父が嫌い

いい歳をこいて、こんなに父を憎むとは思わなかった。
思春期よりも憎悪の念が増大している。

先の記事で、生まれつき、運命、体質に触れた。
そもそも、抱えてきた生殖器の不具合は、私が女に生まれなければ起きなかったはずだ。
性別の決定は、父親となるものが放り込んだ精子のどれかによるもの。
劣悪な遺伝子を放出しやがって。
元はといえば貴様のせいだ、と考えるのを逆恨みとも思わず、本気で父を恨んでいる。

レイシストの父

私は父と母と母方の祖母と同居している。
父は教員で、母は専業主婦で認知症の祖母の介護を担っている。
国際的な理解が必要とされる教科を担当している父は、生徒には聞かせられないようなレイシズムに満ちた発言を自宅で繰り返す。
アジア諸国を嘲笑し、アフリカ大陸を見下し、欧米諸国に強い敵対心を見せる。
父が毎週日曜日、楽しみに読んでいるのは『しんぶん赤旗 日曜版』だ。
一介のナショナリストがインターナショナルな読み物に親しむ皮肉。
多くの中高年男性がそうであるように、自身の仕事や家庭における不満のやり場をうまく処理できないと、その矛先が国の外に向かうことがある。
別の見方をすれば、「ニホンスゴイ」の評価に自分を重ね、相対的に優れた存在であることを再認識しようとしている。
そうした感覚の持ち主が生徒に何かを教えているということ自体がおぞましい。
しかしながら、そうして得た金で手にしたメシを食ってきた自分も同罪なのか。
そのような父の庇護の下で育ってきた自分を強く恥じる。

ミソジニーの父

父は家事をしない。
たまに風呂掃除と家庭菜園の手入れをするくらいで、掃除洗濯炊事は一切“やらない”。
“できない”のでは、という見込みもあるが、おそらく母が生きて家にいるうちは“できないことにしている”のだろう。
「いつも慣れた人がやるほうが効率的だから…」などと逃げている。
平日の夕方、母と仕事を終えた私が慌ただしく夕食の準備をする。
その間、父は趣味のステレオ鑑賞をするか、リビングのソファで夕刊をじっくり読む。
一言一句暗記するかのように読んではいるが、内容を問えば茫洋とした答えしか返ってこない。
キッチンで私や母がどれだけ忙しくしていても、父は決して腰を上げない。

ある日、休日フル出勤を終えてくたくたの私は、一日中休みで弛緩した父を横目にキッチンに立つ。
またある日、重い生理痛でまっすぐ立てず、今すぐにでもナプキンを取り替えたいときも、リビングのソファに背中を深く預ける父の気配を感じながら耐えてキッチンに立つ。
私は、この男の家に「娘」として産まれた、という理由だけで、このような扱いを受けているのだろうか?
私が息子だったら、一日の労働や病気を理由に家事を免除してもらえただろうか?
性別に関わらず、「子」という理由で同じ目に遭っていただろうか?
父のように健康な成人男性のほうが体力もあるため、私のような疲れて病んだ年少の女よりも役に立つのではないか?
同じ戸籍に入っている女を配下とみなし、好き放題に使役すべしと教育を受けてきたのか?
なお、母が毎日キッチンに立つのは、「妻」として婚約時に契約を交わして互いに了承した事項であろうから問題がない。
しかし、女として産まれた時点で、その家の子がアプリオリに奴隷的家事労働を充てられる、という論理は到底解せない。

時々、母が手を切っただの熱湯がかかっただの「労災」を起こすことがある。
しかしその都度、父は騒ぎのするほうをぬっと見遣るくらいで、何の助けもしない。
圧倒的に共感性が欠けていて、他人の心配ができない人間なのだ。
幼少期のエピソードなどを聞くに、発達障害の一例ではないかと思われる。
しかし、ダンディーを気取るスノッブなので、そんなことを指摘すれば怒りに震えて幼稚な家出を挙行するだろう。

このようにして、父は女たちに家事労働を押し付けてきた。
衣食住を保証する代わりに、妻の苗字を奪い、奴隷的家事労働に従事させ、自らの身の回りを整えさせる。
封建的家父長制の中で君臨する父。
その制度と彼の精神を支えているものこそが、ミソジニーである。
この場合のミソジニーは、「女性嫌悪」ではなく「女性軽視」の意で理解するのが適切かもしれない。

家父長とは、自分の権限の根拠を、もはや「ちんこが生えている」という生物学的特徴に見出すしかない矮小な存在にすぎない。
過去に観た素敵な映画『カケラ』では、「キンタマついてりゃ偉いのか?」という素晴らしい捨て台詞があった。
予告編にも収録されている。

鑑賞時、その言葉にいたく同感し、心の中で力強くガッツポーズをした。
キンタマがついていなくても、またキンタマの威光に頼らなくても、世のため人のため活躍する優れた人はたくさんいる。
きっと、世のため人のため活躍したいけれどうまくできていない奴らがくすぶって、家庭など小さな規模で威張り散らすのであろう。
陰茎と睾丸では、男性にとって重要度が少々違うのだろうけれど。
女性にとっての子宮と卵巣の違いか。
男性の皆さまには、男性器を失ってもなお自らの自信の根拠となるようなものを、日頃から意識されることを願っております。

そういえば父、私が胸も膨らみ陰毛も生えてきた小学6年生になっても、リビングで着替えさせたり、一緒に風呂に入るのをやめてくれなかったなあ。

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