私が出会った素敵な人々 その2
私は生まれてから海外とはあまり縁の無いの人生を送っていました。
父などは「女が海外なんかに行ったら、殺される!」と、信じていたような人でしたので・・・(笑)
社会人になり、以前から興味があった英会話なども習ってみましたが、仕事が忙しく、英語を話す機会も無かったので長続きはしませんでした。
その後、新しい家族との暮らしも始まり、家事に仕事に追われる日々を久しく過ごしていたある日・・・
突然、家族の海外転勤が決まりました。
まさに青天の霹靂!
とは、こんな状況を言うのかな・・・などと頭の中がぐるぐるして、衝撃と混乱と不安がいっぺんに押し寄せてきました。
前回お話したように私は仕事のストレスで体調を崩して以来、軽快したとは言え、以前のようなコンディションに戻ってはいませんでした。
海外生活の心配もさることながら、当時の私はとにかく、乗り物に乗るのが苦手で(今でも多少あり)長時間のフライトに対する不安で頭がいっぱいになりました。
体調を崩してからは電車、新幹線、飛行機などなど一度乗ったら降りる自由が無い乗り物での移動がとても辛かったのです。長距離移動の予定があると何日も前からテンパっている状態でした。通勤でも快速や急行は乗れなかったくらいです。
そんな私が、10時間も飛行機に?!
考えただけでも恐ろしくて気が遠くなりましたが、私にはどうすることもできず、それから半年ほどして私は会社を退職して家族と二人、アメリカのオレゴン州へ旅立ちました。
酔い止めを飲んでいても緊張と不安で心も身体もガチガチで震えながらの約10時間余りのフライトに耐え、飛行機は無事ポートランド空港へ到着しました。
身体はふらふらで頭が朦朧としながらも、空港がきれいだったこと、車に乗ってハイウェイから眺めたポートランドの町が横浜に似ていて(私見です)嬉しいな・・・なんて思ったことを覚えています。
自宅はポートランドから車で30分程の所にある、とても美しく暮らしやすい町でしたが、渡米直後の私はまったく心に余裕が無く、楽しむことなどできませんでした。
知り合いがいない、言葉が通じない、急に仕事も無くなり、家族が仕事に出かけてしまうと、外出もできず一日中一人で家に居て、テレビも英語だけ。週末に家族と外出しても日本人どころか、アジア人にすら出会うことが無く、初めてインド人の青年を見かけた時は涙が出ました。もう、病的なホームシックでした。
身体も弱っていたので風邪をひいてしまい、不安と寂しさでひと月ほど食事が喉を通らず、寝込んでいました。
そんな様子を私の家族から聞き、とても心配した会社の同僚の女性が、通訳としてERに付き添ってくれることになりました。
国際結婚をして、アメリカに渡った彼女は、「私も同じように辛い時期がありました、お気持ちが良く分かります」と慰めてくれました。車で病院へ向かう間、自らの体験をいろいろと話してくれました。話を聞きながら、少しずつ自分の気持ちが和らいで、心が元気になってくるのが分かりました。
病院へ到着すると、誰もいない広大なロビーを抜けてERに入りました。
受付で事情を話すと、ロビーで待つように促され、しばらくするとナースがやってきました。血圧などの簡単なメディカルチャックを受け、私の状況を説明するとカウンセラーを呼ぶから待つように言われました。
またしばらくすると、優しそうなカウンセラーの女性がやってきました。付き添いの女性は、私の日本語を自身の経験を踏まえて丁寧に翻訳をしてカウンセラーに伝えてくれました。カウンセラーが私のことをとても気づかってくれているのが分かりました。
それから30分程すると、今度は救急患者の治療を終えたばかりの男性のドクターが、急ぎ足で「お待たせしてごめんね」と、にこやかやってきました。
彼は私の前に静かに足を組んで座り、何度もうなずきながら熱心にカウンセラーからの報告に耳を傾けていました。
報告が終わると、彼は徐ろに立ち上がり、笑顔で私向かって右手を出しながら歩いてきました。そして・・・
「Welcome to Oregon!」
そう言って握手を求めて来たのです!
私はビックリして立ち上がり、握手をしました。
続けて彼は「本当に大変だったね。でもよく来てくれたね!この辺りは雨が多いところだけれど、そのおかげで緑が多くて自然が豊かな美しい所なんだよ。きっと気に入ってくれると思う、オレゴンでの暮らしを楽しんでほしいな!」
と言うようなことを語りかけてくれました。
こんなに優しく温かな対応をしてくれたドクターやカウンセラー、ナース、そして付き添ってくださった方への感謝で胸が一杯になりました。
素敵な方々と出会えたおかげで、私の心は癒され、身体も元気になりました。
この経験を通して私は、何か困っている方がいたら、今度は私が力になろうと決心しました。
良い友人達にも恵まれ、楽しい生活が続くと信じていたのですが、残念なことにオレゴンでの生活はわずか8ヶ月ほどで終わりました。再び家族の転勤でサンフランシスコ近郊へ引越すことになりました。
8ヶ月という短い期間でしたが、心優しい人々が暮らすオレゴンが大好きになりました。旅行で訪れる度に、いつも親切でフレンドリーな人々に出会い、元気と勇気をもらっています。
オレゴンも今、コロナウィルス感染症の拡大で大変な状況です。1日も早い収束を願うと共に、皆の無事を祈っています。