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「間に合わせる事」「先手を取る事」の重要性
古代のローマ人は、紛争に対処するに当って、
賢明な君主ならば誰もが行うことをしたのであった。
つまり彼らは、眼前の紛争にのみ役立つ対策を講じたのではない。
将来起りうるものにも対策を忘れなかったのだ。
ローマ人は、あらゆる努力を払って、それらがまだ芽でしかないうちに、
つみ取ってしまうことを忘れなかったのである。
将来起りうる紛争も、芽のうちにつみ取っていれば、対策も容易になる。
医療も、効果を発揮させるには「間に合う」ことが必要であるからだ
ニコロ・マキャベリは「君主論」において上記のように
将来起こりうるものへの対策を講じて、紛争の芽を摘んでおけと諭す。
二宮金次郎について書かれた「二宮翁夜話」を読んでいて
マキャベリの君主論と全く同じ事を言っており
非常に不動産オーナー視点で役立つと思われるので共有します。
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「二宮翁夜話」において、二宮金次郎(尊徳)翁は下記のようにいっている
【先手を取る】
先生はおっしゃった。
どれくらい勉強や倹約をするといっても、
期限がきて何か支障が起こるときは、
勉強も勉強ではなく、倹約も倹約ではない。
先手を取ることができれば、相手を制圧することができるが、
遅れれば逆に制圧されるということがある。
倹約も先のことを考えて行わなければ、役には立たない。
遅れてしまっては、無益なことになる。
世の中の人は、どうもこの道理に暗い。
たとえば、千円の財産が九百円に減ると、
まず一年は他から借金をして暮らす。
すると、その借金を返済しなければならないから、
翌年には、またさらに八百円に減るのである。
このときになってはじめて倹約しても、
九百円で暮らすから、また七百円に減る。
そしてまた改革をして、八百円で暮らす。
毎年こんなふうだから、苦労しても効果がなく、
ついに破産してしまうのである。
このときになって、自分は不運などというが、
そんなことは不運でもなんでもない。
先々のことを考えなかったから、借金に制圧されてしまうのである。
ただこの行動の善し悪しを決めるのは、先手を取るか遅れるかの違いである。
マキャベリと言っている事は同じである、先々の事を考えて先手を打てという事である
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