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【日常】リーダーとは、誰かの物語を照らす人。



リーダーとはなんだろう、と。
最近久しぶりに考えてる。



今のフィットネスジムに通い始めて、約一年。
スタッフの子たちとも仲良くなった。

みんな良い人ばかりで、
気づけば友人のような存在に。

ボディコンテストに挑戦したときも
全力で応援してくれて
手厚いサポートをしてくれた。


そのジムで来年から
働くことが決まっている。


最初は、一スタッフとして。
そしていずれは店舗責任者、
マネージャーとしての業務を担うということで
採用していただいた。
(これもスタッフの子達が繋いでくれた機会)
(どうなるかはわからないけども)

彼女たちと一緒に働けるのは
ほんとうに楽しみだし、嬉しい。


でもその一方で責任を持つ立場になる
自分を想像すると、
なんだか急に背筋が伸びる感覚がある。


そして「リーダーとは何か」という
問いが数年ぶりに心の中に
じわじわと広がり始めている。


今まで生きてきた中で、
リーダーとしての失敗は数えきれないほどある。

8割が社会人のスポーツチームでの経験。
自分の感情を優先してしまったこともあれば、
曖昧な姿勢で周囲を困らせたこともある。


自分の未熟さが原因で
人を傷つけてしまったことも、いくつかある。

いつだって自分の未熟さにぶつかり
それが誰かを傷つける結果になるのが怖かった。



でも失敗の記憶は、
残酷なだけじゃない。

傷のように残るそれが
今の自分を作っていると思うし、
その痛みを「知っている」ということが
最大の強みとなるのかもしれない、と。

今はそう思っている。 


人がミスをしたときに
どんなことを感じているのかを
想像できるようになったのも
自分がその立場に立った経験があるからだ。

そして「失敗をしたことがある」ということは
それを回避する方法を知っているということ。


趣味の世界でも、仕事でも。

これまで良きリーダー、
そうではないリーダーの下で働いてきた経験も
きっと大きな武器になる。

声のトーンひとつで
「この人は自分を見てくれている」
と、感じるもの。


ある人は、いつでも穏やかに話を聞いてくれた。
その優しさに救われたし、
自分で考える力がついた。

一方で、常に感情でしか
会話をすることができない人もいた。
その人の下では皆が失敗を隠すようになり、
結局仕事の効率は悪くなる一方だった。


こうした経験を通して思うのは
良いリーダーとは、人の痛みがわかる人。
なのではないかということ。

その人が何を感じているのか、
言葉を発しないその背中が
何を抱えているのかに気づける人。
そしてその痛みに寄り添いながら
そっと手を差し伸べられる人。


最近はジムに通いながら
「来年」を思い描いてばかりいる。 


店舗を清掃する自分の姿。

スタッフの子たちと
コミニュケーションをとる瞬間。

困ったことが起きたときに
どう判断し行動すべきか考える場面。


来年、あの場所で働き始めたときに
自分はそこにいる人たちにとって
どんな存在でいられるか。

どんなポジティブな影響を与えられるか。
付加価値といったら少し堅苦しいかな。

それは今こうしてイメージを重ねている
自分次第だと思う。


リーダーとは、前を歩く人ではない。


後ろを振り返りながら、
隣で一緒に歩きながら、
ときにはその場で立ち止まりながら
仲間と進むことができる人なのかもしれない。

人の上に立つ、ということに
向かない人間がその立場にたち
痛みを伴う経験を
何度も積み重ねてきたからこそ
今の自分は、きっと強い。


なによりも
これから一緒に働くことになる人たちが
揃いも揃ってみんな人として素敵で、

尊敬できて、「この人達の為なら」と
思わせてくれるような人達ばかり。

自分がこの場所にやってきたことで
その人達の人生がほんの少しでも
「より良くなった」と感じられるような
未来を作りたい。


ただの仕事、重いこと考えず
やることをやればいい。


だけどあの場所に対しても
人に対しても、
言葉にできない特別な思い入れが
たくさんある。



そんな感じ。

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