点と点~草枕から学んだミッション構築
先週は地下室のリノベーション準備に追われ、土曜日から解体作業を開始し
日曜日は休養がてらに本を読み、これまでストックしてきた知識とのコネクトワークを行う事にした。
スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチと呼ばれている2005年6月に行われた米スタンフォード大卒業式での一節である。
(以下引用: 「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳|日本経済新聞)
本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。
たいしたことではない。たった3つです。
まずは、点と点をつなげる、ということです。
(中略)
もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。
繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います
You can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
この知識のコネクトワークとは文章を創る時に具体化される。
今回の重要な気づきは、夏目漱石の草枕にある「あらゆる芸術の士」と猪瀬直樹氏の「クリエイター」との融合であった。
夏目漱石「草枕」より
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、
安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、
寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、
人の心を豊かにするが故に尊い。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、
ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。
この文にある詩人・画家と猪瀬さんの作家(クリエイター)の定義とコネクトすると、とても解釈が面白くなる。
猪瀬直樹
「2001年6月 NHK教育テレビ『人間講座 作家の誕生』での結び」
「1970年に三島由紀夫が自決して、
これまでのあるかたちの作家像は終わったと思うのです。
それはあくまでも、あるかたちということであって、
ソフトを作る製作者、そういう意味での作家は終わってないと思うのです。
古い意味での文士という狭い世界である必要はまったくないのです。
ゲームソフトのデザイナーであったりあるいはインターネットのコンテンツ制作者であったり、あるいはベンチャービジネスを起こす人であったり、
携帯電話でいろんなネットワークを作って、新しいその携帯電話の画面を広くしてつくったり、いろんなことをやっていきます。
そのようなものも含めて、
物語、生き方、ライフスタイルをつくっていくことが、
新しい作家、広い意味での新しい作家の役割だというふうに思っています。
新しいソフトを作るその担い手たち。
そういう人たちによる新しい物語がいま求められていくように思います」
まだスマートフォンが生まれる前、僕はこう予言していた。
なぜなら「作家」という職業は、
もともと新しい空間の成立に適応するかたちで生まれ、
また空間の変容とともに進化するクリエーターだからである。
上記をどのようにコネクトしたか?
漱石は、詩人・画家に代表されるあらゆる芸術の士(今様に言えばアーティスト)を、「人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い」と定義した。
猪瀬さんは、作家を文士としてとらえるのではなく、ソフト(今様に言えばコンテンツ)を創るクリエイターとして定義し、その表現の担い手として、ゲームクリエイターや起業家も、物語、生き方、ライフスタイルをつくっていく新しい作家、広い意味での新しい作家として定義している。
起業家もアーティストも表現の仕方が異なるだけであって、ソフト(コンテンツ)クリエイターというカテゴリーでは一緒と定義づけられるとコネクトできた。
起業家という表現手段を取るにあたって、
漱石の「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、
寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊い。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、
ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。」という言葉に出会えてよかった。
自分流に置き換えると以下になる。
「住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくし、人の世を長閑にし、人の心を豊かに、住みにくき煩いを引き抜いて、
ありがたい世界を具現化するのが詩(コンテンツ)である、画(構想)であり、その詩(コンテンツ)と画(構想)をリリースする芸術の士(クリエイター)となる」
上記、点と点がつながって、草枕からミッション構築を学ぶことができた。