女子と学歴(6) 〜羽アリが お茶に飛び込む 夏の夜〜
小室さんの記事が意外と読まれたことをきっかけに、毎日更新してみたところ、意外と読んでくれている方が増加して、嬉しい気持ちです。
数百億円の予算をかけて建設した後に、運行する飛行機がないかもしれない、という事実が発覚した、そんな恐るべき国際空港「茨城空港」よりは需要があると思って、この文章を書いています。「茨城空港」は、何もない荒れ地のような場所に、巨額の予算をかけて建設されました。一度家族で行ったことがあったのですが、こんなところに本当に空港があるのかね?と狸に化かされたような気持ちになる場所にある空港に到着。空港全体が、1階で販売されていたカレーの匂いに満ち溢れ、地元の名産品が空港の売店に一斉に集結。「国際空港」なのに飛行機が飛ばない危機を経たものの、中国のLCC、春秋航空が上海行きの便を運行してくれた、そんな地元の空港のことをよく考えます。もう亡くなった祖母と一緒に行ったのですが、祖母は地元のお菓子と時代劇の代表的なキャラクターグッズにとても喜んでいました。祖母と一緒に出掛けた最後の思い出はこのカレーの匂いに満ちた空港だったのでした。
自分の文章はニーズがあるのか、ないのか。あんまりないかもしれませんが、飛行機が飛ばなかったかもしれない地元の国際空港よりは、ニーズがあるような気もするので、小粋なデザインのnoteの仕組みを利用して、自分の冴えない人生において思い出したことを、引き続き、ぽつぽつと書いていこうと思います。
実家であった団地の近くの堤防沿いにはなぜか、いわゆる「エロ本」がよく捨てられていました。女性の局部に「海苔」のような四角い修正が貼られた本が、日常的にその辺に落ちていました。ドラゴンボールが好きになったことがきっかけで仲良くなった同級生は、その「海苔部分」をアラレちゃんよろしくツンツンとつついて、爆笑したりしていました。そんな友人の姿を、苦笑いして見ていました。コンプライアンスなんて言葉も存在しない、あの時代の文化は一体何だったのだろう、と今になっては思います。
そんな時々エロ本が落ちている堤防沿いを散歩したり、漫画を読んだりして、過ごしていたわけですが、夏は恐怖の季節でした。大量の羽アリが発生するのです。興味のないことは全て無かったようにガン無視して、ある特定のことにだけ異様にこだわり、反応する母親は、「緑茶」を日々飲む、そのことには、ドン引きするくらい真剣に取り組んでいました。「朝飲む緑茶は千里戻っても飲め」と言う、誰が言ったか知らないが、そんな言葉をうわごとのようにつぶやき、緑茶を入れる母。朝と夕食後は、絶対に緑茶を急須で入れていたので、私も、うむうむ、美味しいと、千利休よろしく(よく知らんけど)毎日、飲んでおりました。
真夏の時期は暑いので、エアコンもない団地の部屋の窓を、全開にして過ごしていました。周囲は田んぼだらけだったので、深夜にヘリコプターによって撒かれる農薬のせいで自然界のバランスが崩れたのか、いまいちよく分からないのですが、夏になると、決まって羽アリが大量発生するのです。あまりにも大量に発生する上に窓が開け放されているので、どうあがいても、母が頓珍漢な情熱を持って毎食後に入れる緑茶の湯呑みの中には、数匹(数羽?)の羽アリが、カジュアルにジャンプイン。紐が垂れた昭和な照明器具の下にうっすらと照らされる羽アリ入りの緑茶は恐怖でした。
これから飲もうとする緑茶内に虫が混入するのは、気持ち悪くて気持ち悪くて、おいしくもないバラエティの罰ゲームのようにひたすらに辛かったのですが、戦後間もない時期に生まれた両親は、衛生観念や、虫の発生に対する意識におおらかというか、自分とは感覚が異なっていたのか、なぜか、全く平気そうでした。
両親とも、羽アリの存在をガン無視していました。どうして羽アリがこれから飲むお茶に入ることが平気なのか、どうにも耐えられないけれど、3人(兄は大学進学を機に上京していたので3人暮らし)のうち2人が気にしていないので、その苦しみは言葉にできず、やはり狭い団地の空間に「無かったこと」として溶けてしまいました。この嫌さ、気持ち悪さが、どうにも誰にも伝わらない、そんな地味な絶望的な暮らしを経て、暗すぎる子供時代を過ごしていましたが、高校で転機が訪れました。
県立のトップ校は数学の試験が難しすぎて不合格だったのですが、その結果嫌々進んだ私立の女子校では、怖い人や、意地悪な人が全くいない、奇跡のような優しいクラスメートに恵まれました。高校生活3年間は、人生を変えた3年間だったというか、自分が今こうして楽しく暮らせているのも、その時のクラスメートのおかげだと思えるほどに、嫌な出来事がほとんどなくて、毎日がとても楽しかったのでした。
公立の小学校では、バイオリンを習わされていて父親が地元の不動産業を営むという、イキッた男子に嫌われ、体育のサッカーの授業中に背中を飛び蹴りで蹴られたり、お父さんがトラック運転手だったという、ヤンキーの素質のある目のぱっちりした怖い同級生に「ねすぎはさぁー、顔が、可愛くないじゃん?でも、ま、勉強はできるじゃん!?顔はさー、ちょっと、ダメだけど、勉強は、頑張りなよ!ね?」と下校中に真っ直ぐに目を見て言われたりして、大いに傷つく日々を送っていましたが、高校には、全くヤンキーもおらず、下ネタを繰り出す男子もいないし、飛び蹴りを食らわせてくるイキった男子もいなかったのです!
素朴で優しく、マニアックな趣味にも理解がある女性ばかりの女子高は、毎日がとても楽しかったのでした。勉強をすることを否定されない日々はとても幸せでした。高校1年生の頃から受験対策のために模試に明け暮れた日々はそれなりに大変で、いろんなことがありましたが、高三の夏休みにスイッチが入り猛勉強した結果、東京の私立大学に合格。地方出身の友人もたくさんできましたが、東京都内の高校出身者の方が比率としては高く、人生で初めて、東京都内屈指の名門★中高一貫校に通っていた同級生たちと出会うこととなりました。