ツツジさき ヒバリさえずり 風かおる
散歩道に咲く花が、桜が終わると藤、ツツジそして菖蒲、バラへ変わって行く。今年のツツジの色は昨年までと違うなと感じた。特に赤紫の花の色が例年と明らかに違った。紫より赤が勝って見えるし、花弁が薄く透けて見える。今年に限って花の色が変わるなんてことがあるだろうか。そうだ、昨年の5月と6月に白内障の手術を受けた影響ではないか。変わったのは花のではなく自分の眼の方だと気づいた。
白内障によって白濁した水晶体を取り出し、代わりにプラスチックレンズを入れたことによって、ものがハッキリ見えるようになったことは実感していた。しかし、色が違って見えるのは初めての感覚だ。桜や藤では感じなかったのに、ツツジそれも赤紫の花で変化を感じたのは何故だろう。光は色によって屈折率が異なるので、水晶体の白濁による光の乱反射の度合が色によって異なることはありうる。もしかすると、赤紫が他の色より白濁の影響を強く受けていたのかもしれない。
眼のレンズの変化によって色の感じ方が変わることを知ったが、年齢を重ねることによって色の感じ方が変わってくることもあるようだ。新緑の季節、木々の緑が萌黄色から濃緑色まであり、山肌が美しい緑のグラデーションを成していることに気づいたのはほんの数年前のような気がする。これはツツジの例とは違い心理面の影響によるものだろう。木の葉の色をただ「緑」としか捉えていなかったのが、世事の忙しさから解放されて心に余裕が生まれ、「様々な緑」を感じ取ることができるようになったのではないか。
般若心境に「無眼界 乃至 無意識界」との1節がある。正しい解釈は知らないが、「見えていると思っているものも実は存在していないのだ」くらいの意に解している。ツツジの赤紫と木々の緑の見え方が体や心の状態次第で変わるのであるから、突き詰めるとツツジも木々も存在しない所まで行ってしまうのではないか。急に抹香臭い話になってしまったが、植物の色からお経が浮かんでくるなんて歳をとったものだ。
(2022.05.14)