義朝は声をかけた。

 だが僧侶は、義朝たちの呼び掛けなど知らん、と言わんばかりの顔で、経文を熱心に唱え続ける。

「義明、広常、この坊主を引きずり出せ」

「あいよ」

 僧侶の腕をつかみ、義明と広常は僧侶を持ち上げようとするが、足に力を入れているためか、なかなか持ち上がらない。

「よし、こうなったら──」

 義明と広常は、火の前で読経をしている僧侶を引っ張り出した。

「な、なにをする! 今は儀式の途中。それを中断させるなど、なんと罰当たりなことをしてくれたのだ! 放せ!」

 剛力の武者二人に引きずられた僧侶は、初めてまともな言葉を発した。

「儀式? なんでこのようなところでやっている?」

「そ、それは──」

 左府殿に頼まれて関白殿下の仲が良くなるように祈祷していた、と答えようとしたときに、広常は、

「どうせ呪いの儀式だろう? 違うか」

 と聞いた。

「呪い? なんと人聞きの悪いことを聞く。関白殿下と左府殿は、母は違えど兄弟にあらせられます。本来であれば、兄弟仲良くこの国の政を執り行うべき。なのに、関白殿下は父の言いつけも聞かず、関白を辞さなかった。それでも左府殿は不孝を犯した兄上をとがめることなく、わざわざ仲が良くなるように、と祈願していたのだ。同族同士で争ってばかりのお前たちには、家族の尊さを説いてもわからんか」

「ゴチャゴチャうるせぇ!」

 屁理屈にうんざりした義明は、僧侶の首元に思いっきり手刀を入れて、気絶させた。

 その後僧侶はお縄にかかり、検非違使へと引き渡された。

 後白河帝と信西、忠通呪詛の容疑について僧侶は、

「検非違使の皆さまもご存じかと思いますが、近ごろ院と帝、そして関白殿下と左府殿の御仲が悪いです。そのおかげで現在の情勢はひどいものになっています。私は左府殿に頼まれて、院と帝、そして関白殿下の関係修復を頼まれたのです。何がいけないのでしょうか?」

 と供述した。だが、事件現場から押収された、軍荼利明王や怨敵調伏の法に使う三角形の護摩壇が証拠となり、有罪となってしまった。


   3


 姉小路西洞院にある信西の屋敷に、白髪を蓄えた一人の老紳士が来ていた。実能だ。

 信西と実能は縁側で、雑談を交えながら、将棋を打っていた。

 盤上では信西の駒があちこちに配置されていた。

「これで、どうだ?」
 苦々しい表情を浮かべながら、実能は玉を移動させたあと、今日起きたできごとについて語る。

「実は、出仕する際、左大臣殿に似た人物を見かけましてな」

「ほう。どこで、ですかな?」

「白河北殿の前です。鼠色の安っぽい水干を着、背中にはつづらを担いでいました。一緒にいた男も同じものを着ていましたね」

「ふむふむ。でも、左大臣殿はもはや袋の中の鼠。この日本に逃げ場などありません。なんにせよ、嵯峨帝の御代より、仏法に反する、という理由で廃止されていた、『死刑』になることが決まりましたからね」

 余裕の笑みを浮かべながら、実能の玉から一マス離れた場所に、銀将の駒を置く。

「うわ、負けてしまいました」

 残念そうな表情を浮かべ、実能は礼をしたあとに聞く。

「それよりも信西殿。今さら死刑を復活させて、どうするつもりですかな?」

 実能の問いに信西は答える。

「私個人の考えとしては、この世が乱れている原因として、悪を止める力やモノがなくなったことだと考えています。内府殿がもし、罪を犯して首をはねられることを知っているのなら、やりませんでしょう?」

「それはもちろん」

「そういうことですよ。今のように盗賊やら何やらが跳梁跋扈しているのは、死刑が廃止されてから。それに、平忠常や源義親のように、皇室への反乱を起こす輩も多くなりましたよ。死刑が廃止されてからは。だから、応天門に火をつけた伴善男、花山院に矢を放った藤原伊周のような、平然と皇室に矛先を向けるような奴らが増えたのです。それは左大臣とて同じこと」

「ほうほう。つまりは、100年前から始まった『末法濁世』を終わらせるためには、毒を以て毒を制するしかないと」

「そういうことだ」

 うなずいたあと、信西は9×9のマスに散らばった将棋の駒を木箱の中へと片付けた。


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