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リバウンド数十回・メンタルヘルス・橋本病のわたしがヨガと医療ダイエットで体づくりをした話。【第4回】

体力がなく、中年になってから橋本病を発症し、どんどん痩せづらくなった50歳のわたしの医療ダイエット日記。


発達障害自体は恐ろしくはない。恐ろしいのはその「生き辛さ」によって、自分が役に立たないものだと思い込まされ、二次障害で鬱になってしまうことである。

予告をしておくと、医療ダイエットについての文章ではinBodyという生体電気インピーダンス分析法で測定できるものをすべて公開する予定である。

発達障害→二次障害での鬱については借金玉さんの著書などに詳しい記載がある。このへんのことは今でも考えると辛いので、記憶が曖昧である。いつか思い出せたら追記できたらいいなと思う、わたしの20歳代後半から40歳までを支配した悪魔の話をいつか吐露できる日がくるのだろうか。

とにかく主治医を変えたことで巡り会えた広島弁のメンタルヘルスドクターから処方された黄連解毒湯。これが脳のリラックスに役立った。このころと同時だったかその後だったか、チラクシー合同会社のCBDオイル「リラクシングスリープ」を使い始めた。

眠れる日と眠れない日がばらつきはあったが、性悪な「不眠」というより「睡眠障害」という状態に移行した。三日眠れると三日眠れないとかそういうバランスで、体が疲れたからといって眠れるというものでもない。眠る前のブルーライトを避けたり、睡眠ヨガをやったりした。このころには漢方薬以外の薬を毛嫌いするような頑固な人間になっており、かたくなに薬を飲まなかった。

以前処方されていたアタラックスPは、現在は強いかゆみがある時などに使ってみたりすることもある。ただ、かゆみは治るのだけど、睡眠としては聞くのが遅く、服用した翌日、バスや電車で昏倒するような眠り方をするので、帰宅するのに必死で起きているという状態でもあり、あまり使える薬ではない。

でも、このころになると友人相手の会話に
「自殺しない」って決めた人生なら、なるべく自分が一番楽なように、邪魔なものを排除しながら好きなように生きようねっていうようになってきた。死にたいとか銃がほしいとかいっていた時とは変われば変わるものである。

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