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思い出より金―豊かさを優先した結果、私は後悔しているのか?
DIE WITH ZEROの考え方では、思い出に金を使うべきとされる。しかし、思い出に金をかけても記憶に残らなければ無意味だ。私は資産形成を優先してきたが、後悔しているのか?その答えを振り返る。
思い出に金をかけるべきなのか?
「DIE WITH ZERO」という本の考え方によれば、お金は死ぬまでに使い切るべきであり、特に思い出に投資すべきだという。旅行や趣味、人との交流に金をかけ、人生を豊かにするという発想だ。
確かに、貯金をしても死ぬときに持っていけるわけではない。だったら、生きているうちに使うのが合理的というのは理解できる。しかし、本当にそれが正解なのだろうか?
記憶に残らない思い出は散財でしかない
思い出に金をかけるべきだと言われても、それが記憶に残らなければ意味がない。例えば、海外旅行に行っても「どこに行ったんだっけ?」と曖昧な記憶しか残らなければ、ただの高額な出費だったことになる。
人間の記憶は思った以上に曖昧で、楽しいと思った出来事も時間とともに薄れていく。高級レストランで食事をしても、1年後には味の細部を覚えていないことがほとんどだろう。そう考えると、思い出に投資すること自体にリスクがあるとも言える。
期待して金を使った結果、期待外れだったら?
思い出に金をかけるという行為は、「これは価値がある体験になるはずだ」という期待のもとに行われる。しかし、その期待通りになるとは限らない。
例えば、高額なツアーに申し込んで期待していたものの、天候が悪くて満喫できなかった。ライブに行ったものの、演出が期待ほどではなかった。こうしたケースは少なくない。
お金をかけたからといって、その価値が保証されるわけではないのが思い出の難しさだ。
思い出より資産形成を優先してきた
私は資産形成の過程で、多くの思い出の機会を捨ててきた。例えば、同僚が旅行に行ったり、ブランド品を買ったりしている間、私はコツコツと貯金し、投資に回した。
特に20代~30代は、周りが散財しているのを横目に見ながら、自分は節約を優先してきた。それは決して楽な選択ではなかったが、今となっては間違いではなかったと感じている。
その結果、今の資産がある
資産形成を優先したことで、私は現在アッパーマス層に到達した。みんなが楽しそうにお金を使っていた時期に、私は耐えて投資を続けた。その結果、資産が増え、将来の不安がほとんどなくなった。
これが思い出に金を使い続けていたらどうだっただろう?おそらく、手元に資産は残らず、「今月もギリギリだ」と嘆く生活になっていた可能性が高い。
結局、これは結果論なのか?
ただ、ここで考えなければいけないのは、「たまたま投資がうまくいったから良かっただけではないか?」という点だ。もし投資が失敗していたら、「あのとき、何かに使っておけばよかった」と後悔していた可能性もある。
実際、投資にはリスクがあり、必ずしも成功するとは限らない。自分の選択が正しかったのかどうかは、結果が出てみないとわからないのだ。
今、不安なく暮らせるのは「思い出より金」を選んだから
こうして今、なんの心配もなく生活できているのは、「思い出より金」に執着した結果だ。思い出に金を使っていれば、資産は増えず、不安な毎日を過ごしていたかもしれない。
もちろん、人によっては「思い出があればいい」と考える人もいるだろう。しかし、私は「資産があれば安心できる」と考えた。その選択の結果が今の生活につながっている。
思い出が多くてカツカツの生活か、思い出が少なくて豊かな生活か
結局、どちらを選ぶかは個人の価値観次第だ。
・思い出をたくさん作りながら、ギリギリの生活をする
・思い出を多少犠牲にしても、経済的に豊かな生活を送る
どちらの生き方が正解とは言えない。しかし、私は「思い出より金」を選び、その選択を後悔していない。思い出がなくても、安心して暮らせる方がいいと思うからだ。
あなたなら、どちらを選ぶだろうか?