【歴史小説】第4話 殿上の闇討②─闇討─(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)
1
「殿、大変でございまする!」
「どうした家貞。息を切らしているうえに顔を真っ赤にして。お前らしくないぞ」
忠盛は落ち着き払った声で聞く。
家貞はふっくらとした頬を真っ赤にし、息を切らしながら、
「藤原摂関家と為義が、明日の新嘗祭で、殿を闇討ちにしようと企んでおります」
先ほど聞いた、摂関家と為義の陰謀について教えた。
忠盛は笑いながら、
「やっぱりか。あの小心者なら、喜んでやると思った。どうせ、主君の太閤殿下にでも命じられたんだろう?」
家貞の心配を一蹴する。
「でも、これは殿のお命に関わる一大事でございまするぞ」
「家貞。お前、そこまで為義が怖いか?」
「……」
何も言い返せない。北面の武士として白河院に仕えていたとき、家貞は散々為義をバカにしてきたからだ。
「威張ってるわりには臆病だし、大したことないよ」
源太はうなずく。
「へぇ。そうなのか」
「そうだぞ。事なかれ主義で、遊女に子供を孕ませては、責任追及されてるし、摂関家や朝廷にはいい顔してるけど、目下の人間を前にすると横暴になるからな」
「ただのダメ親父じゃんか」
吐息が一つ出た。源太の父為義が、噂では度量の小さい人間だと聞いていたが、ここまでゲスで臆病な人間だとは思っていなかったからだ。
「あー、杞憂でしたね。源太の言うとおり、為義は臆病者でした。御屋形様と白河院の御幸(ごこう)の帰りに護衛したとき、為義の怯えようと言ったら、今思い出しても笑えるわ」
家貞は板敷きの床の上で笑い転げた。
「それよりも、どう闇討ちを潜り抜けるかが問題だな」
源太はつぶやいた。
「源太殿鋭いですね。問題はそこなのです。殿中では帯刀はご法度。抜刀騒ぎなんて起こしたら」
右手で手刀を作り、家貞はそれを首の付け根に当てて、
「これが飛びますぞ」
首を斬られることを示した。
「さて、困ったものだ」
清盛は頭を抱え込む。
真剣を持った相手複数に素手で立ち向かうのは、あまりにもリスクが大きすぎる。勝ったとしても、確実に無傷では済まない。
「こうなれば仕方がない。刀(これ)を殿中に持ち込もうか」
忠盛は腰に差していた小烏丸の方を指し示す。
「と、殿、正気ですか!」
あるかないかわからないくらい細い目を、家貞は大きく見開きながら聞く。
「正気だ」
「首が取れても知りませんよ」
「もう、家貞は心配性だな。昇殿の際、持ち込む刀には細工をしておく」
「何があっても、知りませんからね!」
家貞はそう言い残して、御殿を出る。
2
11月23日夕方。
宴が始まる前、忠盛は清涼殿へ入ろうとした。
水色の鎧直垂(よろいひだたれ)を着、太刀と長脇差の2本を帯びた家貞は、殿上の前にある小庭に植えられたツツジの陰に隠れている。忠盛は、一人でも大丈夫だ、と言っていたが、万が一のことも考えられるため、こっそり跡をつけてきたのだ。
忠盛は2尺ほどの長さのある小烏丸の太刀を、主殿寮(とのもりつかさ)の役人に預ける。
黒い拵(こしらえ)の打刀を無造作に帯びたまま、新嘗祭の会場である清涼殿へ入ろうとしたそのとき、
「忠盛殿、そのお命、頂戴いたす!」
真剣を持った男二人が忠盛に斬りかかろうとした。
忠盛は咄嗟に男の太刀筋をかわし、腰に帯びた刀を抜いて、襲いかかった二人の目の前に突きつける。
「ら、乱闘でおじゃる!」
同じく内裏に入ろうとした貴族たちは、甲高い声で叫び、腰を抜かしながら事件を傍観している。
刀は月明かりに照されて青白く輝き、その光によって浮き出た白い刃紋は、いかにも斬れそうに見せている。
「刀を抜いたのなら、斬られる覚悟は出来ているのだろうな?」
忠盛は、闇討ちを仕掛けてきた二人の刺客をにらみ付ける。
まさか、忠盛が殿中に刀を持ち込むとは考えていなかったのだろう。闇討ちを仕掛けてきた二人は及び腰で、
「で、殿中にそれを持ち込めば、どうなるかわかってんだろうな?」
「流罪になるぞ!」
そう叫んで逃げ出そうとしたときに、
「人が丸腰のときを狙おうとするなど、侍の風上にもおけん」
小庭のツツジの陰にいた家貞が出てきた。刀を抜き、二人に切りかかろうとする。
「家貞、いつの間に」
忠盛は驚いた表情で、刀を構えた家貞を見る。
「やっぱり殿のことが心配になりましてね」
「そうか」
刺客の一人は、
「一人に見せかけておいて、こっそりと郎党を連れてくるなど、卑怯だ!」
大きな声で唾を吐きながら指摘する。
「卑怯とはその口でよく言えたものだな。今回は殿のお命が助かったゆえ、お前らを見逃がしてやるが、次に同じことをすれば、命は無いと思え!」
「ひぃ~」
闇討ちを仕掛けてきた二人は、情けない声を出して逃げ出した。
こうして、為義と摂関家の貴族らが企んだ闇討ちの計画は水の泡となったのだ。
3
忠盛は刀を腰に差したまま、殿中へ入った。
庭にはかがり火が焚かれている。建物の中には、冠を被り、黒い直衣に身を固め、顔面をおしろいで白く塗り、額の上には墨で眉毛を描いた公卿らが、ずらりと並んでいる。
「殿中に刀を持ち込むとはどういうことだ!」
殿中に入る際の決まりを忠盛が破ったことに関して、頼長は問いただした。
意味がありげな笑みを浮かべた彼の父親である忠実は、
「そうですぞ、忠盛殿。頼長の言うとおり、いますぐ舎人(とねり)に腰の刀を預けに参りなされ」
と言うと、それを引き金にして、周りにいた貴族たちは、
「そうだそうだ!」
「院を殺害するおつもりか」
「常識知らずの武士め! さっさと故郷(くに)へ帰れ!」
心ないヤジを次々と飛ばす。
貴族たちのヤジが不快に感じた鳥羽院は、
「静かにせよ、お前たち! 今日は、八百万(やおよろづ)の神々に作物が無事取れたことの感謝をする祭りの日。それを、お前らのくだらぬヤジのために進行が遅れては困る!」
と一喝したあと、忠盛の方を向いて、
「忠盛よ、後で話はゆっくり聞かせてもらおう。今日は、事を忘れて楽しむとよい」
先ほどの騒動が無かったかのような、穏やかな声で語り掛けた。
「ありがたきお言葉」
新嘗祭は、忠盛が刀を差して殿中に入る、という前代未聞のアクシデントのため、予定より少し遅れたが、儀式は何事もなく終わった。
4
儀式が終わり、宴が始まった。
庭の真ん中にある舞台の上では、烏帽子を被り、白い袴を身にまとった白拍子たちが、自慢の歌声を響かせながら、優雅に舞う。
舞が終わった後、鳥羽院は酔いに任せて、
「忠盛よ、余の白河院(そふ)から、そなたは、舞が上手であると聞いておる。余興に舞うてくれぬか?」
と命じた。
「承知いたしました」
忠盛は、御殿前にある庭に設置された舞台に上がり、舞を舞った。
舞の途中、酒が入っていて気分が高揚していた貴族の一人が、
「眇目(すがめ)眇目、伊勢の平氏は眇目」
と高らかな声で歌い始めた。意味は、当時伊勢の特産物であった酢甕(すがめ)と斜視であることを意味する眇目をかけた侮辱の歌。わかりやすく言うと、
「ここは院の御前。だから伊勢平氏で斜視の田舎者は帰れ」
という意味になる。
周りの貴族たちからは、大爆笑の嵐が巻き起こった。家成卿や通憲といった彼をよく知る殿上人たちは、苦々しい顔で彼を嘲笑する公卿を見ている。
歌の意味を察した忠盛は、いい気にはならない。自分のことを嗤ったヤツ一人一人の顔面を殴ってやりたい衝動に駆られたが、今日は「祭祀」という祭りの日。それに、そんなことをしたら、自分や一族の首が危ない。
「今日は帰ります。幼い息子たちも待っていますのでね」
作り笑顔浮かべた忠盛は、先ほど預かっていた、小烏丸の太刀を再び腰に差し、殿中を出ようとする。
「そうか」
少ししょんぼりした口調で鳥羽院が答えると、忠盛は殿中を出た。
5
忠盛が貴族たちの晒し者にされていたのと同じころ。六条堀川にある源氏屋敷では、屋敷の主人で河内源氏の棟梁である源為義(みなもとのためよし)は、連れ込んだ遊女とともに酒盛りを始めていた。
「桃ちゃんかわいいね」
酔いと性的興奮で、貧相な面構えを真っ赤にした為義は、桃と名乗る若い遊女に酌をしてもらっている。
「廷尉(ていい)殿、肩を揉みましょうか?」
「うん、揉んで」
「じゃあ、揉みますね」
桃が為義の肩を揉もうとしたとき、
「失礼」
抜き身の刀を持った家貞が戸を蹴飛ばして中へ入ってきた。
「おう、家貞じゃないか、久しぶりだな! 良かったら、一杯飲んでいかないか?」
為義は、濁酒(どぶろく)の入った白い盃を、家貞の前に差し出す。
「そんなものは、いりませぬ!」
家貞は持っていた刀を大上段に上げ、為義の目の前に突きつける。
「きゃぁあぁっ!」
桃はけたたましい断末魔を上げて、
「助けて、廷尉殿」
涙目になりながら、為義の袖を強くつかむ。
「も、桃ちゃんには手を、出すな」
為義は側に置いていた鬼切丸の大太刀に手をかける。
「不運だな。このようなクズ親父に捕まってしまうとは。この男は、自分の子供の養育を放棄した、クズ親父ですぞ」
家貞は為義のこめかみの辺りに太刀を近づけた。
「廷尉殿、ひどい! おじさん、この人何したと思います? 私の遊女仲間を妊娠させて、責任逃れしたんですよ!」
「待って、桃ちゃん、そんなことしてないよ」
指で耳の穴を塞ぎながら叫ぶ為義。
「嘘つくなよ、このチビハゲスケベ親父が!」
桃は大きな足音を立てて、荒れ果てた源氏屋敷を出た。
「そんなぁ」
為義は泣き叫ぶ。
「さて、為義殿。源太くんに謝りなさい。さもなくば、職場である検非違使に引き渡しますよ」
家貞は刀の切っ先を、泣いている為義の前に突きつける。
体をブルブルと震わせながら、為義は、
「ご、ごめんなさい」
小さな声で謝った。
「こんなことを今度しましたら、例え院北面からの付き合いである私も許しません。そこのところはよく覚えておくように」
家貞はそう言い残して、為義の前を後にする。
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