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【歴史小説】第22話 西行②─親友の死─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
「出家かぁ」
義清は縁側から見える満月と夜空、庭に咲いている五分咲きの桜を眺めながら考える。
──遥か昔、釈迦族の王子として生まれた釈尊(しゃくそん)は、何不自由ない生活を送っていた。だが、優雅な生活を送っていく中で、
「この世には苦しんでいる人たちがたくさんいる中、自分だけ楽しんでいていいのか?」
という疑念が頭をよぎりはじめる。その疑念が積もりに積もり、29歳のときに出家した。国も、王位も、妻子も、財産も全て捨てて。
だが、俺はどうだろう。出世が望めると貴族社会から言われている官位をもらい、院の北面として院に仕え、剣をも賜っている。おまけに妻と4つになる娘までいる。前の皇后とは、密会をするほどの仲だ。良くも悪くも充実した人生を送っている俺は、果たして釈尊のように全てを捨てて、仏の道へ入ることはできるのだろうか。困っている人の助けになることができるだろうか……。
自分が出家していいのか考えてみる。だが、失うモノも多い。といって、それを言い訳にしていては、ずっと出家できない。
「やっぱり難しいよな」
義清は月を眺めながら一人つぶやき、徳利に盃に酒を入れ、それをゴクリと飲み干す。
軍事貴族としてのお膳立てされた栄達を取るか、自分のやりたいことを取るか。
前者を取れば、今までのように幸せな日々を引き続き送ることができるし、璋子との密会も引き続きできる。だが、後者を取ったら、その先の道は、無いも同然だ。
義清は縁側の真ん中で、大の字になってみる。
「どうしたらいいかなんて、わからねぇよ」
とにかく、わからない。どちらの選択も、正解がわからないことには変わりないからだ。
「ほんと、どうしたらいいんだろうな・・・・・・」
また大きなため息を一つついたとき、一人の人物の顔が思い浮かんだ。同じく北面の武士で、出家願望を口にしていた、いとこであり親友の佐藤憲康(さとうのりやす)だ。
「憲康に話してみようか。こんなところでずっと考えていては、時間の無駄だからな」
義清は起き上がり、寝床へと向かう。
2
帰り道。
義清は親友でありいとこで、以前出家願望を口にしていた憲康に、近ごろ出家を考えていることを話した。
「この世への未練を捨てきる、か。難しいよな」
憲康は腕を組んで考える。
「もうさ、こんなに悩むなら思い切って出家した方がいいんじゃないか? ほら、昔から、案ずるより産むが易し、って言うじゃん」
「そうだよな」
「と言いつつ、おれも出家すると周りに散々言っておいてしてないんだけどさ」
憲康は笑った。迷いがないようなあるような笑みだ。
「そういえば思ったんだが、どうして憲康は出家しようと思ったんだ?」
義清は長年の疑問であった、憲康が出家を希望する理由について聞いた。
「それは、おれたち佐藤家の先祖秀郷公は朝敵平将門を討ち取った。以後その一族は、英雄の血族として栄華を約束された。でも、よく考えてみろ、おれたちの一族の幸せは、これからも続くと思うか?」
「わからないな」
「そうだよな。千年、二千年先も続くかもしれないし、おれたちの代で終わるかもしれない。明日のことすらわからない人間が、数百年数千年先のこと考えてても、わからないだろう。これから先も続くかわからない栄華を守り続けることが、本当の幸せと言えるか? ならば、不安定な幸せを捨て、自分の意思で真実(ほんとう)の幸せを見つけられたなら、最高じゃないか?」
目を輝かせながら、憲康は大きめの声で聞いてきた。
「おう」
義清はうなずいた。
「そっちはどうなんだ?」
「俺は──」
自分の目の前に映る人たちを救っていきたい、というのが本当の答えだ。だが、仏教の知識に富み、高い精神性を持つ憲康にこのことを教えると、バカにされそうで、答えようにも答えられない。
「わからない」
義清は答えた。「出家の動機」といっても、憲康のような、しっかりとしたものになっていないからだ。
「なら、一緒に出家しないか?」
「そうしよう。その方が、心強い」
義清は、少し安心した。一人孤独に道を歩むよりも、同じ道を歩む仲間がいた方が、意欲を持ち続けることができる。それに、楽しいことや苦しいことがあったとき、それを分かち合い、共に支えてゆくことがことができるから。
「なら、出家するのは明日だ。待ち合わせは俺の家で」
「明日、って、いきなり過ぎないか?」
「えー、いいじゃないか。善は急げ、って言うし」
「でも、準備とかいろいろあるだろう?」
「そこのところは安心して。おれが何とか言っとくから」
「わかった」
「じゃあな! 約束絶対すっぽかすなよ」
憲康はそう言って、笑顔で手を振った。
3
翌日。義清は約束通り、憲康の屋敷を訪ねた。
だが、様子がどこかおかしい。
普段は人の出入りがあったり、武芸の練習をしているときのかけ声が聞こえたりするものだが、どうしたことか、今日に限って聞こえない。それに、薙刀を持った下人たちでさえ、黒や紺色の直垂を着ている。屋敷の中からお経を読む声がしていることから、家族の誰かが死んだことは確かだろう。
(まさか、死んだのは憲康なんてないよな。昨日はあんなにも元気だったのに。死んだのは叔父の方だろう)
そう思っていても、何だか胸騒ぎがする。
義清は門番をやっている下人に、誰が亡くなったのかを聞いた。
門番は真顔で答える。
「憲康さまが昨夜、お亡くなり申した。突然胸が苦しいと言い出してから苦しみ続け、日が昇るころには、息を引き取りました。昨日は元気であらせられたのに」
「本当か……」
「はい」
義清は駆け足で、屋敷の中へ入る。
屋敷の母屋の中では、憲康の亡骸を納めた棺と、煙を出す香炉や2本のろうそくが立てられ、花などが供えられた祭壇の前に座り、淡々と枕経を読む僧侶。それに続いてに、悲しみを必死でこらえている一門の男衆と郎党たち、憲康の妻と思しき女性とその子供たちは、すすり声を上げて泣いている。
「憲康」
義清は叫んで、憲康の亡骸の前に座り、頬を触って、
「起きてくれ、今日は共に出家をする約束をしていただろう……」
と泣き叫ぶ。
小さなころに一緒に遊んだときのこと、大学寮で2人怒られたときのこと、自分の元服を祝ってくれたこと、昨日帰り道で話したこと。憲康との思い出が、肌寒い春の夜で冷えきった冷たい頬を通じて、走馬灯のごとくフラッシュバックしてくる。
「これ、何をやっている!」
義清の父親である康清(やすきよ)は、悲しみで理性を崩してしまった義清を、棺から引きはがそうとする。
「父上に何がわかる?」
「悲しいのはみんな同じだ。離れろ」
「嫌だ」
義清は必死で棺にしがみつく。
「いいから離れろ!」
康清は義清を引っ張り出した。
義清は冷たい床の上で、大きな音を立てて倒れた。
そしてこの日から、義清は宮中への出仕をしなくなった。
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