「楽」と「楽しい」の概念破壊から始まる考え直しアーカイブ
エヴァ3巻のあとがきにて林原めぐみ氏(綾波レイの声優)による「生きる事が少し楽になりました。(楽と書いて楽しいって感じかな)」との記載があった。そこで、今まで自分の中にあった「楽≠楽しい」というイメージが一度破壊された。
なので、このノートを持って自分の中の「楽」と「楽しい」の位置付けを改めて考え直したいと思う。
私が改めて提唱する位置付けは
「楽しくなる為に楽な道を選ぶ」というのが不成立なのに対して、「楽な道を選んだら結果楽しかった」が成立するというものである。
(文面にしてみると、自分でも理解し難いトンデモ理論だ。これは所詮心の持ちようでしか無いし、どうとでも言えてしまうとも思う。だが、発展途上の感性における成長のアーカイブとしてこれを書き記す事は有意義であると信じる。)
この論は対局する二つの人間が持つ気質に当てはめる事ができるのでは無いかという仮説を立てた。
「楽しくなる為に楽な道を選ぶというのが不成立」というのはストイックな考え方をする「昔気質な職人気質」である。
対して、「楽な道を選んだら結果楽しかったというのが成立する」というのはストイックな選択をせず、結果楽しかったという事になる。これは「現代の若者気質」である。
(現代の若者が指すところは、未来に対して悲観的であり、積極的な選択をしない。だが、何となく楽しい時もあるような人物像を指す。)
一つ目の根拠として、私が今まで「楽≠楽しい」と感じていたのは、私の考え方が昔気質な職人気質であったからでは無いかと思う事があげられる。
二つ目の根拠として、現代の若者気質な人々がストイックな選択に非積極なのは「楽な道を選んだ結果楽しかった」という経験が理由では無いかと考える。
懸念点として、二つ目の根拠が私の想像によるものなので全く違う可能性がある事があげられる。だが、理由はどうあれ現代の若者気質な人々が何の利益も無く非積極的な考えに至っているとは考えられない。
勿論、全ての人が「職人気質」と「現代の若者気質」を有している。多くの人は積極的に行動をする事柄を有していて、現代の若者と呼称される人々にも「職人気質」になる一面はあると考えられる。
話を戻すと、「楽≠楽しい」から
「楽しくなる為に楽な道を選ぶ」というのが不成立なのに対して、「楽な道を選んだら結果楽しかった」が成立するというものである。
と、私が考え直したのは、私の中に内在化している「現代の若者気質」を知覚したからではないだろうか。というのが結論である。
改めて何を書いているのだろう。この考えを文面化するプロセスは本来必要のないもので、無意識下に記憶されるものだとしたら、何か例えようのない二度手間をした気分だ。
文面化した文章を見直して悲観的になるのは俺の悪い癖だ。もう今日は寝よう。おやすみ
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