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繊細さん、差し出そうとしたスプーンが迷子になった瞬間

文章で書くと恥ずかしいのですが、愛の伝え方についてHSPの私は2年ほど深海に潜り考えたのです。
愛についての本は、いくつか読みましたが、そのうちの1つ、ゲーリーチャップマンが書いた「愛を伝える5つの方法」には、それぞれ人は愛の言葉を持っているという内容でした。それは、5つの愛の言葉があり、肯定的な言葉・サービス行為・贈り物・クオリティタイム・身体的な触れ合い、があるそうです。人は1つまたは2つの得意とする表現方法を持っているけれども、たとえその表現方法で伝えても、相手が自分と同じ方法でない場合は、愛が伝わりにくい事もあるのだとか。
だから、お互いの表現方法を知る事は大切、というような内容でした。
なるほど、と思ったのですが、読み終えてからこの5つ以外にもあるのでは?と、考え始めたのです。不器用ながら、色々な事を試してみました。
しかしコロナ渦をきっかけに、この表現方法が分からなくなり立ち止まりました。
仕事が大変になり、悲しんでいる友達を見たとき、私は彼らを
助けてあげたいと(サービス行為)思ったり、ただ話を聞くだけでもと思っても(クオリティタイム・身体的な触れ合い)会いに行く事も難しく、何かプレゼントをしようかと(贈り物)思っても、本当に今必要としているものが分からず、励ましの言葉においては(肯定的な言葉)言葉が出てきませんでした。日本だけでなく、世界中が深刻な状況だと分かるので、何も言葉が見つからなかったのです。
コロナ前は、私は自分の持つスプーンに、愛の何かを入れて、差し出していたのですが、コロナ渦の中、そのやり方があってきるかどうか分からなくなりました。
でもふと気付いたのです。
何もしない、というのも1つの愛の表現なのかもしれないと。
何もしないことを、与える。
そして、本当に大切で価値ある愛の表現は、目に見えないのかもしれないということを。

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