自我の扱い方
私は、10年以上前にカウンセラーになるための勉強をしていました。
その中には、クライアントさんのお話を200件以上聞くという実地トレーニングがありました。
クライアントさんには、さまざまな方がいらっしゃいます。
統合失調症で何度も入退院を繰り返していた方、突然歌を歌い始める方、「このカウンセリングが終わったら死にます」という方もいました。
当時一番多かったのは、うつ病の方でした。
結局プロカウンセラーにはならなかったのですが、多くの人生ドラマをのぞかせていただけました。
そのうち心理カウンセリングに限界を感じ、ヒーリングやチャネリングセッションを個人の活動として少しだけやるようになりました。
専業でお仕事をされているプロの方にはかないませんが、一般人として貴重な経験から学んだことは「いかに自我を出さずに、クリアにできるか」でした。
クライアントさんとのセッションでの主人公は、当然クライアントさんです。
ですから、わたしという個人は必要ないのです。
サイキックとしてコンサル活動をされている方に指摘されたのですが、私は、こどもの頃から無意識のうちにチャネリングをしていました。
20代になってからはそれが目立つようになり、今では集中したりリラックスしたりしなくても、家事のとちゅうでとか家族といる時にでも、時に言葉が降るようにやってきます。
とくにチャネリングセッションで使う意識は、私個人の意識とは全く別のものです。
あくまで「お客様に必要な情報をおろせること」に集中するため、私個人の意識や考えはいらないのです。
そうすると、その方の過去生だとか家族関係のパターンなど、到底知りえないはずの情報が次々にやってくるのです。
言葉をおろしながら「こ、こんなんでいいの?」と私自身はドギマギしています。
ところが、それをお客様に伝えてみると「実はちょうどこんなことがありまして」と見事に一致するのです。
ようするに、チャネリングを知らないうちにやっていた私はパイプなのです。
この世とあの世、天と地をつなぐただのパイプ。
そして、ただのパイプであることに喜びを感じるのが私なのです。
40才を過ぎてから「人間をやっているのも、そろそろ飽きたわ」と思っていた自分らしいあり様だと思います。
さんざん自我をふりかざしてきましたから、飽きたのでしょうね。
「じゃあ自分というものはなくなっちゃうの?」という質問がきそうですね。
自分なんていうものは、出そうと思わなくても勝手に出てしまうものです。
同じものを見ても感じること、気になる点は違うでしょう。
これが自分の味になるのです。
そして今の私の興味は、できるだけ自分をクリアにしていくこと。
自分という個人の意識さえ超えていくこと。
多面的に見ること。
ふりかえれば、それが物事に左右されにくいあり方を育ててくれたのでした。