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『TUGUMI』/カオの本棚より

確かにつぐみは、いやな女の子だった。

こんな冒頭から「TUGUMI」は始まる。紹介の第一声が“いやな女の子”。
これはつぐみの従姉妹、大学生のまりあの視点で書かれる一夏の物語だ。海辺の町で、少女たちと青年が出会い過ごすストーリーは少女小説的だが、12歳からすれば十分に大人の小説だった。

親の本棚からアガサ・クリスティーとかコナン・ドイル、水滸伝、司馬遼太郎など適当に持ち出して読んではいたが、慣れ親しんだ児童書のほうがまだ面白く感じていた。
そんなお年頃に、初めて買った一般文芸が「TUGUMI」だった。顔見知りの本屋のおばさんにレジで「その作家、今ブームなのよね」と言われた。
吉本ばななのデビュー作「キッチン」がベストセラーになりその名前は知っていた。流行りの作家の本を買うんだという、少し背が伸びたような誇らしさで本をうけとった。
袋をもらわなかったのを覚えている。
表紙がきれいだったから見せて歩きたかったのだ。
「白河夜船」も並んでいたが黒い表紙が大人っぽすぎて手に取るのを躊躇した。「TUGUMI」はカラフルで、でもちょっと大人っぽい方の可愛さで、タイトルがローマ字なこともなんだかよかった。

「TUGUMI つぐみ」・吉本ばなな・中央公論社

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本棚のいちばん目につくところに置いていた本も、今では背表紙は白くなりみっちりシミも浮いていて「ふふアタシといっしょね」と思う。
装画は銅版画家の山本容子さんによるもの。
このタッチが好きで、水彩で模写したりもした。
吉本ばななの本は、どれをとっても装幀がいいと思う。
原マスミの描いたシリーズもいいし、タムくんのイラストも問答無用でかわいい。

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↑左”世界の旅シリーズ”。エジプトが舞台。原マスミの画。
 右「地獄のサラミちゃん」って読んだことないけどその作者の絵。
   抜け感(って何?)がすごいですね。



「TUGUMI」について少女小説的といったけど、それより一段ブラッシュアップさせる要素があって、例えばつぐみは粗雑で我儘な少女だけど、意地悪くせせ笑っても、

その笑顔は不思議と弥勒(みろく)のように見えた。

という表現がそれ。
弥勒菩薩ですよ。どんな美少女だってつぐみにはかなわない。(牧瀬里穂がつぐみ役で映画化されたけど見てない。もっと線の細いイメージなんだよなぁ)
この話の魅力の8割はつぐみの外見と内面のアンバランスさで、あと2割は海とか他のキャラクターだと思っている。
そして大事なのは読んだのが12歳だったということ。

愛情はいくらだって注げる、まるで日本国の水道のように、いくら出しっぱなしにしてもきっとつきない、そんな気がするものね。と何でだかふと思ってしまったのだ。

なんて一節を読んでしまったので、吉本ばななこそ“好きな小説家”として挙げるべき人になった。
以後、初期“吉本ばなな”時代の書籍は(ある時期から“よしもとばなな”になってまた戻ってる)ほとんど読んだ。


そしてまんまと“吉本ばななの呪い”にかかった。

これはいざ自分が小説を書いてみたとき、「雰囲気を雰囲気でしか書けない」という呪いだ。
吉本ばなながそういう作風なのじゃない。
彼女の小説に親しみ、作中の雰囲気に浸った結果そうなってしまった。呪いなんてばななさんに失礼だ、というなら謝る。
自分の心の深いとこへ自分ひとりでは降りていけない時、吉本ばななの本を読むと一段ずつ梯子を降ろしてくれた。
結局ひとかたまりの雰囲気としか捉えられないないそれらが、自分には良いものだったのだ。

小説の中で“雰囲気を書く“ということは、実際とても難しい。“こんな感じ”を感じたまま書いても、そうはならない。“雰囲気そのもの”を書こうとしたら、もの凄い量の取捨選択と緻密さが求められると思う。
なぜ自分の書いたものはこうなんだろと悩んで、好きだったものが実は呪いだったと知る。

おそらく多感な時期に、吉本ばななに露光してしまったのだ。無防備な状態で「これがベストセラー作家」という触れ込みで、モノを書くとか書かない以前にひとつの価値観として焼きついてしまったのだ。
それが、書く段になって容易に解けないものとして姿を見せる。
間違いないものとして受け入れていなければこうはならない。
多分、司馬遼太郎の呪いもあるだろうし、自然主義文学の呪いもあるし、ジブリの呪いも、友情努力勝利の呪い、国語教育の呪いもある。
呪いは呪いを解こうとするときが最も拘束力を発揮する。




それでも吉本ばななの本は好きだから、ここからは妖精が運んだ自分とばななさんの奇跡の話。

吉本ばなながnoteで書いてみえるのをご存知の方も多いと思う。フォローしていた時、タイムラインにたまたま、ばななさんの記事の次に自分のが並んだことがあった。
自分のタイムラインだけの話なんだけど、だけど……だけど、信じられないものキター!!!という感覚。
あのばななさんと自分の書いたものが、なんとひとつの画面上に!しかも前後して!!!恐れ多い!!!あってはならないことが!!!

ぐらい動揺して、スクショを撮り忘れました。

だって吉本ばななと自分の名前が同じサイズで同じとこに並ぶ可能性なんて、時空が曲がってその余剰エネルギーにより作家デビューしてハードカバーを出してばななさんと同じ時期に本屋に平積みされないとむりでしょ。
立てられたら「あ」と「よ」で棚さえ違うから。
note の妖精さんが自分にだけ見える魔法をかけてくれた一瞬でした。


*斜線部引用 すべて「TUGUMI」より


読んでくれてありがとうございます。