名前はいらない
金曜22時の駅の改札内、別れを惜しんで酔いに任せて、くちづけをする男女。
HSPとかADHDとかメンヘラとかLGBTQとか、令和のカルチャーと化しているような、カルチャーにするためにつけられたみたいな名前。
なんで全部定義して名前をつけなきゃいけないんだろう。
名前をつけた方がらくなのかな。
この気持ちに名前をつけるのが怖い、そう思うことが多い。
似たような言葉で表現することはいくらでもできる。
けど言葉にするのが最近とっても怖くなる時がある。
言葉にしたら、自分の心の中で何色も混ざりあった絵の具みたいな気持ちが、その「言葉だけ」になってしまいそう。
毎日色んなものを見て、色んな気持ちになって、色んな人と話して、色んなことを感じて、言葉にして外に出さないと潰れそうな日も、躊躇われる。
そういう時きまって、頭の中を全部洗えたらいいのにって、胸が詰まる。
23時半、イヤホンから流れるCharaの声を聞きながらコンビニの肉まんをかじる夜道。
布団を干しっぱなしにして出てきてしまったことを思い出す。
きっとお日様のにおいも夜のにおいも吸いこんでしまったんだろう。
名前をつけがたい気持ちたちと、夜に溶ける。
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