【歴史小説】第79話 叔父を斬る、父を斬る②─闇の存在─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
秋の穏やかな陽光が屋敷の回廊へと差し込む昼下がり。清盛は西洞院にある信西の屋敷へと向かった。
「おお、清盛殿、どうなされましたか?」
屋敷へ入ろうとしたとき、信西に仕えていた武士である藤原師光が出迎えてくれた。
「信西入道に少し話がありまして」
「わかりました。しばらくお待ちください」
師光はそう言って、清盛を母屋へと案内した。
師光に案内され、清盛は母屋へと通された。
一緒に将棋や双六などを差して一刻ほど待った後、法衣を着た信西が入ってきて、
「おう、遅くなってすまない。清盛か、どうした?」
と聞いてきた。連日にも及ぶ戦後処理のせいか、信西の顔は少しやつれている。
「話があってきました」
「どんな話だ?」
「俺の叔父上と義朝の父上の死刑、取りやめてもらえませんかね?」
清盛の嘆願に、信西は複雑そうな表情を浮かべ、しばらく考えたあと、
「残念だが清盛。それはできないんだ」
と答えた。
「どうして?」
「この国の法で、内乱を起こしたものは死刑、と決まっているからだよ」
「もう死刑は廃止されたんじゃ?」
首をかしげる清盛。
清盛の疑問に、信西は淡々とした口調で答える。
「こんな世の中だから、死刑を復活させる必要があるんだ。わかってくれ」
「実の息子に、そして甥に殺させるのはあんまりです」
強い口調で感情論を主張する清盛の肩を、信西は優しく触れて言う。
「お前の胸中がどれだけ辛いかは、私もよくわかる。でもな、そうでもしない限り、この乱れ切った世の中は変わらないんだ」
「それだけだったら、普通の死刑でもいいはず」
「私だって好きでこんなことはやらない。全てはこの国を正しい姿に戻すため」
「いくら国のためでも、そんなことをしたら、民の支持を失ってしまうよ!」
「止めたら関白殿下の家族が犠牲になる。そう大きな存在に脅されたんだ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ⁉」
やけくそになって、床を思いっきり叩く清盛。
負けたけれど、自分の叔父だって、義朝の父だって、朝廷や一族の敵になってまで戦った。自分の信じるものを貫くために、そして一族のために。なのに死刑とはあまりにも酷過ぎる。そう心の中でつぶやいた。
「こらえるんだ、清盛。お前の痛い気持ちは俺もよくわかる。でも、今はそうするしかない」
「もういい。帰る」
大きな足音を立てながら、清盛は信西邸を出ていった。
2
「信西殿から聞きました。関白殿下が自分の父を救うために俺の家族を、義朝の家族を身代わりにしたって」
近衛殿で忠通と対峙した清盛は、怨嗟の籠った声で聞いた。帯に差した短刀の柄を右手で掴みながら。
顔が真っ赤になり、今にも頭に浮かんだ青筋が破裂しそうな清盛を見た忠通は、震えあがりながら、
「私の父親を救いたがったがあまり、つまらぬ取引に応じてしまい、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げた。
忠通の怯えようを見て、悪意がないことを見抜いた清盛は、深呼吸をして怒りを鎮めたあと、どうしてこのようなことになったのかを聞いた。
「私は実は、ある男に脅されて」
「誰ですか、それは?」
清盛が聞くと、
「竹内直哉」
「たけうちなおや?」
「ええ。そうです。ちなみに清盛殿は、竹内宿禰という名前を聞いたことがありますか?」
忠通の質問に清盛は、
「竹内宿禰? 子どものころはあまり勉強してこなかったから、名前だけしかわかりません。何した人だったかまでは」
と答えた。
少年のころ、あまり勉強してこなかった清盛。恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
「あー、竹内宿禰は景行帝から仁徳帝に仕えた大臣です」
「そうでしたか。やっぱりもっと勉強しておけばよかった、と今さらながら後悔してしまいました」
自嘲気味に清盛は言った。
「懐かしい。私の父上もよく言ってましたよ。その言葉。まあ話を戻しましょう。直哉が今の竹内宿禰です」
「え、もう竹内宿禰は過去の人物なんじゃ?」
疑問に思ったことを清盛はこぼした。
首を横に振って、忠通は竹内宿禰の真実について語り始める。
「竹内家は、平郡真鳥(へぐりのまとり)の乱以降歴史の表舞台から消えたことになっていますが、これは嘘です。武烈帝の命を受け、皇室の本当の歴史が書かれた書物を守っているのです」
「しかし、みんないろいろ隠したがるよな」
呆れた表情で清盛は言った。
「衆目から隠さなければいけないほど、歴代の竹内宿禰が守っているそれは危険なものなのです。それに竹内宿禰は300年生きていますが、あれは肉体を取り換えて生き続けただけ。だから、殺してもまた次の竹内宿禰が出てきます。我が摂関家の文献によれば、蘇我蝦夷、蘇我馬子、絵師の巨勢金岡(こせのかなおか)、紀貫之(きのつらゆき)は竹内宿禰だったと書かれています」
「なるほど」
「清盛殿」
「はい」
そう言って忠通は右手を差し出して言う。
「罪滅ぼしのため、私が帝を説得してきます。さすがの竹内も、帝のお言葉には逆らえないでしょうし」
「わかりました」
忠通の差し出した手を、清盛は握った。
3
次の日、清盛と忠通は高松殿へと参内した。
「清盛か。久しぶりだな。それに関白殿下まで」
明るい表情を浮かべた後白河帝は、簾で隔てることなく、玉座の上から言った。
「帝に申し付けたき儀があって参りました」
「ほう。なんだ、言ってみよ」
「義朝の父と俺の叔父上を殺すのを、辞めてくれませんでしょうか?」
「いいだろう。過激な信西と竹内を説得してやる」
「ありがとうございます」
そう言って清盛は頭を下げた。
「よかった」
後白河帝のいる高松殿から出た清盛と忠通は、吐息を一つついた。
「ええ。問題は信西殿が強行しないかどうかです」
「あの口調と態度からすればやりかねないからな」
清盛がそう言おうとしかけたとき、門の築地の脇に、一台の牛車が停まった。中からは、丸々と肥え太り、雪だるまのような顔をした若い公卿が出てきて、
「関白殿下、ごきげんよう」
と挨拶をした。
「おぉ、これは信頼(のぶより)殿」
「関白殿下、貴方も信西のやり方に不満を持ってるのかしら?」
「ええ。正直彼のやることは過激すぎると思うことはあります。けれども、彼は国についての考えが私と違うだけ。私はそう考えています」
「なるほど。そちらのツレはどうお考えかしら?」
信頼は清盛の方を向いて、信西の政治のやり方についてどう思うか聞いた。
「俺も関白殿下と同じです」
「そう。私は帝に呼ばれているのでこれにて」
大仏のような神々しい笑みを浮かべながら、信頼は御所の中へと入っていった。
4
同じころ、上賀茂神社の斎院では、政近とまだ元服間近の髷を結っていない銀杏色の水干を着た少年が、斎王の御前に召されていた。
「斎王さま、連れてまいりました。この少年が渋谷(しぶや)金王丸(こんのうまる)です」
政近がそう言うと、簾越しに斎王は、
「金王丸、東国から遠路はるばるよく来てくれました」
と頭を下げた。
「こちらこそ、斎王さまにお目にかかれて光栄に思います」
深々と頭を下げる金王丸。
「金王丸」
「はい」
「今日お前をこの上賀茂神社へと呼び出した理由。それは、貴方のその力を使って、守ってもらいたい人がいるのです。貴方の父上の主君源義朝の妾である常盤という女の人です」
「どうしてです?」
金王丸は訊いた。
金王丸の質問に、斎王は答える。
「あのお方は、いずれこの末法の世を終わらせる救世主を産みます。ですが、そのことを聞きつけた悪神や悪しき心を持った異能者が、殺しに来ることも考えられます。そこで貴方の『姿が見えなくなる力』が必要なのです」
「なるほど……」
でも、どうして俺の能力が必要なのか? 金王丸は考えた。自分の能力は、相手に姿を見られないようにする力。暗殺にはよく使える。だが、陰陽師や物の怪、ましてや悪神など追い払える力など、何一つ持ち合わせていない。自分よりもまだ、巫女や僧侶、法師陰陽師や山伏の方がずっと力がある。
「考えてくれるか、金王丸?」
「は、はい」
金王丸はうなずいた。邪悪な存在が常盤という姫を狙っていること、自分の異能(ちから)が必要とされていること以外、何も説明がなされていない。それに相手は皇族でもあり、上賀茂神社の最高司祭。よほどのことがない限りは断るわけにはいかない。自分の力が必要なのには、何か特別な理由(わけ)あってのことだろう。そう思うことにしたのだ。
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