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4月に生まれたことを謝った話
コロナ禍以前のこと。私がときどき会いに行っている知り合いに中学生の娘さんがいました。私が講師という仕事をしているので、彼女は私を「先生」と呼んでくれます。
ある時、こんな、思いもよらないことを言われました。
「先生って11月生まれでしょ」
「え?」
「でしょ」
唐突に言われて、とまどう私。
彼女は、自分の判断に微塵の疑問も感じていないかのような表情をしています。
「でしょ」
「いや、4月生まれだけど」
私が言うと、「えー!」と、心底驚いているような顔。
「外れた~」と、がっかりするのかと思ったら、「うそ!」と。
「え?」
「11月だよね」
「えーと……」
必死に考える私。話を合わせた方がいいのか? でも私はウソをつくのが苦手です。感性の豊かな彼女。どんなことをさらに聞いてくるのかわかりません。そんな子を相手にウソをつき続けるのは至難のわざ。
「4月生まれなんだ」と、正直に言いました。
「おかしいよ~」
彼女は納得していません。
「絶対11月だと思ったのにぃ」
憤慨しているような語調です。
「ご、ごめんね」
私はなんで謝っているのだろう?と思いながら、許しを請いました。
その後、いろいろやりとして、わかったこと。
4月は花が咲き誇る月。私がそんな月に生まれたというイメージが持てなかったようです。
1行にまとめると、
私には華がない!
ああ、それなら、自分でも認識しているから納得です。
私から何の華やかさも感じ取れなかった……ということでしょう。
(それにしては、12月でなかったのはなぜだろう?
12月にはクリスマスのような楽しいイベントがあるから……であろうか?)
この時、すでに50を越えていた私。30代の時にこのようなことを言われていたらムッとしていたかもしれませんが、この時はむしろ感心しました。
そういう見方があるのか……と。
それまでの経験で、女性が論理を飛び越えて言うことには、非常に重要な忠告や指摘が多かったからです。
たとえば、その30代の時のこと。
物書きとしてそこそこ稼いでいたものの、目立つ仕事ができていなかった私は、つきあっていたひとにそれを愚痴ったことがありました。
慰めの言葉を期待していたんでしょうねぇ。しかし、その彼女は、人の本質を見抜くのに長けたひとでした。
「あなたはクリエイターじゃなくて、コツコツ何かをするような、そういう仕事が向いているひとなんだから」と言われました。
その時の私は相当カチンときましたが、その後、彼女の言った通りだなぁと悟ることになります。コツコツと地道に書く仕事でライター稼業を続けていられるのですから。
そんなことも思い出させてくれた「11月生まれでしょ」発言。
「自分は花ではない。葉っぱ……いや、根っこだ!」と、自身のイメージを固めました。天才やスターではない私が、フリーランスで生きていくには、自分を客観視する能力が不可欠だからです。
仕事でも人間関係でも、どうすればいいか迷った時、
根っこにできることは何だろう?
と冷静に考えるようになりました。
すると、おおむね、事態がうまく運ぶのです。
私の誕生月を11月と思い込んでくれた彼女に感謝!ですね。
たまには花として咲いてみたいんですけどねぇ。
見出しの画像は、先月、街を歩いていて見つけた石蕗。
本来なら11月頃に咲く花です。(俳句でも冬の季語)
それが「3月の春の半ばにまだ咲いてる!」と、驚いて思わず撮ったのでした。
冬に開くのでただでさえ淋しげな石蕗が、梅やミモザが満開の中で、ひときわわびしく佇んでいる……。なんというか、やるせないです。
私に大事なことを伝えてくれているように感じました。
59歳になってしまった今日、真っ先に浮かんできたのがこのことでした。
また根っことして自分にできることをまっとうしよう!と、思いを新たにしています。